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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
ブリテンの夏空に、雲は疾く流れ
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楽師の夢と苦痛の王

ちょっと短いけど今日はこんなところで。

「ホルガー・ダール! ホルガー・ダール!」

 アンスヘイムの名を鬨の声に冠することを禁じられた彼らは、俺の夢に何度か出てきた、童話的にゆがめられたの地――「ホルガーダール」の名を叫んでいた。まあつまり俺の指示でだ。

 だがそれはどうやら、先ほどまで打ちひしがれていたホルガーに劇的な効果を及ぼしたようだった。


「俺はホルガー・シグルザルソン! ホルザランドの偉大な領主、天下無双の『膝砕き』よ! デーン人どもなぞ目ではないわ!」

 大音声で名告なのりを上げ、デーン人たちを威圧する。あの意気消沈振りはどこへやらだ。


「ホルガー・ダール! ホルガー・ダール!」

 大剣スルズモルズの切っ先が、盾をぶつけ合う相手のデーン人たちに向けて振るわれ、盾の縁とたまに敵の指が斬り飛ばされた。そのたびに押し殺したような細い悲鳴が上がる。息を吸い込みながら発する小さな声だが、俺はいっそ耳をふさぎたくなった。

 ぶつかり合うごとに双方の盾は次第にその形をゆがめ、削られ、割れ飛び散って消えていく。だが催眠暗示にも似た歌の効果で意気を上げるアンスヘイムの男たちと、おそらく相応の時間、十分な補給もなしに本隊に追いつこうと奔走したであろうデーン人との間には、小さな、だが明確な差が生まれつつあった。


 オウッタルの活躍にも俺は目を剥いた。

 いつもの長い衣の下から現れたのは、膝丈までのごく普通の鎖鎧。頭には相変わらずのサーミ帽で手にしているのはこれまた平凡な、模様もないフランク製のストレートな刃をもつ長剣だが、彼は最右翼のもっとも過酷なポジションを、まるでテニスのコーチでも務めるような態度で平然とこなしていたのだ。

「脇が甘い。そして太刀筋も平凡だ。それでは王の近衛に推薦はしてやれんな」

 盾のない右半身を狙って敵の剣が振り下ろされるが、オウッタルはほんの半歩ずれてそれをかわすことを繰り返した。

 盾は隣とかみ合わせたままで、だ。体に触れそうな剣は右手に構えたフランクの剣でいなし、外す。そして電光のような突き。

 弱点を晒すことで敵の意識をコントロールし、そこへ向けられた渾身の斬撃を予測してかわす。理屈はシンプルだが、それを実行するにはおよそ常識を超えた胆力と力量を要するはずだ。普通は不可能だ。

(あいつ、とんでもない戦士だぞ……)

そんな商人があってたまるか。俺はオウッタルへの不審と疑念を一層深めた。


 やがて双方ともに盾の壁を維持できなくなった。地面に散らばった色とりどりの盾の破片が重なり連なって模様を描き、まるでジグソーパズルのピースをぶち撒けたようだ。戦いは次第に、個人の武勇が流れを制する乱戦へと変化しつつあった。

「ぬぅうん! スルズモルズ!」

 ホルガーが裂帛の気合で巨剣を振り回す。格闘ゲームなら追加入力でビームが出ている。


 シャン! シャン!      パァアン!

ガン   ガン   ガンガンガン 


 鍋を叩いてリズムを取っていた兵士は、飽き足らなくなったのか、いつの間にやら鍋以外のものを叩いて裏拍をとり、あるいはオカズを入れたりし始めている。実にいい感じになってきた。

「あんた、才能有るぞ! 名前は?」

「ウィリアムだ!」

「よぉし、その調子で叩いてくれ、ウィリアム!」

「合点!」


 シャン! シャン!      パァアン!

ガン  ガ ガン   ガンガンガァン 



 うずくまり顔を伏せる羊をかばい


 俺達は集まり仲間を数える


 知った顔が消え失せても 明日に生まれる希望がある! 



「ハッハァー!」

 ヨルグが吼え、オスムンドの盾ごと左腕を斧で絶ち落とした。ヨルグの太腿にはぱっくりと割れて血を流す傷があったが、動きに衰えは見られない。

「全く、好き放題にしやがって。できることなら俺たちだって、この夏は景気良く切り取り放題と行きたかったんだぜ!」

 ヨルグが心中の憤懣を余すところなく吐き出した。気持ちは分る。痛いほど分るとも。

稼ぎを夢見てあてが外れるのは腹立たしいものだ。



 さあ俺の角を見ろ 俺の蹄を見ろ!

 

 並べろ肩を! 突き出せ角を!


 我らは諦めない 夜はもう明ける


 背中を見せるな兄弟――勝利は我らのもの!



「ひ、ひぃーッ! おのれ、妖術使いめが!」

 俺の歌を自分たちの敗因の全てと錯覚し、先ほどまでオスムンドの傍らにいた小男が、短剣を手に疾駆した。3mほどの距離から跳びかかろうとするその男を、フォカスが身を沈め足を払って止める。即座に飛びつき、右手を掴んで背中側へ捻り上げ――折った。無気味な音が俺の耳まで届く。

「止めを刺せ、息子よ!」フォカスが鋭く叫んだ。


「――それには及ばん、僕がやる!」

 毛布をかなぐり捨て立ち上がったイレーネが、ローマ人の長剣スパタを抜き、男の首筋を真上からえぐった。

「最後まで演奏を! 止まるな、トール!」

 ああ、やりぬくさ、勿論だとも!



 一頭、二頭 そして三頭


 四頭、五頭、そして六頭!


 倒れど潰えぬ 我らの闘志 


 仲間を数える歌――山羊を数える歌を聞け!


「ゴートカウンター! ゴートカウンター・ソング!」

 歌い終わるほぼ同じタイミングで、敵の最後の男が倒れた。


 ジャッ――

 

 演奏の終わりを告げる終止音のカッティング。ウードを構えたまま――戦場の振る舞いとしてはあるまじき事だが――俺は武道で云う残心を取った。そのまましばし、凝固。


 ホルガー・ダール! ホルガー・ダール!

 

 勝ち鬨を上げる男たちの声がいつまでも繰り返される。足元を見回しながらいささか呆然とした面持ちで、オウッタルが俺のところにやってきた。


「いやはや……驚きました。何ですかこれは。やはり、フィンの魔法とか?」

俺はここぞとばかりに彼を見返し、にやりと笑ってこう答えてやった――

「魔法? そんなもの、俺も知らんね。こいつは――ただの音楽ロックさ」




 霧が晴れたときにはもう日がすっかり落ちていた。オウッタルにキメ台詞を見舞ったまではよかったが、俺はそれで肺の中の酸素を使い果たし、またしても失神寸前で膝から崩れて、イレーネを狂乱させた。

 なにせ皆が目の前で戦っていたのだ。とてもじゃないが、こちらとしても体力を温存するような歌い方は出来ない。


「驚かさないでくれよ、もう。本当に君ってやつは」

「はは、流石に疲れたぜ」

 体をくるんでいた毛布を地面に広げ、片膝を立てて座ったイレーネの、横たえたほうの膝の上に俺の頭が載せられている。喉がまだ少々痛むが、気分は最高だ。

「あれが君の技芸、その真髄なんだね……うん、惚れ直した」

「ありがとう。君が見ていてくれたから、全力……全力以上を出せた」


 仰向けに見上げたその先に、満天の星が見える。イングランドの夏の夜空。時代こそ違え、このブリテンの地でギターを、いや、ウードを手に音楽で男たちを勇気付けた。

「夢は、叶うものなんだな」

「ん?」

「うまく説明できないが、この島で音楽を演奏して喝采を浴びるのが夢だった。形が少々変わったけど、夢が一つ叶ったよ」

「そうかあ。よかったね……じゃあ僕の夢も叶うかな?」

「どんな夢だ?」

「秘密」

 そう言うと、イレーネは膝を俺の頭の下から抜き出し、姿勢を入れ替えて俺の上に覆いかぶさった。唇が塞がれ、熱く柔らかなものが口の中に滑り込んでくる。場所がらそれ以上には進めなかったが、俺たちはしばし毛布の上で、お互いの温もりと快い重みを貪りあった。


「いやはや、お盛んなこった。一人身が寒いわ」

「そういえば少し、冷えてきたな」


 デーン人の持ち物を剥ぎ取って40人分の死体を埋める役回りを引きあてた、ヴァジとスノッリが(勿論他にも穴掘り役は何人かいたが)、俺たちを冷やかしたあといかにも寒そうに肩をすくめた。

 ヨルグは腿の傷をロルフに縫われ、今頃になって痛みに悪態をついている。他にも何人か、軽い傷を負ったものがいたが、ありがたいことに指や四肢を失ったものはない。今夜はここで野営をしようと、相談がまとまったところだ。


「冷えてきたな、確かに」

 俺たちは毛布から身を起こし、地面からの冷気を避けて、フォカスが陣取った倒木のそばへと移動することにした。そろそろ薪を集めに行った者たちが帰ってくることだろう。


 と、先ほどデーン人たちがやってきたのとは反対側、東側の森から人影が現れるのが見えた。

「何者だろう」

「今度は敵でないとよいな」


 ざわざわと男たちがさざめき合う間に、人影は川の細い浅瀬を渡って、こちらへ近づいてくる。見たところ、まだ若い男のようだ。背中に皮袋のようなものを背負い、その物体から数本の管が飛び出しているのが見える。

「バグパイプかな」

「トゥルムに似てるね」

彼女が言うのは黒海沿岸で使われる、やはりバグパイプに似通った楽器のことらしい。


「おーい、そこの方々! よろしかったら私も火にあたらせてください。夏だというのにこの夜の、なんと言う寒さだ!」

 男が呼びかけた。夜に森から現れ、異教徒軍、つまりデーン人の闊歩する野外を一人で旅する男。素晴らしく怪しい。


「胡散くさいな。日が落ちてから楽器を持ってうろうろするような奴は、ろくでなしに決まってるぞ」

思わず、とんでもないことを口走ってしまった。

「ねえ……君がそれを言うのは、色々とおかしくないか」

 イレーネが突っ込んできたが、俺はストロングスタイルで迎え撃つ。

「おかしくはない。俺は元々、ろくでなしだ」


「やあ、どうやら麗しいご婦人もいらっしゃる様子! ご安心ください、私はろくでなしではありませんよ!」

「……聞こえてたか」

 微妙に人のよさそうな、朗らかで明るい声が聞きようによってはますます胡散臭い。


 そのとき、ヴァジが火打石で起こした炎が薪に燃え移ってあかあかと辺りを照らし始め、鎖鎧と兜を身につけた男たちの姿が宵闇の中に浮かび上がった。思い思いに武器を携え、何人かは襟周りや肩口に毛皮を飾った、蛮風隠れもないそのいでたち。


「ヒッ……!」

バグパイプの青年が息を呑む。

「デーン人!? 何と言うことだ」


 引きつった表情で立ち尽くした彼は、突然顔色を真っ青にし、腹と……反応に困ることには尻、それも肛門の辺りを押さえて脂汗を流し、のた打ち回り始めた。


 あの兵士、ウィリアムが雷に打たれたように直立し叫んだ。

「あなた様は! アルフレッド王陛下!!」



ハラルド王に並ぶこの時代の今一人の立役者、アルフレッド大王。彼の持病は神に祈って治してもらったら換わりに別の持病が上書きされたという酷いエピソードありの代物です。神様ってろくでもねえ。

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