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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
冬が来るその前に

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水底の太陽

 明け方前に嵐は収まっていた。未だ上空には強風が吹きつのり、吹きちぎられた雲の塊がいくつも、野馬の群のように駆け去っていく。


「ぶぇっくし!」

 マントの上に重ねた毛皮を襟元で掻き合わせながら、フリーダがおおよそ年頃の少女としては似つかわしくない、ひどいくしゃみをした。風邪をひかないか心配になったが、彼女はそれきりけろっとした顔で、大人の男たちに混ざって食事をとっていた。


 アルノルやアースグリムをはじめとして何人かの、交易あるいは遠方の地理風土に詳しい者の見聞を総合した結果、俺たちは琥珀の採掘地について、おおむねバルト海の南岸、ヴィスワ川の河口付近であろうと見当を付けた。

 おぼろげな記憶では後世のポーランド、ダンツィヒ(グダニスク)と呼ばれた都市の近郊のようだ。ボルンホルム島のさらに南東まで漕ぎ出し、沿岸を数日うろついた俺たちは手ごろな遠浅の海岸にクナルを引き揚げ、嵐を待った。

 頃はまさにバルト海の秋。うってつけの悪天候が襲い、俺たちはずぶ濡れになって寒さに震えながらも、期待に眼をギラギラと輝かせて夜を明かしたというわけだった。

 そう、夏にフリースラントでヨルグから聞かされたとおり。琥珀は嵐の翌朝、海岸で見つかるもの、とされているのだ。

 俺たちは重いクナルを果敢にも波打ち際まで丸太に乗せて押し、大山羊号は再び海の上にそのどっしりとした姿を浮かべた。船尾方向からの風を受けて、帆が音を立てて膨らんだ。

 こんな時には船尾(ミズン)マストの小縦帆(スパンカー)にはあまり出番がない。今のところその帆布は動索で緊縮され、巻き上げられて円材の周りに纏められている。

 やがて東の空に残った雲が晴れると、前方には太陽が金色の円盤となって輝き、真っ向から俺たちの目を灼いた。

「眩しいな……だがあの光のこぼれ落ちたところに、琥珀があるというわけだ」

 アルノルがやや顔をそむけ、目を細めながら妙にロマンチックな言葉を口にした。


 地上に落ちた太陽の涙が凝って石になった、とは何処の伝説だったか。思い出せないのだが、樹脂の化石であることを考えれば太陽の光が姿を変えた石だというのも、あながち間違ってはいない。


 南側の陸岸はどこまでも白い砂浜が続いて見える。その奥には黒々とした森林が海岸線近くまで迫って、何やらおどろおどろしい。この数日嵐を待つ間に、新鮮な肉を期待して小人数のグループを狩りに送り込んでは見たものの、手つかずの原生林は思いのほか人間を寄せ付けつけないものだった。スノッリが途中で引き返してくるほどとあってはどうにもならない。


 陸岸に沿って東へ進むうちに、海岸線はやがていったん大きく北へ膨らみ、そのあと急激なカーブを描いて南へとえぐれ込んだ。その先に、どうやらヴィスワ川の河口らしきものが見えてくる。河口の両翼に広がる海岸の様子は、俺に懐かしい九州の内海を思い出させた。

 有機物に富んだ黒い泥と砂が入り混じって遠く沖合まで堆積し、引き潮の半ばにある海面の上に濡れた表面を広げていく。ところどころに残った海水が陽光を反射してジンジャーエールのような色の輝きを帯びていた。


 だが、その光の中におびただしい数の黒い人影が見えてくるにつれて、大山羊号の甲板には緊張と失望がない混ざった、苛立たしげなつぶやきが広がった。


「あれは何だ? どうも大勢の人間がせわしなく動いておるように見えるが……」

 ホルガーが舵柄を握ったまま、岸辺に向かって目を凝らした。

「この辺りにもともと住んでる連中じゃないかな。何せ琥珀はヨーロッパ(※)中で珍重される宝玉だ。地元の者にとってはこの上ない資金源だろう」

 アルノルがさらりと言い放ち、アースグリムもそれに同意する。

「失念しておったなあ。やつらは多分このあたりのヴェンド(スラブ)人だ。野蛮な連中だが、徐々に内陸部の有力者に取り入って、王国めいたものができ始めてると聞いている。一族総出で琥珀掘りというわけだろう」


「なるほど。俺たちと同様、やっこさんたちも嵐の翌朝を待ち構えていたんだな。当然といえば当然だ」

「参ったな……あいつら、俺たちにも琥珀掘りをさせてくれるんだろうか?」

 ほぼ愚問だ。言いながら語尾が情けなく震えるのが、自分でも分かった。


「そいつが質問なら、答えは否(nei)だな……見ろ、向こうもこっちに気が付いたらしい。船を出そうとしてる」

「おいおい、クナル一隻にずいぶん大がかりじゃないか」

 岸を指差して苦笑するヴァジに、スノッリがそちらを見てげっそりした様子で応えた。

 浜辺からはスネッケにごく似た、ロングシップ風の小型船が数隻、押し出されつつあった。歓迎会の準備などではない。それぞれの船には明らかに武装した戦士たちが乗っているのだ。その数は一隻につきおよそ40人弱。それが10隻近く連なってこちらへやってくる。琥珀を横取りにやってきた不埒なよそ者を、力ずくで排除しようというのだろう。


「これはさすがに戦っても勝てる気がせんな」

「畜生、ここまで来て!」

 口ひげをひねり上げるアルノルに、ハーコンがさも悔しげに吐き捨てた。悔しいがここは逃げの一手だ。この状況はウェセックスでデーン人相手に戦った時よりもはるかに悪い。

 陸でなら数倍する敵が相手でも盾壁で対応できるが、海上では斬り結んでいる間にほかの船が反対側に接舷してくる。そうなれば到底フリーダやヘイムダルら少年たちを守り切ることはできないのだ。

「船首の三角帆を張れ! 逆風になるがそのぶん我らに有利なはずだ」

 ホルガーの号令一下、前静索に白い二等辺三角形が花弁のように出現した。主マストの四角帆もベイタス棒で精いっぱい風に向かって開かれ、大山羊号は向かい風に対して斜めに角度をつけた進路で次第にスピードを上げていく。手の空いているものはオールについて力の限り漕いだ。少年たちの唇が緊張のためか色を失って、紙のように白い。

 ヴェンド人たちの小舟は帆をたたんで懸命に漕いだが、俺たちを往路で運んだ風は正面から受けるには少々きついものだった。スピードがどうしても殺され、漕ぎ手は徒に疲労していく。しばらくすると彼らは追跡を諦め、船首を返して岸に戻っていった。

 寄ってたかって斬り殺されることは免れたが、この場は俺たちにいいところがまるでない。完敗だった。




 無駄足にほぞを噛みながら俺たちはいったんヘーゼビューに向かった。すごすごと帰るにしても何か手を講じて出直すにしても、少々物資が心細い。それに、人の集まる交易都市でならば、なにか琥珀やあの土地のヴェンド人について新たな情報が手に入るかもしれなかった。


 町に着いて、春に宿をとったあの商人の家作に再び転がり込む。以前に倍する大所帯に女将さんが顔をひきつらせた。

「ご利用いただくのはありがたいんですけどねえ、この間までスヴェーア(スウェーデン人のこと)のお客さんたちがどっさり詰めかけてたんで、ワインの蓄えも……」

「心配するな。こいつで買ってきてくれ。なに、今回はそう長居にはならぬ」

 ホルガーが5枚ほどのディルハム銀貨を握らせると、女将は態度を一変させて俺たちをもてなしてくれた。絞めたあとちょうどいい頃合いになるまで熟成されたガチョウが焼かれ、焦げた脂の匂いに俺は、フリースラントを一緒に旅したザラを思い出した。


「さて、どうしたものか」

 俺たちは床炉の周りに集まって首をひねった。誰も俺を責めないのがかえって辛い。

「つまり、嵐の後にはあそこには近づけないってことだな」

 ヨルグがしごく当たり前のことを言う。まあその通りだ。

「アースグリム、あんたは琥珀掘りの現場を見たことがあるんだろう? どういう状況だったんだ?」

 俺が尋ねると、彼は頭を掻き、ワインを一口すすってから答えた。

「いや、それがな。俺はその時、仲間と一緒にヴェンド人の首長に雇われてたんだ。あの海岸よりもうちょっと内陸の、川をさかのぼったところだった。大雨で増水した後の川岸で、やつらが腰までつかって琥珀を拾い上げるところを護衛する仕事でなあ。その時に、磨く前の石を見せてもらったのさ」

「ふーむ」

 嵐の後の海岸。増水した後の川岸――どうも引っかかることがある。琥珀の入手には、何かと『水』がかかわっているようなのだ。

「誰か琥珀を今持ってないかな? 俺は琥珀を手に取ってみたことがない。写真――いや、絵で知っているだけだ。実際に見てみれば何か思いつきそうな気がするんだが」

 何か大事なことを忘れている気がした。知っているはずなのに頭の中でそれが結びつかない、そんなもどかしい感覚だ。三十過ぎれば頭も固くなるということか。


「ははっ、何を言ってるんだ、トール。まさかそんな嘘をついて、琥珀をくすねるつもりだとも思えんが」

 不意にヴァジが笑い出した。

「え。そっちこそ何を言ってるんだよ。詐欺師扱いとはひどいじゃないか」

 さすがに心外でござる。抗議したい。

「だってトール、お前が持ってたあのペンの軸は琥珀なんだろう? ちょっと変わった色だが」

「まさか! こいつはただのプラスチック、合成樹脂だ! アラビアの燃える水から……」

 言いかけて、頭の中に電光が走るような感じがした。樹脂――それだ、つながった!

「小さいものでいい、桶を二つ用意してくれ! 真水と、片方には海水を入れるんだ。琥珀掘りの秘密がわかったぞ!」

「どういうことなんだ、トール」

 アルノルが不思議そうに俺を見つめた。

「比重だよ、アルノル。ギリシャのアルキメデスって学者の話を聞いたことはないか?」

「いや、知らんな。ヒジュウとはなんだ」

 俺はまたしてもノルド語にない単語を口走っていたらしかった。


 桶が二つ、運ばれてきた。皆の見つめる前で、俺はポケットからボールペンを取り出す。なるほど、質感などは強いて言えば琥珀のように見えないこともない――色のほうはいやらしいピンクだが。

 ボールペンを真中からねじって二つに分解し、二色インクのカートリッジを取り出して桶の前に並べた。

「小僧ども、よく見ておれよ。どうやら楽師殿はまたまた、異国の知恵を披露してくれるらしい」

 グンナルがヘイムダルたちの肩を小突いて、最前列に出した。


 その辺で拾った小石をふたつ。ばらしたボールペンの軸もふたつ。それを、塩水と真水、それぞれの桶に入れる。

「このペンの軸は、俺の国で琥珀を模して造られた材質でできてる。大体似たような性質だと思っていい……真水に入れればこの通り、石も合成樹脂も沈んでしまう」

「あ、でもペン軸のほうがゆっくり沈んだね」

「それは多分形状からくる水の抵抗のせいだが……海水のほうを見てくれ」

 そう言いつつ自分も海水の桶をのぞき込む。

(あれ?)

 桶の中のペン軸はやはり、沈んだままだ。

「沈んでるね」

ヘイムダルがぼそっと見たままを口にすると、フリーダが彼の手の甲をつねった。


 待て待て。ここで動揺してはいかん。うろたえるんじゃあないッ。これはあれだ。これまでもさんざん直面してきた北欧の自然環境のせいだ。すなわち、北欧の海は水温が低く、十分な濃度まで塩分が溶け込むことができないのだ。

「フリーダ。女将さんに塩を壺ごと貰ってきてくれ」

「うう、またしこたま文句を言われそうだけど、行ってくる。何か考えがあるのよね」

「ご明察」


 数分後、フリーダが壺を抱えて戻ってきた。女将さんが不安そうに広間の戸口からこちらを見ている。

「心配しなくても、全部ぶちまけたりはしませんよ……」

 そういいながら海水の桶に少しづつ塩を投じていく。さあさあ坊ちゃん嬢ちゃん。魔法の粉の威力をとくと御覧じろ。

「ああっ……浮いてきた!」

 少年たちが口々に叫んで目を見張る。

 十分な濃度になった海水は、やがてペン軸だけをぷかぷかと水面に浮かべた。

「……というわけさ。多分これが、琥珀を選別する方法だ。琥珀は樹脂、つまり松なんかのやにが長い年月の間に地中で固まったものだ。丸太が水に浮くように、琥珀も普通の石よりは軽い。だから濃い塩水に浮く。普通の水でも激しく流れたり嵐でかき回されたりすれば、土中の石と琥珀は自然に分別され、琥珀のほうがより遠くまで流され、あるいは海の底からでも運び上げられるんだろう」

 掘り出した石ころの山から琥珀を選別するのには、こんな風に濃く作った塩水か、あるいは海水を少々煮詰めて使うのに違いない。

「なるほどな。だから嵐の後、か」

 アルノルが愉快そうに顎ひげをしごいた。

「とすれば、どういう手立てが考えられるかな……嵐の後ではないとき、つまりヴェンド人が浜を見張っていないときにこっそり琥珀をかすめ取っていかなきゃならないわけだが」


「方法はいま思いついた」

 俺は、皆の視線が一身に集まっているのを感じながら立ち上がり、男たちに告げた。

重量犂(じゅうりょうすき)と、ポンプを用意しよう」



※ヨーロッパという用語はカロリング時代のフランク王国で既に使われていました。

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