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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
北海ヒッチハイクガイド
40/102

真白く燃え尽き、灰は残る

 干上がった喉を滑り落ちる液体の冷たく心地よい感触。薄めの蜜酒といってもアルコールが含まれているのには違いないので、いずれまた喉が渇くのは必至なのだが、とりあえずは癒された。

 どうにかこうにかインド人の騎士・オシアン卿(サー・オシアンすなわち『沙和尚』)をサムエル神父の一行に加えた俺は、短いインターバルを取っていた。


「ちょっと頑張りすぎじゃないのか、トール。俺も同じ分量喋ってることを忘れないでくれ」

 少しだけ恨めしそうな表情で、ロルフも蜜酒をあおる。そう、俺はノルド語で語っていたのだが、それと同時にロルフは(流石にメロディーはつけていなかったが)フリジア語で副音声を担当していたのだ。

「何とかあと二時間で結末まで持ち込む。すまないがもう少しの間頑張って欲しい」

「……あんた一体、何と戦っているんだ」

もちろん、自分自身とだ。だがそんな現代的な観念を彼らに説明しても仕方がない。


「そろそろ行くか」

バンド時代にだってこんな長丁場のステージをやったことはない。なのに後から後から奇想は尽きることなく湧き続け、眼前の観衆が目を輝かせて沸くさまに俺のボルテージはさらに上がるのだった。なにせ娯楽の少ない時代――


 ああそうか、わかった。俺自身が娯楽を求めていたのだな。


 娯楽がなければ生み出せばいいのだ。奇妙な自己解決を反芻しながら、俺の指と喉は、サムエル神父一行の旅路をさらに西へとたどらせた。



「重苦しく疲労と混乱を額に張り付かせ、着の身着のままの群衆が羊やラクダといった家畜とともに長い列を作って歩いてきた。サムエル神父のすぐ目の前で、老人が足をもつれさせて崩れ落ちた。

『み、水……』

『これは一体どうしたというのです。ジャン、この人に水を!』

『お師匠様、我らの水もこれで尽きますが』

『構いません、さあ早く』

 皮の水筒にわずかに残った水をむさぼるように飲み干すと、老人は平蜘蛛のようにはいつくばって一行に礼を述べ、そして謝罪した。

 この先のイラン高原各地では、天使の姿をしたものたちがわずかな金を押し付けては遊牧民といわず定住民といわず、土地を召し上げて追い出しているのだという。

『一体何事なのですか』

『それが……天界と地獄の最終戦争ハルマゲドンのために、土地を買い上げて軍勢のための駐屯地、宿泊施設や両軍のお偉方のための観覧席、一騎打ちをする生え抜きの武将たちのための闘技会場を作るのだとか』

『なんとでたらめな! 天使のすることとは思えない』

『お師匠様、これはどうも怪しくはありませんか』ジャンが金色の瞳をぐるぐると巡らせ神父の方をうかがった。

『堕天使を代表して言わせて貰いますが、悪魔と呼ばれるまで堕落したものでも、土地に執着するようなものはあまり……地獄経済は魂本位制だそうですし』

ハキエルも口を挟む。


『よし、そいつらぶった切るか』

オシアンが降魔の利剣を鞘走らせ、物騒なことを呟いた。普段無口なこの騎士は口を開くと大体陰気くさいか血なまぐさいかどちらかなのだ。


 建設現場へと近づくと巨大な車ジャガーノートが車輪を並べて何台も押し寄せて来た。

一行を押し返して轢き潰さんばかりの勢いである。巨大化したジャンの棒が半分ほどをつぶしたが、その時辺りに激しい砂嵐が吹き荒れた。

『何だこれは、夜でも来たみたいだ』

『あの砂煙の中に何か、翼の生えたものがいますよ! 天使……?』

『あんな天使がいるものか! 200リーグ離れてもこのひどい匂いだ』

砂が目に入り一行の視界は闇に閉ざされた。鋭い痛みが尽きることなく眼球を襲い、頭の奥まで侵食してくるようだった。

 たまりかねて一行はハキエルとジャンの飛行能力を頼りに、ペルシャ湾のほとりまで逃げ延びた」


 どうにか海岸近くのオアシスで水神エンキの癒しに与った一行は、ジャンをイエスの許へ救援の要請に向かわせることにした。ジャンを伴って駆けつけたイエスが、十字架を駆って砂嵐の中心にいたものと対峙する。


「『光あれ』イエスは天地をお造りになられた父に倣い、そう言われた。果たしてそのようになった。十字架の周囲で陽光が集められ矢のごとく打ち出されると、宙に舞う砂粒は溶け落ちて瑠璃ラピスラズリとなった。

 砂嵐の消えた後にそびえていた影は、バビロニアの魔王パズズとその眷属たちであった。雲を突くばかりの高さに伸び上がり、人を無限の苦しみに突き落とすさそりの尾を振るって暴れたが、御子の力が強く降り注いでいたためもはや砂嵐を起こすことはできなかった。


『ぶった切る、俺はそう言った。だが訂正する――ぶった切った、だ』

オシアン卿が宙を駆け、パズズのさそりの尾を断ち切って落としたのであった。そしてジャンの棒がとどめに魔王の頭部を粉砕した。


『やれやれ。まだ何千年も先に控えてるハルマゲドンをちらつかせて、土地利権を転がすとはとんでもない俗物魔王だぜ』

『羊が草を食むべき土地にこんな石と漆喰の建物を建てては、遊牧民たちが暮らせませんね。あとに悪い影響がのこらないよう、片付けてしまいましょう』

『それは私がやろう。神殿を壊すのとか得意だからね』

 御子はそのように言われ、パズズに追い払われていた人々を呼び戻して、ともに瓦礫を取り除けられた。また、エンキ神から魚とパン、ワインが届けられ、イエスはそれを集まった限りの人々、およそ5万人に行き渡らせ、飢えることの無いように計らわれたのであった。アーメン!」


 その後も旅を続けた一行は、やがてついにエルサレムに到達した。ゴルゴダの丘に朝日が昇り、天使たちがサムエルを讃えて歌う中、生前と変わらぬ姿で山羊にまたがったイエスが、一行に黄金とエメラルドをちりばめた素晴らしい装丁の聖書を手渡した。新約旧約の二巻本となっていた。


「『副読本にこの黙示録もつけておきましょう。お腹がすいたら食べてもいいですよ、蜜のように甘いはずです』

『腹の中で苦くならないようになりませんかねえ』

『苦いから効くんですよ』

天界戦争で戦ったころに比べるとずいぶん親しみやすくなったな、とジャンは御子を仰ぎ見た。受肉して人として暮らされた影響であろうか。

『ありがたや、俺は再び死すべき定めを取り戻したぞ!ここはよい場所だ、死ぬときはまたここに来よう』

 オシアン卿ははらはらと涙を流してエルサレムの町並みを眺めた。呪いのために殺めた人々への贖罪がまだまだ残ってはいるが、ひとまず彼には安息が約束されたのだ。

『ハキエル大叔父さんはどうする? 天に昇るのかい?』

『うーん、もうちょっと地上で人間の女の子を眺めていたいなあ。手を出さないとは誓ったけど、イブの子孫は見てるだけでもいいものだからね』

『これ、弟子たちよ! まだ我々の旅は半分が過ぎただけです。まずはキタイへ帰らねば』

『おお、そうでしたそうでした』ジャンが頭をかいた。

『じゃあまた帰り道もバグダッドでお茶しようよ』

ハキエルが享楽に精通したところを発揮すると、オシアン卿も見たことも無いような晴れやかな顔で応えた。

『それはいいな。死ぬのはもうちょっと延期にするか』


 こうして、平和になった絹の道を再び東へとたどる一行の上に、主のお恵みの光はとめどなく降り注ぎ、道中を明るく照らしたのでありました。


 やがてサムエルの後継者の系譜には東方の偉大なキリスト教君主、プレスター・ジョンが現れることになるのですが、それはまた別のお話でございます。今宵はこれにて、ご高覧ありがとうございました!」


……何か大変な事象の種をまいてしまったような悪寒もしたが、この際忘れよう。


 ウードを掲げて深々と腰を折り礼をすると、万雷のような拍手が鳴り響き、銀貨や銅貨の小銭と慎ましやかな野の花とが俺たちの周りに投じられた。俺は最後に軽やかな跳ねたリズムの陽気な曲を演奏して、その夜の興行を締めくくった。



 時間当たり平均身長 80エレ


 瞬間最大接地重量 5万ケッグ


 1エイリルは 8ディルハム


 計って使えば エコノミカル


 オリーブ油とぶどう酒 大特価


 小麦大麦主要穀物 大暴騰



 悪魔が笑うこの世の中で 泣いてるだけじゃつまらない


 俺の血しぶく一撃で 連日満員この牢獄を打ち砕くぜ


 (科白)「血しぶくのはダメだろ」「あッ」 


 中にいた人、お許しを! 俺は斉天大聖ジャン・ド・クー



 皆で行こうよエルサレム


 俺と一緒にエルサレム


 こりゃまた聖地にイスラム居座れむ!


 だけどいつでもどこでも君と一緒にいられれば――


 そこが俺のエルサレム


 いつも素敵なエルサレム!


 (イェルーサレェーム!)




(註 エレは長さの単位、約49cm。ケッグは釘の入った樽に起源を持つ重さの単位、1ケッグで100ポンド=約45kg)



「流石に疲れたな」

 俺は苦笑しながら炉の前にへたり込んだ。かれこれ5時間近く演奏と歌を続けたことになる。喉が腫れ上がってもう変な声しか出ない。ウードのチューニングもいささか怪しくなっていた。あとで丁寧にペグを締めなおしてやらねば。


「あんた、バカだ。頭が悪いという意味じゃなくて頭がおかしいほうのバカだ。確信した。……いっそ尊敬するぜ」

ヨルグがどんよりした目で俺を見てかぶりを振った。彼の割った薪の山は軽トラックの荷台いっぱいくらいの量になっている。

「ひどい言われようだな」

でも確かに自分でもバカだと思うので否定できない。


「なあ、『西遊記』ってのはほんとにああいう話なのか」ロルフが疑わしげに俺に訊いてくる。

「キタイとこっちの文化的差異を考慮して細部は変えたが……大筋じゃ間違ってないぞ」

世の人々を救う教えを届けるために旅立った聖職者に、かつて罪を得て地上に落とされた半神や英雄が協力し、旅の途中で降りかかる災難を退けて目的を果たし、罪を許される。

 うむ、何も間違っていないな。リンベルト師あたりに知られたらヘーゼビューから全力疾走してきてしこたま殴打されそうだが。「間違ってはいないのだがなぜか殴らないと気がすまない」とかなんとかそういう理不尽なことを言われる気がする。


「イェルーサレェーム!」

ザラはさっきからエンディングテーマを繰り返して歌っていた。気に入ったらしい。

「いやあ、面白かったわあ。トールはん、すごいなあ。……でも、カトーさんは結局出やんの?」

「出ねえよ!」

そいつが出るのは日本のごく限定されたアレンジ版、というか一作だけだ。そもそもローマの政治家とは一切関係ないカトーだし。


「まあしかし、思いのほか金になったな」

「そうやねえ」

 ザラが愛想を振りまきながら拾い集めた小銭は、裾を持ち上げたスカートのくぼみにいっぱい、おおよそ2エイリルほどになった。銅貨が主なのでかなりかさばる。


「これを抱えて歩くのはきついなあ。せいぜい宿屋の主人や町の門番にはこまめに心づけをしよう」

「そうだな。稼ぐところは大勢に見られてるし、気前よく振舞ったほうが面倒が無いだろう」


 そんな話をしていると、深夜だというのに宿の主がエールと軽い食事を運んできた。

「さあさあ皆さん、お疲れでしょう。粗末な料理ですがどうぞ!」

 着いた時に比べて言葉遣いがずいぶん丁寧になっている。上客と見込んでのことだろう、現金なものだ。


「早速来たな」はじけたように笑いあう俺たちに、主が怪訝な顔をする。

「お客さん、どうなさったんで?」

「ああ、すまんすまん。いやちょっとな」

 料理は古くなったパンを再利用したらしいプディングと、程よい塩味の利いた豆のスープだった。プディングの生地にしっかり滲み込んだ卵とミルク、それにところどころに顔を出す松の実が、中々の取り合わせである。軽めの量も夜食としては気が利いていた。


 心づけに銅貨を数枚、ロルフが手渡すのを見計らって、俺は主に尋ねた。

「この先の道、馬では無理だと言ってたな。船はどこかで手に入るのかね」

ああ、と主は得心すると、やや声をひそめて話し出した。

「ブレーメンは東フランク。この町はこの間までロタリンギア(ロタールの国)の領土でした。つまりヤーデの水郷地帯は外国との国境だったんですよ」

「なるほど、それで?」

「きちんとした渡し舟がまだございません。さらに悪いことにイェファーはほぼデーン人の町なんで、ここの商船でブレーメンまで行くのも無理です。警戒されて港に入れません。特に昨今の情勢では」

 国際情勢のあおりとは厄介な。ここからドーレスタットには航路があるだろうが、それではザラをこと志と違う旅程で振り回すことになる。

 俺はプディングを箸先で小さく切りながら話を続けた。

「こっちの靴屋の父娘はどうあってもブレーメンへ行きたいというんだが、どうすればいいかな」

横目でロルフとザラに一瞥をくれてみせる。

「陸路で南東へ行くと、ヤーデの入り口にザンデって町がございます。そこで小船を買うか――」

主がふと、言葉を濁した。

「買うか――何だい?」

「ええ、あの辺には漁の合間に旅人や商人を襲って暮らしの足しにする、蛮族の漁師どもが居りまして。デーンの生まれの私が言うことでもないですが、言葉も通じない厄介な連中です。返り討ちにできればやつらの船を――」

「無茶言うな。おとなしく小船を買うよ、そんな剣呑な話を普通の選択肢みたいに持ち出さないでくれ」

苦笑しながらそういうと、「いやあ、私もまだ血の気が多すぎていけませんなあ」と主も禿げ上がった頭を照れくさそうに掻いた。


(とりあえずはザンデへ向かうか)

 何かを期待する顔で目を輝かせ斧の手入れをするヨルグから、そっと目をそらしつつ、俺は夜食のあと早々に寝床にもぐりこんだ。


「じゃんどくう」エンディングテーマを先に書き上げて今回を書き始めました。これまでの厨二くさい歌詞とはちょいと趣が異なりますが、これはこれで。

70~80年代のアニメソングの感じを思い浮かべながらお楽しみいただければ大体あってると思いますw

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