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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
AD9世紀のマイスタージンガー
30/102

寛解

「うむ。中々見ごたえのある品々だった」

 王は、素朴に研磨された石が多数ちりばめられた宝石細工の十字架を、弄んでいた手から元の山に戻した。


 脇へ控えていた初老の男を一瞥して命じる。

「侍従長、目録を作らせろ」

は、と一礼して男が奥へ下がると、ハラルド王は使節団に向き直った。

「……ふむ、誰か代表して答えるが良い。アンスヘイムに船は何隻ある?」

ゴルム翁がここぞ、と前へ一歩踏み出した。

「長老たるゴルム、ゴズフレズの息子、『男伊達』のゴルムがお答えいたす。アンスヘイムには船が二隻。流氷の海をものともせぬ疾き波の馬、カーヴの『鎖蛇』と、古き竜骨からよみがえりし貪欲なる巨魚『大山羊』、すなわちこの夕方にわれらを連れ来たったクナルがござる」


「そのわずか二隻でこの財宝をかき集めたわけか」

「いいえ閣下。昨年のイングランドへの掠奪行には『鎖蛇』一隻でござった。アンスヘイムは小さき所領ゆえ、戦船一隻をようよう動かさば、あと村に残るは年寄りと女子供」

ほう、と面白そうに王は片方の目を大きく見開いた。

「なるほど。お主らはいずれも腕が立ち抜け目なく幸運で、攻め入るも立ち去るも疾風の如しと言うわけか」

「誇りを持って、『然り』と申し上げる」

ゴルム翁は昂然と頭をもたげ、堂々たる挙措で王の問いに答えた。


 俺はここまでの成り行きに胸をなでおろしていた。どうやら貢納の品はこの王の心をそれなりに捉えたらしい。財宝の水増しを行ったことも、アンスヘイムの男たちの有能さを印象付ける結果につながってくれたようだ。


「アンスヘイムの帰順を歓迎しよう、ゴルム翁」

蓬髪のハラルド王は、高座へ戻ると満足そうに頷いた。


「しかし肝心の族長がここに姿を見せておらぬのは、一体どうしたわけか?」

高座の脇に居並ぶ、高位の廷臣と思われる男たちの一人から突然、声が上がった。40代後半くらいか、鍛え上げられた体だが年齢相応に脂肪がつき、裕福そうな印象を与える男だ。

「ハーコン伯――義父ちち上。何かご不満か?」

「不満ですとも。族長が顔を出さず、長老とは聞こえがいいが、老い先短い年寄りを使者に立てる。不興を買って討たれても惜しくない者を差し向けてきた、とはお思いにならぬか」


 ぎり、と歯軋りの音が小さく響いて俺は横を見る。ゴルム翁の息子、ハーコンだった。

 

 ヴァイキングたちの社会では一般に老人の価値は低い。若い者を生かすために必要なら率先して死ぬことを選択するのが老人たちのならいである。だがこの物言いはいささかひどい、と俺も腹中に憤りが渦巻いた。


「抑えろよ従兄者。王はあの男を義父と呼んだ。とすれば王妃の父だ、実力者だぞ」

「戦場から遠ざかり腹の出た隠居間際の男が、己を棚に上げて老人を軽んじる。許せん。何より同じ名前なのが気に食わん!」

激発したハーコンと必死でたしなめるグンナルが、小声で口論を始めた。気持ちは分かるが何もこんなときに。


(莫迦者ども、静かにせい)ゴルム翁がぴしりと血縁者たちを黙らせた。続いて高座へと向き直って話し始める。

「息子たちが失礼をいたした。なにぶん血の気の多い者どもで面目ない。したがハーコン伯、族長ホルガーに代わり拙者がここに赴いたのは理由がある。――ハラルド閣下、ローガランの『焼き討ち』エイリークと云う男をご存知あらせられるか」

廷臣たちの間に密やかなざわめきが拡がった。


「去る秋の遠征で攻めた、かの地の領主の一人でございますな。最後まで帰順を拒み、軍勢を差し向ければ即座に船で逃げ出すと言う醜態を演じておりましたが」

廷臣の一人、これは高位の戦士らしいおそらくは軍の幹部クラスと思われる男がハラルドに告げる。

「そうか、思い出した。グソルム叔父上の軍が向かったのであったな」

王は膝を打ってその年嵩の戦士の発言を引き取り、ゴルム翁へ再び視線を向けた。

「エイリークが何かしでかしたのか」


「アンスヘイムの数倍の規模の村、スネーフェルヴィクを一夜に滅ぼし、焼き尽くして財物を奪いました。我々はたまたま漁の途中に、舫綱を切られて流された船を発見したのですが……トール、即興でよい、いきさつを詩に歌え。語法は完璧でなくて構わんぞ」

無茶振りいただきました。突然のことに心臓が躍り上がる。


「船二隻の村の領主がスカルド(宮廷詩人)を抱えているのか?」

いぶかしげな声が飛び交う。気が重いがここは俺が前に出るところだろう。いうなればソロをとるタイミングが廻ってきたのだ。


16小節程度ではすまないだろうが、やってやるさ。



「やんごとなき身分の皆様。私はスカルドではございません。フィンの土地の更にはるか奥、東方の小国より参りアンスヘイムの村に身を寄せる楽師で、トール・クマクラと申します。ノースの詩の慣わしには明るくなく、あまり巧みには歌えません。ただひたすら、事実に即して語りましょう」


左胸に手を当てて腰を深く折り曲げる。再び上体を起こすと、フリーダがウード「コメット」をソフトケースから取り出し、手渡してくれた。

(頑張って)小声でささやく。俺の勇気が倍増した。




 ……獲物を山積みに家路をたどる我らの目に


 帆柱を失った船がうずくまるのが見えた


 それは人知れぬ海の路傍 逆さに伏せた鍋の周りの


 こぼれた粥のごとく拡がる冷たき砂浜の上



 ケニングもろくに使わない無作法な詩だったが、ウードの伴奏とメロディーは、やはり王とその臣下にとっても珍しいものだったようだ。しわぶきひとつなく、皆静かに聴き入ってくれている。



 乙女の柔肌が凍えた娘を暖め 船は東へと駆ける


 ホルガーは正しき怒りを剣にこめ 


 焼き討たれた村の全てのかんぬきを叩き斬った


 生き残りの一人なりとも救い出すことをただ念じて



 少し話を盛ったが、その程度は許されていいだろう。ホルガーはあの時確かに義憤に燃えていたのだから。貢物の水増し購入の件は伏せつつ、俺はヘーゼビューでの聞き込みと、モルダウ石の杯がシグリの手に戻ったいきさつを続けて歌った。



 オーディンは家族の復仇を誓う少女を嘉したまい


 類なき宝、三つの杯のうち、一つが娘の手に還る


 されど邪なるエイリークの船は今だ海上にあり


 イングランドとノルウェーの間を風と共にさまよい


 罪なき者の命と宝物を狙いて往来する



 何処にかあらんや 海に平和をもたらすもの


 何れより来たるや われらを統べ導く英傑は?




 長い歌を歌い終えると、俺はもう心身ともにずたぼろだった。喉が痛い。付け焼刃のノルド語で詩めいたものを延々と即興でひねり出し続けて脳が焼きつくようだ。あと恥ずかしい。


 ウードのネックを左手でつかみ、良くある弦楽器奏者のリサイタル――そのラストを写し取ったように、深々と礼。


「なんとも珍妙な技芸でございましたな」

廷臣の一人が手厳しい感想を口にした。

「うむ、だが悪くない。案外200年もすればこのような歌が諸国の宮廷に流行るかも知れぬな」

ハラルド王は至極冷静かつ好意的に俺の不細工な(スカルド的な基準で言えば)歌を批評してくれた。ええ、流行りますよ。保証しますとも。


「かくの如く、お聞きの通りでございます。未だエイリークは狼のごとく諸国の沿岸を嗅ぎまわり、人々の安寧を脅かしつつあり。ホルガーはアンスヘイムの防備のため、村に残って指揮を執っておるのです」

ゴルム翁が広間を見回してこの一幕を締めくくる。


 俺は再度一礼して、列に戻ろうと足を後ろへ引いた。フリーダが俺の背中を軽く叩いて、「良かったわよ」とささやいた。



 ハラルド王はしばらく家臣たちと小声で密談を交わしたあと、ゴルム翁を高座の間近まで手招きした。

「そち等の要求せんとするところはおおよそ理解した。帰順の見返りにわが軍勢による保護を求めたい、ということだな」

「は、御意にござる」


「良かろう。俺が信頼する戦士を、スネッケ一隻と共にアンスヘイムへ送ろう。帰りは艦隊で往くがいい。ゆくゆくはホルザランド平定の拠点の一つとして役に立ってもらうが、今年は軍役も租税も免除とする! しっかりと戦士を育て、力を蓄えよ」


「ははっ、ありがたき幸せ!」

ゴルム翁がひざまずく。俺たちも慌ててそれに倣った。

「まったく、どこの諸侯もこのように聡ければむやみに血を流すこともないのだがな!

謁見はこれにて切り上げる。宴の準備をいたせ、今宵は朝まで飲むぞ」


 謁見の間に歓声が広がったが、ハーコン伯ばかりはいささか不機嫌な表情を漂わせたままだった。




 宴席の準備が進む間、俺たちは宮殿から少し離れた一角の大きな長館に案内され、そこで休息をとることになった。


「おおよそ、望んだ限り最善の結果になったか」

「しかしエイリークがイングランドへ向かったのなら、わざわざ軍勢の派遣を願わなくても良かったのでは」

「莫迦。ローガランを攻められ逃散した豪族が、エイリークの一党だけであるはずも無かろうが」


 がやがやと騒ぐ男たちから離れ、俺はたいまつを一本手にとり、ランプから火を移した。

「オーラブの様子を見てくる。蛇のクラウスが柳の葉を集めてくれていたら、煎じて飲ませなきゃならん」

「私も行くわ」フリーダが駆け寄ってきた。

「ああ、来てくれるとありがたい。多分一人じゃ手が足りないと思う」


「俺も行こう」スノッリがやや遅れて声をあげる。俺たちに気がついたほかの者たちが俺も俺も、と動き出し始めたが、俺は彼らを手で制した。

「そんな大人数で行っても流石に向こうの館が狭くなって邪魔だよ。それに、宴が始まるときに誰もいないと変だし、俺たちのところまで呼びに来てくれる奴がいなくなる」


「それもそうか」と、すごすごと館の中央、炉の周りに戻りだす。俺は苦笑した。いい奴らだがときどき直情過ぎて、もて余す感がいなめない。



 スノッリとフリーダと三人で、港近くの赤い幕の館へ向かった。謁見前は気がつかなかったが、月の下で浮かび上がるトンスベルクの町並みはこの時代の基準に照らして言えばきわめて豪壮なものだ。

 アンスヘイムの集会所の三倍はありそうな大きさの長館がいくつも軒を連ね、建物のところどころには磨かれた銅の彫板が飾られていた。ヘーゼビューで見たオウッタルの商館を思い出す。

 特に目を引くのは、街の中心からややそれた場所に立つ、石造りの円塔だった。それほど派手でも巨大でもないが、そこそこ天井の高さのあるビル三階建ほどの丈。何より石造なのが珍しかった。

 イングランド辺りの修道院建築からヒントを得たものだろうか? だとしたらあの塔は緊急時に立てこもる防衛拠点であり、重要物資の貯蔵場所でもあるはずだ。


(気合入ってるなあ)

そんな感想を抱いた。こんな宮殿と街を構える王に無謀にはむかうことなく事を進めたのはどう考えても賢明な選択だったと思える。


 赤い幕の館は程なく見つかった。戸口の前ではあの左腕に銀色の義手をつけた男、クラウスが落ち着かない様子でぐるぐると歩き回っていた。


「よお、来たか! お仲間は今少し落ち着いた様子で寝てるぜ」

「そうか、それはいい知らせだ」

眠れるようなら快復も早いに違いない。もともと頑健な男だ。暖かい寝床で休養を取るだけでもずいぶん違うのだろう。

「ヤナギの葉は、用水路沿いに生えていた奴を取ってきた。蜂蜜酒はいま部下に探させてる。湯も沸かしてあるぜ、火傷するなよ」

「ありがたい、恩に着る!」

「気にするな。部隊を預かってればこういうことは珍しくないんだ。それはいいんだが、謁見で何があった? さっき使いが来て、俺も宴に出ろって言われてるんだが」

ははあ。そういえばハラルド王は、『スネッケ一隻を派遣する』と言っていた。


「あんたの好みに合うか知らんが、多分仕事が変わると思う」

「ほう。じゃあちょいと宴会場のほうへ行って見るか」

またな、と気さくに手を振ってクラウスは歩いていった。俺たちはそのまま奥へ進む。



 厨房で小鍋に水を張ってもらい、柳の葉をゆっくりと煮出す。サリチル酸の化学的性質はうろ覚えだが、あまり高温だと分解してしまうかもしれない。

(一般教養の生化学、もっとちゃんと勉強しとけばよかったな)後悔先に立たずだ。


 炉とランプの火明かりでは良くわからないが、お湯には何やら色がついてきた。多分緑色なのだろう。更にヤナギの葉を追加して煮た。

 味見してみると独特の刺激のある苦味を感じる。大体こんなものでいいのではないか。

火を止めて鍋の中の液体を落ち着かせた。


 そうこうするうちに、クラウスの部下が蜂蜜酒を運んできた。

「持ってきたぜ。ずいぶん古い壷だが、こんな酒いつ誰が仕込んだのやら。発酵が始まるギリギリの水しか加えてないらしい。舌を刺すばかりで甘みも香りも」

男は何かおぞましいものを見るように酒のつぼを睨んだ。


「すばらしい、理想的だ」

蒸留が行えれば、こんな奇跡のようなめぐり合わせに頼らなくてもすむんだろうが。


 傷もともかく、俺たちの手指も消毒しておく。焼酎やワインで洗う程度の効果は望めるだろう。皮膚の細かい傷でもあったらしく、フリーダが小さく呻いた。

「しみる! 何このお酒」

「良かったじゃないか。細かい傷が化膿するのを防げるぞ。まあオーラブの傷に直接触るのはスノッリのほうがよさそうだな」

嫌がるフリーダをしかりつけて、徹底的に手指をこすり洗いさせた。


「俺がオーラブを押さえるから、スノッリは傷の検分を頼む。鏃で肉や腱が切れてるかどうかに、特に気をつけてみてくれ」


 注意深く包帯をはがす。化膿の形跡はまだ無いが、傷はやや熱を持って赤みを帯びていた。ちょっと微妙な状態だ。滲出液もそれほど見当たらないが、最低限消毒したほうがいいだろう。

「腱は切れてないと思う」スノッリが報告した。人と動物の違いはあるが、狩りの獲物を解体することで解剖学的な知識を得ているのだ。


「蜂蜜酒で傷とその周辺を軽く洗おう。強い酒が肉に長い時間触れると良くないから、湯冷ましの水で手早く流して」

「分かった」

スノッリがてきぱきと傷の処置を行っていく。最初の包帯を巻いたときからうっすらと皮膚に残っていた血液の痕跡が洗い流されていった。


「フリーダは、煮た包帯をきつく絞っておいてくれ」

「任せて」

 酒の壷を持ってきた戦士は少し離れたところから俺たちの作業を、熱心に観察していた。

 クラウスに命じられているのだろう。戦傷での死亡や四肢の切断事例が減って、軍事バランスに影響するかもしれないと、わずかに心が揺れる。


 オーラブの熱はいくらか下がっているようだ。軽くゆすって刺激すると、一声うむ、と唸って目を薄く開いた。

「水をくれ。喉が渇いた」

「すぐ用意する。腕はどうだ、まだひどく痛むかな?」

「船の上よりはましになったが、まだ痛いな」


「いったん湿布で様子を見よう。フリーダ、その煮た葉を何枚かとって、傷に当てた上から包帯を……そうそう、そんな感じだ」

わずかに湿り気の残った包帯をゆるめに巻いてやる。この部屋は火がたかれているしすぐに乾くだろう。先ほどの戦士が角杯をもってきた。

「これは?」

「蜜酒用の蜂蜜を溶かした水に、わずかに海水を加えた。クラウス様がこの方が良かろうと」

「どれ」ちょっと味見をする。驚いたことに、21世紀で用いられた経口補水液にかなり近い。


「これはいい。きっと元気が出るだろう。そら、体を起こせるか、オーラブ」

スノッリが上体を支えて起こしてやると、オーラブは口元にあてがわれた角杯を瞬く間に飲み干した。

「ああ……美味い! 酒でないのが残念だが、生き返るようだ」

「飲んだらまた寝るといい。痛みが続くようならその鍋の煎じ薬を一口だけ飲め。ものすごく胃に悪いから飲みすぎちゃダメだぜ。宴が終わったら何か料理の残りでも貰ってきてやろう」

「頼んだぜ」


オーラブは助かるだろう。付き添い役の戦士に後を頼むと、俺たちは宿舎に向かった。



ぬう、宴会シーンに入れなかった。


トールの行ってる医療行為はかなり行き当たりばったりで危険です。

実際に行うと悪化させる可能性が高いので、怪我や病気は必ず専門医と

プロの薬剤師のいる薬局へ!


まあ無人島に漂着でもしたら別ですが、多分ヤナギが無い。


15話にわたって引っ張ったハラルド王問題、今回で一応の解決。

今章終了後はちょっと目先の変わった展開になりそうです。

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