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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
北海ヒッチハイクガイド

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第三十八回 楽師、寒村に児女を扶けて鵞鳥を焼き 血斧児、沼沢に依って金甲神将を得る

後半に食欲を刺激するシーンがあります。読む時間を選ぶか、もしくは何かお腹に入れるものをご用意ください。


あと、欝展開があります。

 正体の分からない男たちの死体を、俺たちは街道の脇の草むらまで引きずっていった。

「ここいらがよさそうだな」

 ちょうど良く粘土質の軟らかい地面がある場所を探り当て、暗闇の中、松明の明かりを頼りに浅い穴を三人分掘って雑に土をかぶせる。盗賊たちの壊れた盾の破片がシャベル代わりだ。馬と女の番をしていたロルフのところまで戻って戦利品を重量で均等に分配し、それぞれ担いだ。


「ひどい斧だな。まるで農場の薪割り用だ」

ヨルグが斧にうるさいところを見せる。いや、そもそも斧にうるさいなどと言う嗜好の存在自体、俺には良くわからない事だったのだが。日本人の大部分にとって、近接武器といえば刀か剣が真っ先に連想される。だがどうやら北方人たちにとってはそうでもないらしい。


「戦闘用の斧ってのはさ、重さが気にならず自在で、なんと言うか洗練されてなきゃだめなんだ。もっと薄刃で……」

「まあ見たところ鉄自体はそんなに悪くないようだし、鍛冶屋に渡せば何かの材料くらいにはなるだろ」

 遠い目で斧語りを続けるヨルグを、ロルフがやんわりととどめた。


 昔ほんの暇つぶしに遊んだネットゲームでそんなクエストがあった。遂行できるレベルに変な制限があったのと、所持重量の限界がシビアなのが嫌だったのだが、あれが無かったらもう少し長くプレイしたかもしれない。


 さておき。


「そろそろ起きてくれないかな、この女」

 俺は馬の鞍に載せられたままの女を見上げる。頬に青あざをこしらえ、掴まれ引っ張られたであろう明るい茶色の髪はばらばらに乱れて、額には何かにぶつけたのか小さな裂傷があり乾いた血液がこびりついていた。

(ひどいなあ)


 ヘーゼビューでイレーネと出会ったときのことを思い出す。彼女は気絶こそしていたが顔面はきれいなもので、肌や髪質の健康さからその高貴な出自が窺えるほどだった。

 対照的に目の前の女はごく平凡なこの時代の農民らしく、痛んだ髪と年齢以上に衰えた肌が日々の生活の厳しさをうかがわせる。

 耳元で強く呼びかけながら、頬を叩き、手の甲をつねってみる。しばらくそうしていると、女はようやく薄く目を開いた。


 ロルフがフリジア語でしばらく女と話し込む。ノルド語と似ているようでまるで違う言語だ。どことなく英語にも似て聞こえた。

「この女の名はザラ。ここから南西のヴェルドルムとかいう集落に住んでるそうだ。さっきの男たちはこの辺をうろついてた盗賊らしい。あと、ノルド語は少しなら分かるそうだ」

ロルフが女から聞き出した情報を俺たちに伝えた。

「なるほど。それで、その村は泊めてくれそうかな?」

「訊いて見よう」

会話にノルド語が混ざって、少し意味の分かる単語が聞こえてくる。「村」とか「母」とかいう言葉が耳についた。

「あまり思わしくないな。彼女が近隣へ出かけた帰りに、盗賊どもが村のほうから馬で駆けてきて捕まったそうだ」

「うわ、ろくな予感がしねえ。愁嘆場とかもう嫌だぜ」ヨルグが流石に顔をしかめる。

俺も暗澹とした気分になった。村はおそらく掠奪を受けていることだろう。


「とにかく案内してもらおう。馬に横座りでも何でもいいから乗せちまって」


 にわか作りの一団はザラの案内で南西へ進んだ。街道をはずれ狭い農道に入り、縫うように進む。ヨルグが先頭に立ち、俺がその後ろで松明を持った。馬の手綱はロルフが握り、しきりにザラと会話を交わしていた。



 ヴェルドルムに到着すると、辺りには油脂ランプの光一つ無く、静まり返っていた。

「何だよ、もう」

ヨルグがうんざりした顔で夜空を仰ぎ、ザラが馬から飛び降りて泣き崩れる。村といっても家が三軒、水車も無く、低い垣根と雑木林に囲まれた真ん中に共同井戸がある程度のものだ。

 その狭い居住地のあちこちに、松明に照らされて黒々と横たわるものがあった。逃げ惑って挙句に殺害された遺体だ。


「警告を無視して斬りかかってきたとはいえ、少々やりすぎかとも思ったが……ぶち殺して正解だったようだな、あいつら」

ロルフが憤然と吐き捨てた。強盗や掠奪には嫌気が差したと告白した矢先にこれだ。彼の気持ちを思えばこれは全く気の毒すぎる。

「状況を総合するに……夜盗たちはどこかへの移動の道すがらここを襲って、住人を惨殺したあと金目の物を探し、報われぬまま街道へ出てザラを発見したということらしいな」


 俺たちが殺した三人の持ち物にも残った馬の鞍袋にも、特にめぼしい金目のものは無く、剣二本と斧、それに保存状態の悪い干し肉と銀貨1枚に銅貨が5枚、それに腰につける皮製のカバンめいたものと、中に入っていた男物の古着――多分、着替えだろう――くらいだった。


「お父やん……お母やん……」

嗚咽を漏らしてへたり込んだままのザラに、ヨルグが流石に遠慮気味に話しかけた。

「なあ、姉ちゃん。大変なことになって途方に暮れるのは分かるが、俺たちは腹が減ってるし、今夜の寝床にも困ってる。助けたよしみで、というのもなんだが何か食わせてくれないか」

相変わらずのデリカシーのなさだが、状況を進展させるには役に立つ。


不慣れなノルド語でまくし立てられて、ザラが一瞬きょとんとした表情になる。

「ああ……ご飯やね。うん、わかった」

朦朧とした様子で台所に入り、かまどに火をつけようとしてはたと手を止めた。


「なあ、小父やんら、これからどこへ行くん?」

振り返った顔には何かもう、疲れきったという様子がありありと浮かんでいた。


「西フリースラントのドーレスタットへ行く」ロルフが答えた。

「うち、知らん町や……きっと遠いわなあ」

「ああ、遠いな」


「ねえ、ブレーメンへ連れて行ってくれへん?」

妙なことを言い出す。確かにこの辺りから近かった気はするが、方角がぜんぜん逆だ。

「何か考えがあるらしい、フリジア語で訊いて見よう。そのほうが細かい話ができる」

 ロルフがしゃがみこんでザラと会話を続けるしばらくの間、俺とヨルグは辺りの死体を片付けることにした。せめてもの事、まぶたを閉ざし指を胸の前で組んで埋葬にふさわしい形に整えてやろう。


 もっともその試みのうち、手指に関しては死後硬直に阻まれたのだが。


 家屋の中に倒れている死体まで丹念に探し、一番大きな家の広間に並べた。そうしているうちに、盗賊が見逃した床の収納スペースをヨルグが発見した。開けてみたが流石に小さな子供がかくまわれている、などということは無く、ただ俺たちにとってありがたいことには壷に入ったワインが見つかった。安物だろうが気の抜けたエールよりはずいぶんましだ。

 作業を終えて戻ると、ザラが妙に張り切って食事の支度をしていた。何事だろう。ロルフに聞いてみると、彼女を連れてブレーメンへ行くことがほぼ決まった様子だった。


「何でまたそんな……」

「いや、中々悪くない計画だった」


 このヴェルドルムの集落は、数年前に例の僧院と付随する村(ホーエンキルヒェンとか言う名前だったらしい)が襲撃された際に、何とか逃げ延びた数家族で住み着いたものらしい。

 前述したように水車も無く、パンを焼くための粉は近隣の水車のある村まで出かけ、日曜ごとのミサもそこの小さな教会で受けていたのだが――とにかくよそ者と言うことで冷淡な扱いを受けていたのだという。

 村が無くなったとなれば普通は隣村に身を寄せる。だが彼女の場合は、その父がデンマークから商用で来ていて病にかかり、なし崩しにホーエンキルヒェンに定住した、いうなればヴァイキングの成れの果てだった。――ザラがノルド語を少し話せるのはそのためだ。


 彼女自身は母の影響で敬虔なキリスト教徒なのだが、周囲は中々そうは見てくれない。それが彼女の人生に呪いの様に覆いかぶさる因縁だった。農村の狭い社会の中で疎まれながら生きるより、大きな都市で良い奉公先でも見つけて――最悪、奴隷でもいい――新しい生活を始めたい、というのがザラの願いだった。


「思いつめたもんだな。家族や隣人の埋葬はどうするんだろう、その教会に頼むのが筋じゃないのか」

「それも聞いてみたんだが……金がかかるらしい。それも割りと多額の」

……世知辛いなあ。


「で、何であんなに料理張り切ってるんだ」

「ブレーメンに連れて行ってやると承諾したら、こう言い出したんだ。『この村でつましく暮らすのはもう終わり、それなら今夜は有り合わせのものをかき集めてご馳走にして、旅立ちを祝い、同時に死者への供養にしよう、と」

「敬虔なキリスト教徒だと聞いたが。なんだか異教的だぞ、それ」

 ちょっと仏式の葬儀の後に行われる精進明けのご馳走を連想する。


「親父さんの信仰の影響もあるんだろう。まあ、たらふく食えそうだしそこは歓迎しようじゃないか。で、ここからだが、ブレーメンは大きな港町だ。デーンやフリースラントの商人が各地へ船を出している」

「ははあ」

 ブレーメンまで移動して、ドーレスタットか少なくともその方角へ向かう船を探して便乗しよう、ということか。それならいったん海に出た後は日程を大幅に短縮できるだろう。大きなトラブルが無ければ、だが。


「なるほど、現実的な案だな」

「足手まといかもしれんがブレーメンまでのことだし、彼女の為には馬もある。今夜の食事と寝床は提供してもらえるし、俺たちとしては断る理由も無い」

そのあとロルフは、皮肉な調子で付け加えた。

「女が隊列の真ん中で馬に乗り、楽師を伴っているともあれば、俺たちの正体に気がつくものもそうはいるまいしな」

 鞍にうつぶせに乗せられるか、横座りで鞍の上に身を起こすかは大違い、というわけだ。



 台所から不意に声がかかった。

「ねえ! これを焼くの手伝うて!」

覗いてみると、ザラが下処理を済ませたガチョウを丸ごと、炉の火の上で炙ろうとしていた。何日か熟成されたもののようだ。

「よくさっきの連中に盗られなかったな」

「裏の林の中に、隠し場所があるんや」

 祝祭めいた晩餐の予感に、彼女の顔はかすかに紅潮して嬉しげだった。悲しみの反動で躁状態になっているのではないかと、少し心配になる。

「それでね、脂が出てくるから、それをお皿にとって集めて」

「ほうほう」


 ガチョウの脂といえば、たしかフランスなどでは高級品として料理に使われる食材だ。俺は高まる期待感を胸に、肉から滴り落ちる澄んだ脂を皿に受けた。なるほど、鶏油ともまた違った、独特のいい匂いがする。


「お父やんが昔、一回だけ作ってくれはったんよ」

そう言いながら彼女は、ガチョウの脂を半分ほど別に取り分け、棚の上にあった壷から注いだ、粘性のある金色の液体と混ぜ合わせた。あと、バターらしきものが少々。

「その金色のそれは?」

「蜂蜜」

「美味そうだな、そりゃ!」


 スーパーなどの菓子パンコーナーにたまにある、マーガリンとジャムを載せたトーストを思い出した。アレはそのまま食べてよし、オーブントースターなどで焼いてよしの、シンプルでチープながら実に美味いものだ。目の前の黄色い混合物は明らかにその上位にあたる存在だと感じられた。これを焼いたパンに塗ったら――


 やがてガチョウの表皮はそれ自体の脂で揚げられたように弾け、俺の持った鉢に滴る分量もぐっと少なくなった。切り分けるのに邪魔だ、と皮を取り除いて捨てようとしたザラを、俺は慌てて押しとどめた。

「待った! そいつは捨てちゃダメだ。軽く塩を振っておいてくれ、絶対に美味いから」

「珍しいこと、知ってるんやね」

可笑しそうに笑って、彼女は言われたとおりぱりぱりに揚がったガチョウの皮を皿に並べ、岩塩を振りかけた。それ自身の脂で揚げられた鳥の皮ほど美味いものも、この世にはそう多くはない。



 すばらしい晩餐だった。


 いつの間にかしばらくどこかへ消えていたヨルグは、戻ったと思ったら手にツタで編んだかご罠を提げていて、中には巨大なザリガニがひしめいていた。昨日から近所の水路に沈めてあった罠をザラに言われて改めに行っていたのだ。

 ザリガニといってもアメリカザリガニのような小ぢんまりとしたものではなく、手のひらからはみ出すほどの巨大なものだ。びくびくと手の中で暴れる様は、卑猥なほどに生命感にあふれていた。


 それが今、炉の火にかけた鍋の中で塩茹でにされ、真っ赤に茹で上がっていた。指を火傷するほどの熱い白身の肉がハサミや背中から飛び出してあふれる。

「これは美味い、茹でたては格別だな!」

ロルフが上機嫌で、文字通り掘り出し物のワインをあおった。顎ひげに赤い殻の破片がぶら下がっている。小やかましいマナーや格式などとは一切無縁、食欲だけに忠実な素朴この上ない庶民の饗宴だ。


 ザリガニには少々泥の香りが残っているが、それすらも味に濃厚さを加える良い要素となっていた。特に美味いのは雌で、肥大し始めた卵巣が背中の部分にみっしりと詰まっていた。

 弾力のある肉の食感と卵黄をさらに脂っぽくしたような味が、シンプルに塩味でまとめられ、踊るように喉から胃へと花道を歩いていく。

 合わせるのが赤ワインだったので完璧とは行かないのかもしれないが、なに、どうせガチョウの肉も出るのだ。


 薄く切って平鍋で焼かれたパンは小麦とライ麦の粉を混合したいかにも農村風のもので、天然酵母の酸味と全粒粉のワイルドなテクスチュアがあった。かりっと焼き上げられた表面が、口蓋をいささか乱暴に刺激する。そこへ、お楽しみのガチョウ脂と蜂蜜のスプレッドが口中の体温とパンの熱両方でじわり、と蕩け拡がった。甘みが脳を直撃する。


「さ、ガチョウが煮えたわ」


 ガチョウは胴部を茹でて切り分け、バターと卵黄、それにマスタードを加えたソースが添えられた。ザラは腿と手羽も出したがったが、流石にそれは止めた。明日からの道中にも食料は必要だし、何よりそんなに食えない。

 奇異の目を注がれつつ、手製のマイ箸を取り出してガチョウの肉をつつく。美味い。シンプルな料理法だが、素材にあっているし、何よりも肉の状態がいい。まるで、今夜の晩餐に合わせて絞め、熟成されたかのように。


 そういえば。


 片付けた遺体が一様に、寒村の割には比較的こぎれいな衣服を着ていたことを思い出した。妙な話ではあった。

「なあ、もしかして今日は何か、祭りでもあったのか?」

びくり、とザラが身を震わせた。


……うむ。書きたいシーン、書くべき内容を吟味してプロットを組み立て、それを裏付ける状況を整理していったらザラさんがとても可哀想なことになった。


 果たしてブレーメンに彼女の幸せは見つかるか、三匹のヴァイキングはドーレスタットへの移動手段を手に入れられるか。


畢竟いかが相成りますか、次回の講釈をお楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああ、これはうまそうだ。ザリガニもいいですねえ
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