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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
ブリテンの夏空に、雲は疾く流れ
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翼を、片方ください

 サウサンプトンの港は、Y字型に二つの川が出合うその合流点にあった。その右側の水路の奥へ奥へと、船は進入していく。8本のオールを備えたフェーリングに良く似たボートが接近してきて、誰何の声を上げた。

「おーい、そこの船ぇー! 何処のものかぁー!」

オウェインが舷側へ走り、応答する。

「フランドル伯ボールドウィン様の『アイルの信女』号だ! 指揮は拙者、オウェイン・ドゥ・マレがとっておる。船客はノルウェー王ハラルドの使節団、32人」


 彼の言葉を裏付けるように、マストの上でするすると長旗が掲げられ、風にたなびいた。

黄色の地に染め抜かれた、後ろ足で立ち上がった黒い獅子の姿。

「確かにフランドル伯の旗だ! よろしい、先導する」

ミズスマシのように軽快な動きでクナルの前に先行し、ボートは水を切って進み始めた。

こちらも帆を畳み、オールを出して櫂走に移る。ふっくらした女性的なフォルムのクナルが俄然、軍船に見紛うような雰囲気を漂わせ、オールの上下にあわせて力強く進む様子はいかにも目を見張らせるものだった。


 港の大きな桟橋に舫われた、何隻もの船が目に入る。その中に見覚えのある竜頭を見出したとき、期せずして船内に大きなどよめきが上がった。

 すかさずアルノルが声を励まして叫ぶ。

「おおっ、あれを見ろ! 北海で我らを襲った海賊船だ!」

 一瞬、脳内にある真実とアルノルの台詞との間に齟齬をきたし、ざわめきが止まりかけたが、嬉しいことにそのつまづきは、寸前でヨルグの叫びに摘み取られた。

「間違いない! あの船だ。俺たちの奪われた積荷と手回り品も、きっとあそこだぞ!」

 フリースラントでの体験もあってか、いいタイミングで適切な演技をするようになって来たのがわかる。今のヨルグが21世紀に来たら、コメディもこなせる名アクション俳優として人気を博すことだろう。

 ようやく先刻の申し送りが皆の念頭に浮かんだらしく、彼らは口々に二人に同調して叫び始めた。

「もっと強く漕げ! 此度こそは目にもの見せてくれるわ!」

「おうさ、剣に賭けて!」

 見るからにヴァイキング然とした様子を表した男たちを前に、オウェインの顔面がわずかに青ざめた。

「これは……まさか殿も我らも、謀られておったのでは」

うん、正解。


「大丈夫ですよ、オウェイン卿。もとより彼らも北方人、血気にはやり剣に手をかければその勇猛さはデーンの侵攻軍となんら変わるところはありません。だが、彼らはノルウェー使節で、今のところフランドルとイングランドにとっては味方です」

 オウェインのわずかに右斜め後ろ、長身をややかがめたオウッタルがあの快活な美声で、しかしどこか毒を帯びたねっとりした調子でなだめた。

「信じてよいのだろうな?」

「もちろん」

 なんだか意味もなくオウッタルが怪しく見える。いや、きっと意味はあるはずだ。だが怪しい。


「静かにしろ! 海賊どもは捕らえられたと聞く。ならばあそこにある船はいまやイングランドの管轄だ。我らこの先は腰の剣ではなく、上下の顎の間にある剣を使うのだ!」

 ホルガーが一喝し、甲板には静けさが戻った。

(さて、ここからが本番だな)

 オウェインや、これから出会うウェセックスの役人に聞かせるための言葉と、その裏側の真実。

 想像と現実の区別がつかない、あるいは実際に起こった出来事を脳内で捻じ曲げて自分に都合の良い記憶を捏造するある種の人々を連想するが、ヴァイキングたちは完全に口に出す言葉と真実とを切断し、自覚した上でやっている。その証拠に一人一人の顔にはうっすらと冷笑が浮かんでいた。

「これは、面白い茶番だ」と言いたげに。

 そんな中で一人、やはりオウッタルだけは自分たちの作り上げた虚構を、巧妙に自分で真実の記憶と置き換え、一時的にその中に生きていた。笑っていない。

 これは先にあげたようなある種の人格障害の例ともまた違ったものだ。必要に応じて自分の信じ拠って立つストーリー、あるいはヒストリーを差し替える。たとえるなら家庭用ゲーム機のような精神構造だ。


 ボートからの連絡を受けて駆けつけ、桟橋に整列したウェセックスのサクソン兵士たちを前に、俺たちは無言でゆっくりと船を下りた。


「あああ、誰かと思えば商人のオウッタル殿か! これは驚いた」

 リュックマンと名乗ったその責任者は、オウッタルと既に面識があるらしかった。ノルウェーの使節団が『ノースの海賊』――いうなればハラルド王にまだ服属しない土地のノルウェー人に襲われ、私物を奪われた、という説明を聞いて大いに困惑している様子だ。

「あの船を持ち込んだ士官は、少し離れた港まで現在出向いておりまして――呼び戻して確認せねば。一日ほどお待ちいただけますまいか」

「『少し離れた港』というと?」

「港と言うべきか……造船所です。『ポータスの口(註1)』の」

「ああ、あそこか。先だって私が王の命で造船用の資材を運び入れたところだな」

「あの竜船を本格的に修理するために、足りない資材を取りに行っておりまして」

「ご苦労なことだが」とホルガーが口を挟む。


「それならなおの事、素性の怪しい人足や工人がどたどたと上がりこむ前に、我らに検分させてはもらえぬか」

「むむ」

「リュックマン殿」オウェインが後ろから口添えした。

「彼らはわが殿、フランドル伯ボールドウィンよりアルフレッド王への書状も携えて居るのだ。便宜を図ってもらえれば、王の憶えもめでたかろうと存ずるが」

 オウェインにしても必死である。ここで俺たちをきちんとウェセックス側に委ね、手続きを済ませねばボールドウィンに復命できないのだ。

「う、ううむ。仕方ない。ですが、管理上、使者の方々の言われる私物については目録を作っていただきたい。羊皮紙が不足気味の折、できるだけ簡潔にまとめて頂ければよいのだが……」

「それなら問題ない、我らの中にはアラビア式の計数と記帳を身につけたものが居る……アルノル!」

「ほうほう、俺様の出番が来たようだな」

 アルノルが両手で顎鬚をしごきながら前へ進み出た。



 久しぶりに立つ、カーヴの甲板。船首から舷側へと拡がる優雅な曲線が懐かしい。


 鎖蛇号のベンチ兼私物入れの箱は、その多くがヴァイキング式の例の堅牢な錠前が取り付けられていて、中身は手付かずで残っていた。保存食糧の硬く焼いたパンや着替えなど、ここしばらくの旅の間不自由していたものが手元に戻り、誰も彼もがほっとした顔を見せる。

 インゴルフの斧も俺の手に戻った。皮製のカバーが若干油気を失い硬くなってはいたが、中の刃は健在だ。青みを帯びた酸化膜が男心をくすぐる。

「いい斧だよなあ」

 ヨルグが俺の手元を覗き込んで、心底うらやましそうにそうつぶやいた。

「俺のじゃないからなあ。帰ってインゴルフ様に返したら、フリーダを通じて頼んでみればいい」

「そりゃあいい考えだが、どういう名目で?」

「彼女を娶るなら嫁入り道具に加えてもらえるんじゃないか」

「ああ……その件については、どうも怪しげになってきた」

ヨルグは普段の彼には似つかわしくない表情になった。

「叔父貴がシグリを俺に嫁がせるつもりなら、異論を唱えるわけにもいかん……それに、将来フリーダを娶る候補に名乗りを上げたトールが、いまやあの姉ちゃんにぞっこん参ってくっついてるのを見ると、なんだか拍子抜けがしてなあ」

「俺のせいにするんじゃない。まあ、シグリはいい子だ。フリーダは聡明であの年で家中を切り盛りしてのけてる。どっちを選んでもヨルグ先生の未来は明るいな」

「そう簡単でもない。特にフリーダは、兄貴――ホルガーが嫁を取ったら自分の嫁ぐ番だ、って言ってるし、ホルガーはフリーダを嫁にやるまでは自分は後回し、って思ってるからな」

「ああ、それ一番ダメなヤツだわ」

 どこのラノベか。

 

 あの二人は兄妹ではないが、心情はほぼそれに近い。お互いにどこか依存している部分があって、自分の問題を動かすためのトリガーを、相手に委ねてしまっているのだろう。実にダメだ。

 おまけにホルガーは20代後半にもなって未だに包み隠しもせず母親の手料理に固執するマザコンだ。まあ、デンマークの貴族、宮廷詩人の娘として生まれ巫女スパーコナの修行を積んだ女性の、巨大な感化力のもとで育てば仕方がない、ともいえるのだが。


「あの二人には、それぞれに何かきっかけが必要だな」

「ああ、だがそれがどういうモノであればいいのか、俺には全然わからねえ」

「時間を待つしかないかな」

 フリーダは14歳。まだ手足も体も細く、幼い外見だが、あと一年か二年もすれば背ももっと伸び、付くべきところには脂肪がついて女らしい体型に変わっていくだろう。そうなれば求婚の話も殺到しようし、本人にも自覚が生まれる。

「トールがあの姉ちゃんを連れて帰って、仲のいいところ見せ付ければいいんじゃねえかなとも思うんだが」

「そいつはまだダメだ」

「何でだよ!」ヨルグが憤然と叫ぶ。

「俺にはまだ、女を養うにはいろいろと足りないものがある」

そういい残して、俺はヨルグを甲板に残し、先に鎖蛇号を下りた。


 とにかく、ここまではうまくいった。新式の記数法――ゼロを使った表示などに驚き目を丸くするリュックマンたちをよそに、アルノルはすさまじい勢いで目録をこしらえ、アンスヘイムの一行はその私物のほとんどを手元に奪還した。

 難しいのはここからだ。船を取り戻すにはやはり、どうしてもこの国の全権者、つまりアルフレッドに会わねばなるまい。




 午後遅く。港には俺たちがザンデで購入したフェーリングが下ろされ、オウェインと部下たちは「アイルの信女」号を指揮して、再びブリテンの白い岸辺を離れた。俺たちはブリュッヘのときと同じく、大きな建物を宿舎として与えられた。


 イレーネとフォカスは、どこか別の場所に宿を取ったらしく、食事のときも姿が見えなかった。ブリュッヘでの二日間かそこらの間、大体見回せば目に入るところにいただけに、この不在は物寂しい。

(まあ、ここには呼べないしなあ)

 例によって長館方式。壁に沿って土間からやや高くなった、炉辺焼きの店めいたしつらえの場所に枕を並べての雑魚寝だ。兄弟同然に育ったヴァイキング同士なら、それぞれの寝床に色事の相手を連れ込んでいてもさほど気にならないらしいが、俺にはそんな度胸はない。


 ふと思い立って、俺は自分の寝床を離れ、床炉の前に座ったホルガーの横へ移動した。

「トールか。どうした」

「ああ。ちょっと相談があるんだ」

「うむ、言ってみろ」

「このヴァイキング行が何とかうまくいって、アンスヘイムに帰ったら――小さなものでいい、家と畑が欲しいんだ。何とかならないものかな」

「そうか」

ホルガーは目を細めて、俺をしばし見つめた。

「お前には今回、いろいろと本当に助けられた。ウェセックス軍に捕らえられた俺たちを、万が一と願ったとおりに救ってくれたしな……畑はいろいろとややこしいが、家くらいは何とかしよう。……あの娘を迎えたい、と言うことなのだな?」

「うん」


 しばしの沈黙。


「飲むか?」

傍らの壷から角杯へ注いで、俺に突き出す。芳醇な蜂蜜酒の香りが漂った。

「有り難く」

この男を前にすると、どうにも言葉少なになる。俺は強めのその酒を一気にあおった。角杯は飲みかけの途中で放置できない。疲れの抜けきらない体にアルコールが廻り、体温が上がる。


「ちょっと外に出てくる」

 俺はそう断ると、剣とウードを携えて館の外に出た。


 少し離れたところに港がある。俺をこの時代に運んだあの船――鎖蛇号が傷を負ったまま月影の下でまどろんでいるはずだ。波の音があたりにこだまし、ぬるい夜風の中で何かの鳥の声が聞こえた。


 ザッ。

 砂利道に響く、低い足音。振り返るとその鼻先に向けて、細身の鋭い剣先が突きつけられていた。――殺気はない。

「おい――」

「動くな」イレーネだった。

 何だこれは。どうやらヘーゼビューでの一幕を再現しているつもりらしいが。

「止せよ。今日は桶も持ってない」

「あはは。失敬失敬。その楽器はありがたいね。月明かりでも影の形ですぐに君だとわかる」

「人違いでそれやったらおおごとだぞ」

「そうだね……まあ、今夜は風情のある言葉で頼む。いい思い出にしたいんだ。できればあの夜までさかのぼってやり直したいよ」

「それで、追いはぎごっこの再演と言うわけか」

 いい思い出、とな。どうやら相当な決心を固めてここまで来たらしい。ならば応えてやるのが男の務めだろう……とはいえ既に起こったことは変えられない。そもそもあの夜の顛末がなければ、俺は今こうして――

「やっ……!?」

イレーネを腕に抱きかかえてはいない。


「ヴァジの体当たりは省略だ。このまま教会やどまで運んでやろう」

「宿はちょっと遠いけれど、大丈夫かな」

 イレーネは軽い。身長は俺より頭一つ小さいくらいだ。伸びやかな手足のせいでやや大柄に見えることもあるが、鍛えられた体のバランスは支える側にも負担を感じさせない。

「へばったら下ろすさ」

「……このあいだの仕返しかい」

「……あれだな。俺たちは二人とも記憶力がよすぎるというか、いらん事まで憶えてたりいらん時に思い出したりするのが拙いんだろうな」

「そうだねえ」

 彼女の膝の裏を支えた左腕が熱い。シャツの胸に押し付けられた彼女の耳たぶが熱い。顔は恥ずかしさで真っ赤だった。

 イレーネの言ったとおり宿は存外に遠く、俺は足元が若干おぼつかなくなりながらもどうにかその、もとは誰かの屋敷だったらしい平屋の建物の門をくぐった。


「いい宿だな」

「オウェイン卿があのお役人に口添えして、探させてくれてね」

「なるほど」

 秋まではイレーネの身柄は、変わりなくボールドウィンの賓客という扱いなわけだ。


 干したハーブの束を思わせる、品のいい老婦人が俺たちを案内してくれた。通された部屋には簡単な食事――新鮮な卵のオムレツとチーズ、焼きたてのパンとワインが用意されていて、香ばしい匂いが漂っていた。

「じゃあ、まずは乾杯するか」

そう言いながら陶製の杯にワインを注ぐ。

 なにかハーブやスパイスが加えられているらしい。一口すすってみると、蜂蜜の甘みとシナモンの香りが喉から鼻腔へ拡がった。

「厨房に頼んで作ってもらったんだけど……どうかな?」

 どうにか顔のほてりの収まった様子で、イレーネが尋ねた。

「普通のワインを冷やして飲むほうがありがたいが、これはこれでいける」

「よかった……イポクラスって言うんだ。ギリシャの医者が考案した、体を温める薬酒だよ」

「へえ」

 体を温めるということはつまり――そういった効果も狙っているのだろう。

 杯の半分ほど飲んでしばらくすると、はたして腹の底のほうでほかほかと湯がわいたような感覚が生まれ、腰が少し重くなったような充血感が感じられた。無意識に、口元から長いため息が漏れる。

「この酒は、効くなあ」

「うん、温まるね」

 オムレツを口に運び、パンをちぎる。ろうそく数本を灯した薄暗い部屋の中で黙々と飲み食いしているのがおかしくなって、俺は出し抜けに彼女に話しかけた。

「少し、話でもしようか……そうだな、どうして男のような言葉遣いで喋るのか、教えてくれないか」

「ああ……うん。この喋り方、気になるかい? 不快かな」

「いや、全然。俺の国では美少女が男言葉で喋る姿には、むしろ一部に愛好家がいるほどだ」

「そうなのか」

「ただ、興味があるのさ。言い換えるなら……君が育ってきた道のりを垣間見たい」

イレーネは頬を染めて少し考えた後、ぽつりぽつりと語りだした。

「母上が東ローマ……ビザンツの皇家の出だということはあの時話したね」

「うん」

「母上は……その、何と言うか。美少年が沢山出てくる演劇が好きだったんだ。演劇が好きだったって事は前にも話したよね。とはいえ、ハザールの後宮で美少年を出入りさせるわけにも行かない。父の周りには侍童が大勢いたらしいけど」

ふむ。

「僕が生まれたときも、本当は男の子が欲しかったらしい。でもこの通り。で、母上は僕のことを男装させて、男の言葉を話す様に育てたってわけ。で、ほかにも大勢女の子を集めて男装させた劇団を作り、いろんな劇を上演させたんだ。男の子同士が神話的な闘いの中で友情を、更には愛情を育むようなヤツさ」

「それを女の子が演じるのか」

「そう」

 なるほど。イレーネの母親はいわゆる腐女子の類で、残念な人だったらしい。

「12の年からフォカスが教育係として新たにつけられて、それでやっと自分がおかしな育てられ方をしてることに気がついた」

「おぅ……」

「まあ普通に育ったところで、手柄を立てた将軍に与えられるとか、近隣の首長のところに嫁ぐとか、そういう運命だったろうね。母上の所蔵品やフォカスの持ってた写本の中には、そんな政略とか関係無しに、好き合った相手と幸せに暮らす話が幾らもあったんだけどね」


 ああ、そうか。この娘は俺と同じだ。与えられた現実に満足できず、思い描く理想の人生と足下の生活の間で引き裂かれて来たのだ。

 そうして、バルディネスのような野望に目がくらんだ男によって利用されかけ、この地まで逃れてきた。挙句に俺のような男に慰めを見出して――


 やるせない思いで、俺はイポクラスを一気にあおった。

「物語ってのはさ、この世で実現できないこと、かつては実現できたけどもはや叶わないことを書くものなんだよ。そういうのが売れるんだ」

「綺麗ごとだよね。でも実現したいと思った」

「綺麗ごとを実現できたら、それは奇跡さ」


 自嘲的な思いを込めて吐き捨てたはずの言葉は、だが目の前の王女の手で丁寧に拾い上げられ、白い胸元に輝く鎖に留められたらしかった。イレーネはそっと席を立ち、椅子に座った俺の後ろに回りこんで、耳元でささやいたのだ。

「トール。僕は奇跡が見たい。奇跡を生きたい」

 その瞬間、決して酒の力などでなく、俺は魂の全てを傾けてイレーネを愛していた。椅子から立ち上がり、半回転して彼女の体を抱きしめる。

「ああ、俺に出来ることならば。起こせる限りを」

お互いが、かたや身をかがめ、かたや爪先立ちに伸び上がって、二人の顔が近づく。


「僕に、奇跡をくれ」

 その言葉がまだ虚空に消えぬうちに、俺は彼女の唇をふさぎ、残りの呟きをせき止めていた。 

註1:ポータスの口

 現在のポーツマス。19世紀には軍港として栄えました。この時代には集落があったとされますが定かでありません。背後に現在も大きな森林があり、港に適した地形でもあるので文中のように造船基地として利用されていた可能性は高いのではないかと。



うむ、疲れた。R15ならまあこんなところまでだろう、たぶん。

長い間の砂糖漬け、読者の皆様もお疲れ様でした。

トールとイレーネ、ようやく結ばれた二人は何をなすのか。

次回、「はじめての共同作業」にご期待ください。17日の22時公開





我よりいでしものながら……もげろ。

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