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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
北海ヒッチハイクガイド

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39/102

堕天使にコミックソングを、あるいは「じゃんどくう」

「……見よ、天界を二分する戦いのそのさなか、太陽と見紛う光を発し奈落そのものに等しいほどの深き影を投げかけながら、雲の間から立ち上がるものがあった。その足の片方はナイルのほとりを、また片方はジブラルタルの断崖を踏みしめていた。その者が手にした黄金の棒の一振りで、サタンの軍勢の20分の1にあたる反逆の天使たちが、星辰のしろしめす闇の彼方へと吹き飛ばされた」


「コメット」の脆弱なガット弦を気にしながらも、俺は似非スパニッシュギター風の速いパッセージと大胆なボイシングのコードをかき鳴らしては語った。物語はちょうど、西遊記の前半の山場、『大閙天宮(おおいに天宮をさわがす)』のくだり。

 中国風の天界はあまりにもキリスト教上の観念から遠いので、俺はサタン堕天に先立つ天界の戦争に、悟空役であるところの『一撃のジャン(ジャン・ド・クー)』を登場させることにしたのだった。許せ、ミルトン。


「金剛石をちりばめた黄金の鎧をまとって威風堂々と進み出たサタン自らが、その巨大な影に向かって呼ばわった。『お前は何者だ。なぜわれらの決起のその日にこの場に現れたのか。造物主と私と、どちらに与するものなのか?』

 影は応えた。その声は嵐の夜の雷鳴のようであり、地上のすべての人の怒号を一つにしたかのようでもあった。『我はグリゴリのすえ、ネフィリムの子。主の摂理に見放され、救いからも隔てられ、大食の罪を受けて洪水によって滅んだ兄弟たちの怒りを代行するために時をさかのぼって来たのだ。お前たち悪魔にも、天使にも、造物主にも、その怒りは等しく撃ち下ろされるであろう』

 あまりの内容に衝撃を受けて、サタンの目がくらんだ。よろめいて後すざった彼にかわってモロクが躍り出る。

『何たる不遜! 何たる倣岸! 名を名乗るがいい、私がお前の死と引き換えに世の終わりまで記憶してやろう』」



 上演前の手短な打ち合わせで、決めのアクションが入る箇所では、ヨルグに合図して何がしかの物体破壊を演じてもらう手はずになっている。ヨルグは表情のどこかに不信感を漂わせながらも、薪割り用のマサカリを手に俺の合図を待っていた。


 一合、二合とモロクとジャンの一騎打ちが続き、天界の戦その両陣営が固唾を呑んで見守る。モロクの剣が折れ、盾が弾き飛ばされた。 


「『我は……』言い終わるのを待たずに、巨人がモロクに棒を振り下ろし、叫んだ。

『斉天大聖ジャン・ド・クーだ!』

ガシッ! ボカッ!

おぞましい粉砕音とともに(ちょうどここでヨルグの斧が、80cmほどの長さのある薪用の端材を縦に割り開いた)モロクの光体が潰滅した。アーメン!」


 ご丁寧に身体を独楽のように一回翻して斧を振り下ろしたヨルグの形相が、真に迫ってものすごかったせいもあり、観衆はどっと沸いて拍手が鳴り響いた。



 続いて天使の軍勢からウリエルが進み出た。手中に燃える炎を携える、とされるこの天使は、後にヤコブに姿を変えて人間の世界に降り立ったともいう。

 天使はジャンを空中戦に誘い、先んじて大空に飛び上がる。日本人男性なら幼少のころから数え切れぬほど繰り返して成人までには一芸の粋にまで高められる、光り輝く宇宙人の掛け声を、俺はためらいなくこのシーンに織り込んだ。


「『ジョラッ!』ウリエルの六枚の翼が光り輝き、彼を天空の恐るべき高みへと運んだ。

『デュマッ!』ジャンも遅れじと身体をゆすり、120キュビトの大きさまで身を縮めて稲妻のごとき速さで後を追う。彼らが飛び交うごとに大気は震えすすり泣いた。ウリエルの剣とジャンの棒、恐るべき二つの武器が空中で打ち合わされるたびに目のくらむような閃光が空を満たし、直視した悪魔あるいは天使の多くの者たちが、再び視力を快復するまでに数日を要した」


 しかし、この戦いは決着のつくことなく終わった。造物主の右側に座していた「独り子」イエスが光り輝く十字架に乗って大地の陰から日輪の上るごとく、巨大なその姿を現され、ジャンの慢心の隙を突いてその掌に捕らえて彼をヒマラヤの山腹に封印したからである。


「さて時は流れ流れて……200年ほどの昔、キタイの都長安に、ネストリウス派の教えを奉じる教会があった。ここに名をチェン、洗礼名をサムエルという神父がいたが、ある日、夜の夢に天使ミカエルが現れた。

『サムエルよ、お前の住むキタイでは、人々は未だ真の信仰に目覚めず、窃盗と姦淫に明け暮れ隣人の財をむさぼり、外に対しては常に戦を仕掛け止むことがない。サムエルよ、お前は万難を廃してエルサレムへ来なさい。そこでは真の信仰を導く完全な聖書が与えられるだろう。持ち帰ってキタイにその福音を伝えなさい。そしてこの旅によって、前世にお前の犯したさまざまな罪はすべて清められる』

 そしてミカエルはこの夢がただの夢でなく、真に天使との感応であることを示すために、サムエルの頭蓋を指で貫き、穴をうがったのだった。

『痛い痛い、お許しくださいミカエル様。サムエルは一切の疑いを抱くことなく、必ずやエルサレムへ参ります!アッー!!』」

 ミカエルの必殺技「指で頭蓋骨ほじほじ」であった。彼は708年にも北フランスでやらかしている。



 ヒマラヤのふもとへ差し掛かって数日。山腹の大きな岩の下から、人を呼ばわる声がした。神父が馬を寄せて覗き込んでみれば、そこには古代の英雄もかくや、と思わせる炯炯たる眼光の美丈夫が腰布一つで鎖につながれていたのだ。これぞ数千年前にイエスによって封じられたジャンの姿だった。東方の三賢者たちによってエルサレム巡礼の聖職者がここを通ると教えられ、戒めを解いてもらおうと必死なのだった。


「『我々ネフィリムの子にも魂はあるのでございます――』天使と人の子の間に生まれながら、永きに渡って主の御手より零れ落ち、福音に与ることなく忘れ去られてきた一族。巨人の眼から、一滴の涙が流れ落ちた。

『お前に洗礼を施そう。私の弟子として主に仕え、ともにエルサレムへ向かうのだ。これよりはゆめゆめ、怒りに任せて力を揮ってはならない。いいね?』

『誓います』

サムエルはジャンに洗礼名『ジョージ』を与えた。晴れ晴れとした表情で巨人が身をゆする。

『デュマッ!』ヒマラヤの峰々に掛け声がこだまし、次の瞬間、簡素な衣服に身を包み光り輝く黄金の長棍を携えた、涼やかな眼差しの青年の姿がそこにあった

『参りましょう、お師匠様』」


 次にサムエルの一行に加わったのは、美しい堕天使であった。名をハキエル。人間の女性たちと交わるために、アザゼルとともに地上に降りたグリゴリの一人であったが、

「『間違って雌豚の体内に降臨してしまい、いろいろあってこの有様ですよ!』

 ほっ、と口から吐息を吐くとともに脱力すると、その姿は六枚の巨大な翼を広げた中性的な美少年から、不似合いに官能的な乳房と二枚の小さな翼を持つ愛らしい子豚へと変わった。

『うむ、せめて服を着なさい。その……いくらなんでも乳首が赤すぎる』

『先ほどの天使の姿を保つには常時、天使としての力の八割を消費せねばならないのです。だもので腹が減る減る』

『お師匠様、どうします? こいつを連れて行くと食費がとんでもないですよ。きっと』

ジャンが意地悪くハキエルの足を引っ張る。彼の祖父はつまり、ハキエルの同輩である。いうなれば巨人の堕天使に対する感情は近親憎悪に近かった。

『三賢者の方々が取り決めたことであるからなあ。大体、天使の姿をとらなければ別に食事もそれほどかさむまい。ハキエルよ、お前も私の弟子としてついて来なさい。エルサレムへの旅が終わった暁には、必ずや天使として主のおそばに戻れるよう、取り計らおう』

『ありがたき幸せ! 必ずやお役に立ちましょう』

『いいからとにかく服を着なさい』

 旅立つ一行の後を、ハキエルが隠れ住んでいた村の年若い娘たちが思いつめた表情で追いかけた。美貌の少年に懸想する娘は数知れなかったが、三賢者から帰天の可能性を示されて以来、罪を重ねるのを懼れて彼はいっさいの手出しをしていなかったのである。

『ほんと、私は一体何のために堕天したのだろう』

『うちの爺様ですらちゃんと人間の娘を娶ったというのに、大叔父さん(ハキエルのこと)ときたら――』」

 観衆がどっと笑いはじけた。いつの世にも恋愛における個人間の格差というものは、人の大きな関心事であるようだ。


 巨大な流砂に進路をふさがれた一行の前に現れたのは、魔物に不死の呪いをかけられたインド人の騎士、オシアン卿だった。

「『ジャン君、こいつ強いよ。ちょっと助けて?』

 断崖を駆け下りて襲い掛かってきたオシアンを、ハキエルが迎え撃つ。しかしたちどころに堕天使は苦戦を強いられることになった。

 そもそもハキエルは堕天の時点で、造物主から預けられた神威のほとんどを剥奪されている。彼に残っている能力は主に変身と飛行。絶世の美女から紅顔の美少年、愛くるしい子豚まで自在に姿を変えることが可能だが、断崖を蹴って反動で空中を数リーグ移動し、大岩を一閃で切り裂く利剣を振るうオシアンに対しては、いささか無力に過ぎるといえた。

『大叔父さん、もっと荒々しいものに変身はできないのかい』

『身の丈300キュビトの大猪に変身できるよ……だけどあれは破壊力と引き換えに知力がほとんどなくなるし、お腹が』

『あんたは妙に理路整然とした制約が多すぎだ!』

ジャンがハキエルと交代に、流砂の上空へと飛び出す。

『お師匠様は頼むぜ……武装変身!』

巨人は戦闘に適した金色の鎧をまとった姿をとり、腹の前で手を合わせてそこから黄金の長棍を引き出した。彼自身の生命の一部を物質化させた武器である。なればこそ大きさも自由自在に変化するのだ。

『我は斉天大聖ジャン・ド・クー! 貴様は何者だ!』

『俺は騎士オシアン、ただの人間よ! 倒した魔物に呪いをかけられ、死によって安息を得ることができなくなった。この呪いを解くには流砂のほとりまで来た人間をあと1500人殺さねばならんのだ!』

『愚かだなあ。そういうのを視野狭窄って言うんだぜ』

ジャンの棒とオシアンの剣が空中でぶつかる。その勢いはほぼ互角であった。巨大化して戦うにはオシアンは敏捷すぎるし、うかつに巨大化したまま武器を振るえば、生身の人間に過ぎないサムエル神父にも危害が及ぶのだ。軽口を叩きながらもジャンの背筋にはべっとりと汗が流れ出していた」


 かれこれ2時間歌いっぱなし、そろそろ喉が痛くなってきた。指も頭も疲れたし、なんとかオシアンが仲間になったあたりでいったん休憩にしたいものだ。

 観衆はまれに見る手の込んだ娯楽にすっかり心を奪われている。切りのいいところまで歌い上げればおひねりも相当の額になるだろう。旅先で財物を手に入れるという意味ではこれも立派なヴァイキング行なのだ。そう自分に言い聞かせて、俺は宿の主人に頼んだ蜜酒を待った。 

 よいこの皆、ジャンの如意棒ドローアウト(抽き出し)アクションは危険なので決して真似しないで欲しい。楽師トールとの約束だ、いいね? 特に男の子。そいつは玩具にするためのものじゃないし、武器でもない。


筆が走るので次回へ続く。


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