そして三人が居残った
四肢欠損をふくむ残酷な流血描写がありますので苦手な方はご注意ください。
「ロルフ叔父貴、トールも――まだ走れるか?」
ヨルグが荒い息をついて、俺とロルフを振り返った。ロルフは無言でうなずき、俺は返事を保留した。正直、傾斜地を駆け上がって走ってきたために心臓が破裂しそうだ。
「鎖蛇号はまだそれほど速度が出てないし、あのでかぶつは喫水がずっと深い。必ずどこかで海底につっかえるだろう。諦めずに走ればどこかで跳び乗るチャンスがあるかも――」
いいながら、もう走り出している。ヨルグは今年で18歳。身体能力のピークにある若い体が心底うらやましい。
鼻の頭の赤らんだ部分まで蒼白になりながら、ロルフも決然と走り出す。俺もよたよたと後を追った。
「こんちくしょう! もっと年長者を労われよ!」
付近の地面は海水を吸い上げて硬く締まった白い砂地で、まだしも湿地の泥の上よりは走りやすい。それをせめてもの慰めに、俺は青春映画の1シーンに良くある、駅のホームで恋人の乗った列車を追いかける人物を連想しながら走った。困ったことにホームは中々途切れず、俺たちの苦しみはどこまでも続くかと思えた。
ウェセックス王国の軍船は中々にすばらしい速度で追いかけているが、やはり喫水が深くて一定以上海岸に接近できないらしい。鎖蛇号の航路の200mほど沖を進んでいるが、進路を変える様子は無い。
「この辺りの海に詳しい奴が乗ってるな、あれは」
ロルフがペースを落として俺の隣まで来ると、そう言って軍船のほうを見る。誰が乗っていようと知ったことではないが、できれば早めに決着がついてほしい。
「アルノルが……ケントマントとして……の力で、そこらの船乗りに負け……るとは思えないが」
息が続かないらしく途切れ途切れになる。限界が近そうだ。
「喋るな、ロルフ。死んじま……うぞ」
俺も正直、その後はもう声が出せなった。
水面に顔を出した大きな砂州を沖へ迂回したあと、鎖蛇号が再び海岸へと戻ってきた。こちらはやや海面から高さのある小さな岬のような地形の場所へ差し掛かっていて、いかにもそこから跳び移れそうな風に見えた。
俺から見て20mほど前方、船に向かって踏み切りかけたヨルグが慌てふためいた声を上げてたたらを踏み、何とかバランスをとって踏みとどまるのが目に入る。
駆け寄ってみると、そこから船までは15mほどの距離があった。とてもじゃないが跳び移れるものではない。遠近法のトリックでなんと言うことも無い距離に見えていたのだが、それは巧妙な罠だった。
「ここまでか……!」
足を止めた為に体が快復モードに入ってしまったことと、走りやすい地面がその岬で途切れていたことが俺たちの運命を決めた。
ホルガーたちも状況を察したようで、ひとしきり船上がざわめいていた。やがてホルガーが角笛のように良く響く声で、俺たちに向かって叫んだ。
「ドーレスタッドだ! ドーレスタッドまで何とか来てくれ! そこで待つ!」
「冗談だろう、おい!」
ヨルグがいきり立って叫んだが、次の瞬間には船は舵を切って、進路を島のある沖の方向へと向けていた。またいつかのように追跡者の船を砂州に誘い込んで足を止める気なのだ。
俺たちは目を凝らして二隻の船の行方を見守った。
万が一にも鎖蛇号が敵船を手ひどい座礁に追い込んで、悠々とこちらを迎えに戻ってくるのではないか、と淡い期待を寄せながら。
だが、船は待てど暮らせど戻ってはこず、辺りにはにわかに小雨がぱらつき始めた。
「どうする? こんなところに放り出されるなんて予想外だ」
「どうもこうも――ドーレスタッドまで来い、というんだから行くしかないだろう」
ヨルグが憤然と吐き捨てた。
「ヨルグ、ホルガーを恨んではいかん。彼は船と乗組員のために最善の選択をしたんだ。ただ――」
ロルフの続く言葉は何とも辛辣なものだった。
「おそらく彼は、俺たちが陸路を歩く速度と、船がドーレスタッドまで行く速度の差に気がついてない。陸を旅した経験はあまり無いからな」
ありそうな話ではあった。
ウェセックスの軍船が舞い戻ってきて捕虜になる可能性を恐れ、俺たちはしばらくの間そこから程近い水路沿いのアシの茂みの中に隠れ、小雨がやむのを待って内陸を西へ進むことにした。見る限りでは2~3km程度の間隔でごく小さな村ともいえない集落、あるいは民家の集まりが点在しているが、俺たちは極力接近を避けた。
先ほど偵察に行った先の廃村のように、襲撃を受けることがそれなりの頻度であるとすれば、ノルド語で会話しいかにもな装備を手にした俺たちが、それらの集落で歓迎されるはずも無いのだ。
* * * * * * *
日が暮れかけていた。風は午後遅くから更に吹きつのり始め、マントが斜め後ろから風に押されて歩きにくくて仕方が無い。襟首やジーンズの裾の開口部から風が吹き込んで、俺は思わず首をすくめ、身を縮めて体を震わせた。
「くうっ、冷える」
何気なく他の二人を見ると、ヨルグもロルフも面持ちこそ厳しかったが、背筋をしゃきっと伸ばし風に抗うように立って、早足でのしのしと歩いていた。
「え……二人とも、寒くないのか?」
「トール、風が吹いて寒いときは、そんなに首をすくめて震えちゃあダメだ。余計寒くなるぜ」
ヨルグが得意げに口元をほころばせ、意外なことを言い出す。
「そうなのか?」
「トール、ヨルグの言うことは本当だ。やむなく冬の海を渡るときも、俺たちは首をすくめて震えはしない。下腹に力を入れて、頭をしっかり立てるんだ」
言われてその通りにしてみると、不思議なことに寒さを感じるのは体のごく表面だけになったようだった。
「コツがつかめたようだな。そのまま歩けばいい――だが、この風の中で野宿は無理か」
火をつけてもこの風ではすぐに消えてしまうことだろう。そもそもこの湿っぽい土地で、燃料になるようなものが乾いた状態で手に入るかどうかがすでに怪しい。
「二人とも、食い物は何か持ってるか?」
ロルフが俺たちのほうを見回して訊いて来る。
「平焼きパンが2枚に硬いチーズが少し。それだけだ」
情けないが仕方ない。俺は相変わらず可能な限りは食事を船の配給食糧で済ませていたし、フリーダが持たせてくれた保存食料の大部分は船の座席をかねた私物入れの中だ。
「へえ、案外周到だな。俺は平焼きパンが一枚だ」
ヨルグの事情のほうがひどかった。
「ロルフは?」
「チーズが8エルトゥグ(約65g)に燻製ニシンが一本。だができるだけこれを食うのは先に延ばしたい」
なんにしてもこのままではすき腹を抱えて寝ざるをえないらしい。もちろん、真っ平ごめんだ。
「仕方ないな、どこかの農家にでも押し入って食事を強請るか」
物騒なことを言い出すヨルグの腕を、ロルフがそっと掴んだ。
「ヨルグ。俺はもう強盗や掠奪を働きたくない。たとえ異国人相手でも」
「え、どうしたんだよ叔父貴。じゃあなんでヴァイキング行に出たんだ」
冗談めかして笑い飛ばそうとするヨルグを、ロルフはじっと見据えた。これはどうやら本気の目だ。
「スネーフェルヴィクの一件以来、俺はずっともやもやした気持ちを抱えてた。そして今朝あの僧院と村を見て分かったんだ。他人がどうあれ、俺にはもう掠奪に明け暮れる暮らしは無理だ、と」
俺には彼の抱える悩みと迷いはなんとなく理解できる気がした。シグリの故郷、焼き討ちされたスネーフェルヴィクは、ロルフの妻の母の実家があった土地だ。そこが襲われ灰燼に帰した事実は、彼を無邪気に掠奪の興奮に酔う典型的ヴァイキングの心性から一歩遠ざけた。
彼は掠奪の被害者側に寄った視点を獲得した、ということだ。まあどちらかといえば、彼に同調したほうが俺としてもいろいろと楽ではあった。
「ふむ……この辺は商業や交易の盛んな土地だと聞いた。銀貨じゃ流石に向こうが困るだろうが、銅貨で購えるくらいの食物や寝床は売ってもらえるかも知れん」
俺は昼間僧院の廃墟で見つけた古い銅貨をポケットから引っ張り出した。
「交渉してみよう。ロルフが居てくれて助かった、ってことになりそうだな」
ロルフがひどくほっとした表情になった。
「交渉で手に入るならそのほうがいい。ヴァイキング行だっていつも掠奪で片がつくわけじゃない――アンスヘイムのような貧しい村では選択肢が無いが」
つまり、物々交換で折り合えるだけの商品がこちらにある場合は、それを欲しいものと交換する、というずっと平和的なやり方が可能だということだ。
「暗い分、炉の明かりが漏れている民家を探しやすいだろう。足元だけ気をつけていこうじゃないか」
まだかすかに残る日没後の薄明かりを頼りに、俺たちは更に歩いた。ふと、先頭を行くヨルグが立ち止まった。
「気のせいかな。蹄の音と、女の悲鳴が聞こえた気がした」
まさか。いやまて、耳を澄ませてみろ。
湿地の上を風に途切れ途切れになりながらも、遠くから響いてくる、その音。間違いない。蹄の音、そして悲鳴だ。近づいてくるようにも思えた。
「こりゃあ、案外今夜の寝床と食事、向こうから転がり込んでくるかもしれないな」
めいっぱいの希望的観測とある種の諦念をこめて俺は肩をすくめた。舞い込んでくる状況は受け入れざるを得ないことがままあるものだ。
「ははあ? どこぞのサガにでもありそうな話だな」
ヨルグが面白そうに笑いながら、目に凶暴な光を湛えて片手斧のカバーをはずした。
ロルフも黙って使い込んだ彼の剣を抜きはなつ。
やがて湿地の彼方、農道と半ば一つになった細い街道の行く手から砂利を蹴立てる馬蹄の音が響き始めた。松明の明かりが現れ、煙の匂いが漂い始めると思うまもなく、先頭の馬が俺たちの気配を察知していななき、前足を高く持ち上げた。
馬上の髭づらの男が何か叫んでいるが、言葉は通じない。だがこの時代のゲルマン語系の言語は、いうなれば東北弁と大阪弁程度には相互に共通性があり、おぼろげなニュアンスだけは不思議と伝わった。
彼はどうやら俺たちを誰何し、必要とあれば進路から排除するつもりらしい。
乗馬の鞍の前部にうつぶせの姿勢で横向きに乗せられた女が、切迫した様子で悲鳴を上げて助けを請うが、男の無慈悲な拳で気絶させられた。なんだか知らないが無性に腹が立ってくる。ちょっとは自重しろよ。
「こう言ってやってくれ、ロルフ。
『このような忌まわしい風の吹きすさぶ夜、荒地に馬を駆けさせるお前たちこそ、何者か名のるがいい。いずれにせよ嫌がる女をどこかへ連れ去ろうとする有様、まともな動機といきさつではあるまい。おとなしく立ち去ればよし、我らの邪魔立てをするなら鋼をもってその欲するところを勝ち取るがよかろう』」
「つくづく思うが、あんた良くそんなに口が廻るな」
「日ごろの読書とフリーダのおかげさ。さあ頼むぜ」
ロルフが剣をぴたりと相手の正中線へ向け、流暢にフリジア語で俺の指示通りの内容を告げる。相手は怒声を上げて馬を降り、仲間三人とともに剣を抜いて殺到してきた。そこそこいい武器を持っているところを見るに、フランク王国辺りの騎士崩れだろうか。この時代だと『従士』か?
横なぎに斬りつけて来た一人の剣をヨルグが身を沈めてかわし、そこから相手の膝めがけて低い軌跡で斧を叩きつける。伸ばした腕を狙って再び打ち込まれた剣はむなしく地面に食い込み、ヨルグは砂利道の上を斜め前方に転がって逃れていた。
一瞬の後、自分の膝に斧がすでに食い込んでいたことに気がつき、相手の男は遅れて襲って来た痛みに悶絶して、額から地面に崩れ落ちた。
「クソ、片手斧は時間がかかっていけねえや」
ヨルグが立ち上がって次の男に凄惨な笑顔を向けた。松明を手にしたまま、その男が「ひっ」と息を漏らし後ろへ退く。
ロルフは意外にも盾と剣で真っ向からリーダー格の男と切り結んでいた。武器と防具の質はどちらもさほど変わらない。だが接近戦のさなか、ロルフ手製の強化された厚底ブーツが相手の薄い皮の従来型ブーツを上から踏みつけ、足指の骨を砕いた。
ぐしゃ、といういやな音が俺のところまで聞こえ、男の魂ぎる悲鳴がほとばしる。
「いい感触だ。出来のよい靴はすでにそれ自体が武器だな」
強盗や掠奪を忌避していた先ほどまでの懊悩はどこへやら、ロルフはいつに無く残忍に笑った。足の痛みに苦しみながら距離をとろうと動く従士崩れを相手に、縫い皮に糸を通すような正確なステップで距離を詰める。
その間に剣を納め、サクスの名で知られる戦闘用の鋭い大型ナイフを抜いていた。首筋をめがけて斬り付けると見せ、敵が慌てて盾を持ち上げたところで隙のできた下半身、太腿の内側の急所に鋭利な刃を走らせる。傷は動脈に達し、鮮血が脈打つように噴出してズボンを黒々と汚した。
四人目の男が絶叫とともに斧を振り上げてロルフをめがけて走り、俺は大きく踏みこんでその男の左斜め前に出た。ヨルグに倣って身を沈め、剣を抜いてすれ違いざま左足に斬り付ける。
後になってつくづく自分の素人ぶりに嫌気がさしたのだが、俺はこのとき分厚い皮のすね当てで守られた部分に、何も考えずに剣を叩きつけていた。日本刀への信仰に端を発した防具の軽視、斬撃への盲信――そんなところだ。
だが恐ろしいことにダーマッドの曲剣はそれに応えた。ごり、と一瞬不快な感触が手に伝わり、男が横倒しに崩れる。
「!?」
言葉にならない、あるいは言葉として認識できない叫びを上げて、どうと倒れた男の後方1mちょっとの地面の上。切断されたすねの途中から先が、靴売り場のディスプレイのようにちょこんと立っていた。
「嘘だろう、おい」
呆然と足と持ち主を見比べる俺の傍らで、ロルフが負傷者二人にサクスで止めをさした。
ヨルグに威嚇された男は馬で逃げ、後には三人分の死体と気を失った女が残された。女を乗せていたのはそこそこ訓練を施された馬と見えて、凄惨な乱闘の傍らで動じずに佇んでいたのだが、残りはどこかへ駆け去ってしまっている。
男たちが下馬戦闘を選んだのはたぶん、馬が臆病で繊細な乗用馬だったからだろう。死体からめぼしい金目のものを漁りながら俺たちはそう結論付けた。
サツバツ!
テンプレですよテンプレ。未知の土地で盗賊に襲われたら返り討ちにして戦利品を売り飛ばし、さらわれかけてた美女や美少女を助けてもてなしを受ける。王道ですよね。
……書いてみたらあまりに普通の展開過ぎてめまいがしてきた。まあいいや。流石にここから美少女がハーレム入りとかそんなことは無いんで。
その代わり戦利品の剣とかは凄くいい値段で売れるよ!売れるよ!w