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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
ブリテンの夏空に、雲は疾く流れ
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アルフレッドにつける薬

 カチカチと歯を鳴らして痛みに震え上がる青年は、見れば確かに肌の色艶といい着ているものの仕立てといい、少なくとも庶民や自らそう装っているような漂泊者のものではなかった。

「何だこの男は。王だというのが本当かはともかく、唐突に出てきて火を請うたかと思えばもがき苦しんで倒れるとは。意味が分らん」ホルガーの短評が寸鉄過ぎる。


「この方はまごうかたなきアルフレッド王。エゼルウルフ王のご子息にして、輝かしくもアッシュダウンの戦いで異教徒に勝利されたお方です!」

9世紀に彗星のごとく現れたパーカッション奏者、兵士ウィリアムは熱狂と崇敬を込めて語った。

「先年サウサンプトンへ巡幸なされた折に、私もお側で尊顔を拝する栄誉に浴したのです。ああ陛下、おいたわしや!」

 彼は青年を守るようにひざまずき、その手足をさすって介抱した。だが、当の本人は歯を固くかみ合わせ、ぶるぶると痙攣的に震えては時折すすり込むような苦痛の悲鳴をあげた。

 病原性大腸菌に感染して血まみれトイレの住人になった、悲惨な経験が思い出される。はらわたがちぎれるような苦痛の中で、死にたくないとただそれだけを念じる数時間。


「アッシュダウン――」

一座の間に微妙な雰囲気が広がった。つい先日遭遇し、俺たちの手で灰燼に帰せしめた巨艦を思い出したのだ。

「まあ、何だな。そうだとすれば俺たちは明日を待たずに、旅の目的が果たせたわけだ。鎖蛇号を返してもらって、とっとと海に戻ろうじゃないか」

 アルノルが皆を見回し、ことさらに明るく言い立てた。

「そうだな。トールたちが買ってきたあのフェーリングもある。忘れんようにせんと」

 ヴァジが頷く。


 ちょうどそこへ、オウッタルが戻ってきた。少しはなれたところで、デーン人たちの手回り品を値踏みし記録していたのだが、ウィリアムの叫びに異変を察したらしい。

「アルフレッド王……いや、友よ! これは例の持病か?」

オウッタルの表情が緊迫したものに変わった。


「持病とは?」

病人を取り囲む輪の中に、いつの間にか混ざっていたフォカスが顔を上げた。

「医術なら、私にも何がしか心得がある」

「あなたが!? しかし、旅の格闘士と聞いたが」

疑わしげに見つめるオウッタルに、フォカスはにやりと笑って答えた。

「かつて軍にいたときには、軍医の幕舎で働いたことも多かった。人間の体と言うやつは、治し方と壊し方、両方知っておくものだ」

これは外科的なものではない。だが、フォカスは何がしかの心算があるらしかった。

「そうでなくては、医者とも格闘士とも云えぬ」


「とりあえず、余り近寄るな、皆。なにか伝染する病気かもしれない」

俺は皆に注意を促した。輪が一回り拡がる。

「いや、もし流行り病ならそれじゃ足りない」

ぐぐっと拡がる。もう遅いよ。


「伝染はしないはずだ。この病は『フィカス』と呼ばれている。彼はもう20年近くこの病と闘っているのだ」

 目の前の男は幅広めに見積もって、20代から30台の半ば辺りまでに見える。それでその闘病歴なら、たしかに伝染するものではなさそうだが。


「私の名に似ているな……いやそれはともかく。どういう病なのだ」

 フォカスがおかしなところに引っかかりつつ、オウッタルに続きを促した。

 オウッタルの説明によれば、普段はなんら常人と変わらず政務を執り生活し、戦いを指揮できるのだが、時折起こる発作の際はこのように激烈な苦痛に襲われ、全くの役立たずになってしまうのだという。

「下痢はないのだな?」

「たまにあるらしい」

「ふむ……似たような症例を見たことはあるが、確証はないな。痛みを止めてやれればよいのだが」

(痛み……)俺は口を挟んだ。

「ヤナギは効くかな」

 フォカスが頭を巡らしてこちらを見た。

「おお、良いことを知っているな、息子よ! そうだ、確かにヤナギはこうした痛みにある程度効果があるはずだ。ギリシャ時代の医書から記述が伝わっている」

「国では薬匠の下働きのようなことをしていたことがある。それで、少し前に思い出してね」

少し離れたところにいたオーラブのそばへ歩み寄り、彼の腕に手を触れる。

「彼の傷の痛みを、それで癒したことがある」

「うむ、試してみるか」


 川のほとりのことである、ヤナギはいたるところに有った。以前に俺が煎じたときよりも大量のヤナギを、鍋で煮出す。かなり濃い緑を呈する透明な液体が、鍋から角杯に移された。

「王よ、私の友人たちがよい薬をもたらしました。これを飲まれよ」

「かなり苦い故、あらかじめお覚悟を」

オウッタルとフォカスが二人がかりで王の体を起こさせ、噛み締めた歯をこじ開ける。


「この痛みが……消え……なら……」

王は悲愴な努力を見せ、眼を開いて液体を見つめ、怖気を奮いながらそれをあおった。

 苦味に顔をしかめたが、耐えている。角杯を飲み干し、彼はふたたび横になった。


 俺達が食事を済ませる間に、いつしか彼はしかめた表情を安らかなものに変えて静かにまどろんでいた。

「ふむ、かなりの著効があったようだな」

「楽師殿、フォカス殿。あの薬は常用できるのかね?」

「残念だが、胃に悪い。あまり頻繁に飲ませられないんだ」

「そうか……」

 オウッタルの表情がまた暗くなる。考えてみればオウッタルとアルフレッドはほぼ同年代だ。身分を越えた友情といったものがあるのだろうか。

 交代で見張りを立て、焚き火の周りに集まって俺たちも浅い眠りをとった……が、寒い。多分この寒さは、川面から漂う水蒸気が原因だ。


 俺たち男と違い薄い長靴下ショースだけの、イレーネの足を触ってみた。可哀想なほどに冷えている。毛布の内側にたまった暖かい空気を逃がさないよう、そっと抜け出すと、焚き火のそばまで行って手ごろな大きさの石を持ち上げる。そこそこ熱い。荷物の中から薄めのシャツを探して、それを包んだ。


「トール……?」

 目を覚ましたイレーネが寝ぼけ眼をこすって俺を探していた。

「そら、これを足の下に入れろ。火傷しないようにな」

「何だいこれ……おお、温かい!」

 ありがとう、と微笑んでまた目を閉じるイレーネの隣で、俺もちゃっかりと彼女の足に自分の足を絡め、熱のご相伴に与った。何人か目を覚ましていた者が、俺の真似をして熱い石をカイロ代わりにする。

 ふざけ半分に石の取り合いを始めた者がいたのには流石に閉口したが、いつの間にかまぶたは重くふさがり、目覚めたときには朝霧の中。昇ったばかりの太陽が森の上から差し込んでいた。


「ああ、おはようございます皆さん」

アルフレッドはいち早く目覚めたらしく、ウィリアムにかいがいしく傅かれて、何か湯気の立つものを杯から飲んでいた。

 なんだかどうも調子が狂う。フレンドリーすぎて、これが王だといわれるとちょっと戸惑う感じだ。

「……おはようさん」

「がっ楽師殿! 陛下にそんなぞんざいな言葉は……」

ウィリアムは俺へのプライベートな尊敬と、アルフレッドへの忠心との板ばさみになっているらしかった。

「いいんだよウィリアム君。私は今、あくまで『吟遊詩人のアル』ですから。いや、自己紹介の途中で発作を起こしてしまって済みません。どうも驚いたり興奮したりするとあの病が起きるんです……あなたのお名前は?」


「俺は、トール・クマクラ。ノースの村落に身を寄せる楽師です」

「あ……本職!?」

 本職といわれれば本職。だがどうも自分の極端なカリカチュア(戯画)を見てるようで落ち着かない。

「すばらしい! 扮装と楽器だけは調えたのですが、音楽にはとんと素養がなく困っていたのです。教会の僧侶達も聖歌くらいしか知らなくてですね」

「まさか、俺に指南を受けたいとか?」

 ああ、いや待て俺。そもそもなんだこの状況は。


 アルフレッドがフレンドリーなのはありがたい。ありがたいのだが……なんでこの人吟遊詩人に扮して、バグパイプ担いで歩き回ってるのだ。


「ええもう、指南していただければ大変ありがたいです! ブリテンはやはり田舎だ。幼い時に滞在したローマの素晴らしさと引き比べると、文化も芸術も貧弱で悲しくなります」

「そうですか」

 思わず内容のない受け答えをしてしまう。


「そういえば先ほど、あなたは『ノース』とおっしゃった。昨晩は私、この方々を邪な異教徒のデーン人と思ったのですが、違うのですね?」

「うむ、我らはノース。遠い昔にデーンと途を異にした、この世の最果てまで船で漕ぎ出す海の民だ。我らの船は波に強く、速いぞ」

 そう言いながらホルガーが俺の横に来て、座った。色々確認したいのだが、話が錯綜して肝心な話題が切り出せない。


「いやあ、ほっとしました。偵察に行ったつもりが捕まってしまうなどと言うことになっては、本末転倒ですからね」

「割と普通に起こることだ。あんた気をつけたほうがいいぞ」

 思わず敬語がどこかへ吹っ飛んだ。実際ここには昨日、デーン人のはぐれ集団がいたのだし。ああ、オウッタル早く起きてきてくれ。もろもろ不審の点はこの際目をつぶるから。


「ありがとう、気をつけますよ。まずは事の起こりから説明しましょう。ここから西にある、ウェアハムと言う土地に由緒正しい女子修道院があるのですが……そこがデーンの軍勢に占拠されたと知らせを受けまして。悪いことに我が軍の主力は東アングリアとの境界に派遣していて、手薄なのです。そこで、まずは偵察にいこうと、森を突っ切る所存」


(西? あんた昨夜、東の森から出てこなかったか)


 そのことを問いただすと、彼は不安そうな顔で首をかしげた。

「ああ、森から出てきたのは正直なところ、迷いそうだと感じて断念したからなのですが……あれ、あっちは東? ええと、ウィンチェスターはあっちで……」

 うむ、どうやらこの人は、極度の方向音痴らしい。脳内で地図を把握できないタイプだ。

「とりあえずそのことは後回しにしよう、なぜ吟遊詩人の扮装を?」


「ええ。血縁の女性があちらで暮らしているので、何度か訪ねたことがあるのですが……周りを川に囲まれてなかなかに近づきがたい地形でしてね。軍を呼んだとしても、責めあぐねるのは確実です。手勢を率いていけば見咎められますし。何より異教徒たちは詩や歌を愛好すると聞いておりますので、吟遊詩人に身をやつして近づけば、なんとか生命の危険なしに彼らの様子を探れるかと」

 筋は通っている。着想も悪くない。基本的には頭のいい男、勇気や度胸もあるし何より経世の志というヤツが言葉の端々に漂っている。

 だが色々と思考の途中経過や行動の優先順位をすっ飛ばしているようだ。この人には実務的な才覚のある腹心が、絶対必要だ。……いや、そもそも俺たちは鎖蛇号さえ取り戻せばそれでいいはずなのだ。流されてはいかん。


 正気のようでどこかネジの緩んだこの人物を前に、俺のほうもかなり調子が狂ってきつつあるのを感じ、眩暈を覚えた。


 冷静に見える頭のいい頭のおかしい人を書こうとして苦闘。

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