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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~ 作者:冴吹稔

北方人のお荷物

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霧に浮かぶ船

 ダッフルコートの前が開いていなかったら、着水の衝撃で命を落としていたかも知れない。

 幸いにも川下からの風がコートを微妙に膨らませて、落下にブレーキをかけた。それでもかなりのスピードで頭まですっかり水に沈んでしまい、俺はあわててつま先を水面へ向けて曲げ、川底への衝突を避けた。

 以前立ち読みした何かのマンガで、そういうサバイバル技術が紹介されていたのをとっさに思い出したのだ。
 河川敷の照明のおかげで、水中もほのかに明るい。濡れた冬服がまつわりついて動きにくかったが、とにかく水を蹴って水面へ向かった。ようやく頭を水の上に突きだし、空気を肺一杯に吸い込んだ。
 晩秋の川は水温が低く、お世辞にも気持ちのよい物ではない。俺は手足の先から急速に体温が失われていくのを感じながら、間近に見える船へと必死で泳ぎ寄った。

 ガヤガヤと船上から声が聞こえる。必死で手足をばたつかせて船に近づくうちに、やがて指が船べりに届き、同時に誰かに襟髪を掴まれてぐいと引き上げられた。
 息を切らせ、半ばえづきながら濡れた甲板に手をついて、幅5mほどの船上を見回す。俺がいる辺りには魚か何かの油が染み付いていて、指先がやたらとべたついた。

 さほど広くもない甲板の上で、男たちが少し距離を開けてるようにして俺を見ていた。リーダー格らしい、がっしりした体つきの男が数歩進みでて、ノルド語と思しい言葉で俺に何事か話しかけた。だが流石に何を言っているのかわからない。

 他の言語ではだめだろうか? ヴァイキングはアラビア商人とさえ自在に商談をかわしたというし、まさかノルド語しか解さないということもないのではないか。

「しゅ、シュプレッヒェン・ジー・ドイッチュ? (ドイツ語を話しますか?)」

 我ながらひどい発音。目の前の男はいぶかしげに首をひねった後、あきらめた様子で振り向くと後ろの部下たちに何事か話しかける様子だった。

(だめか……)

 海外のとあるSF作家が異文化との交流シーンでよく使うギャグそのまま。彼の書くもので「ドイツ語を話しますか」にまともな返答があったためしがない。

 ヴァイキングたちは総勢三十人ほど。ときおり舷側越しに川岸にちらちらと目をやり、周囲を警戒している様子がうかがえる。
 霧に包まれた川沿いの道を、ヘッドライトから光を棒のように伸ばした一台の自動車が走り抜けると、船の甲板からは押し殺した恐怖の叫びが上がった。

(これは、敵意のないところを示さないとまずい……)

 ゆっくりと立ち上がる。船が揺れ足場がよろしくないが、慎重に、慎重に。何も武器を持っていないことを示すため、手を肩付近の高さに掲げ、開いた手の平を彼らのほうへ向けた。

 一呼吸おいて静かに腹の前辺りに両手を下ろし、おもむろに右の人差し指を自分に向ける。ライブでメンバー紹介をするときのような、最高のいい顔を作れていることを祈りながら名のりを上げた。

「トオル。トオル・クマクラ」
「トール?」

 復唱されたその響きは、なんだか最初の子音がthに置き換わってるような気がした。男たちが顔を見合わせて喋りだす。
「トール」「トール?」「トール!」
 口々に言い合ってこちらを見ては笑っているのには少し腹が立った。どうやら俺が名前負けしている、的なことを言っているのではないかと思えたのだ。トール(Thor)と言えば北欧神話の雷神の名前だ。

 リーダーがなにか単音節の短い単語を発して彼らを黙らせた。こっちを向いて人差し指を自分の鼻に向け
「ホルガー・リューファフニェ」と言ったように聞こえた。

 どうやら当面、意思の疎通には苦労しそうだ。


 ――びぇっくしょい!

 ふいにひどいくしゃみがでた。濡れた服をそのままにしていたために体が冷えたのだ。

 俺が歯の根も合わぬほどに震えていると、肩を軽くつかまれて揺さぶられた。さっきのリーダー、ホルガーよりもやや小柄な、黄色い髪の男だ。横むきに伸び広がった口ひげがユーモラスで人懐っこそうな印象だが、その眉の奥に落ちくぼんだ灰色の瞳には、高い知性をうかがわせる鋭い輝きがともっていた。

 彼は口角を吊り上げて大げさに微笑み、自分を指差して「アルノル」と言った。そして手に持った皮袋を示すと、中からごわごわしたウールでできた、厚手のシャツめいたものを取り出した。俺の体とその服を交互に指差し、着替えろ、もしくは交換しろと言っているようだ。 

 ところがダッフルコートを脱いだとたん、妙に満足げにこちらへ手を伸ばしてきた。俺はあわててコートを胸元に引き寄せ、しっかりと抱え込んだ。さすがに彼の意図が交換だったとしても、このコートはおいそれと手放せない。濡れてしまってはいるが、スマホだの財布だの、貴重品がポケットに入ったままなのだ。

 言葉がまるで通じていないのを盾に、俺は濡れた衣服をそのウールシャツに着替え、コートを羽織りなおした。アルノルと名乗った男はあきらめたようにまた笑うと、舳先のほうへ足早に離れていった。

 この時まではまだ、俺には踏みとどまって21世紀の生活に残るチャンスがあった。川岸まではせいぜい50メートルと言ったところ。荷物を捨てて飛び込めば何とかならないこともないはずだった。

 だがその時、不意に遠くで地鳴りが聞こえた。水面に不規則な波が立ち、遠くからサイレンの音がした。異様な物音に脅かされたヴァイキングたちは動転して腰を浮かせ、俺も周囲を見回した。どうやら春に起きた大地震の余波のようだ。桁違いのスケールだっただけに、今後数年単位で余震が頻発する、と言われてはいた。
 足元がぐにゃりとゆがんで持ち上がるような感覚が押し寄せ、息を呑んだ瞬間。

 静寂が辺りを支配し、霧をすかして輝いていた川岸の灯火が視界から消えうせた。男たちの間から、今度は明確な恐怖の叫びが上がり、一人が俺を指さして何事か怒鳴った。
 目を血走らせて彼らが俺をとり囲む。次の瞬間、後頭部になにかが叩き付けられた重い衝撃。そこで俺の意識はいったん途切れた。

         * * * * * * *

 照明のおちた部屋の中で、大学進学直後に買ったままの固定電話が、留守録の赤ランプを点滅させていた。
 着信履歴を見ると実家からだ。携帯電話にかけてくれればいいものをと思ったが、とりあえずそのまま折り返しに電話を入れてみる。ああ、そう言えばスマホに機種変更した時、番号を引き継がなかったかもしれない。

「もしもし、トオルです」

〈――トオル? よかった、留守電聞けたのね〉

 あれ? この声は。
「ケイコ……? 何でそこに」

〈うん、帰省中に震災があったのは知ってるでしょ〉

「ああ」

〈危ないところだった。津波にさらわれかけて、携帯なくしちゃってね。連絡取れなくてホントごめん。実家のあたりはあの後立ち入り禁止区域になっちゃって、無事だったおばあちゃんと一緒に避難先探してて――昔、卒業旅行で一緒に九州に行ったときに、あなたの実家に寄ったのを思い出したの〉

「そうだったのか……気にするなよ。俺の家を頼ってくれて嬉しいよ……」

 生きてた。生きててくれた! 

 涙が両目からあふれ、頬を伝うのがわかった。だが、頭の中で何かが警鐘を鳴らしている。
 ケイコは俺からの旅行の誘いに応じたことなど、()()()()()――そのはずだ。

〈ご両親があなたのこと心配してるわ。帰ってらっしゃいよ。今から皆で助け合っていきましょう?〉

「あ、ああ……そうだな」
 頭の芯がなにやらズキンと痛んだ。

〈じゃあそういうわけで……迎えの船をそっちによこしたから。そろそろ玄関前につく頃じゃないかな〉

「船!?」

 さっぱり意味がわからない。受話器を握ったまま玄関へ走り出ると、恐ろしいことにアパートの二階すれすれまで波濤逆巻く海が押し寄せ、そこには全長50mもあろうかという巨大な黒いロングシップが、上半身をはだけた筋骨たくましい戦士たちを満載して波に揺れていた。

 彼らは一様に牡牛も青ざめんばかりの雄渾な角をつけたヴァイキング兜を頂き、剣の柄で盾をたたいてリズムを取りながら、何かテンポの早い歌をごうごうと素晴らしいデスボイスで唸っている。

 樫の古木をそのままくり貫いた胴にメーカー名を刻印された、いかめしいドラムセットが船尾に据えられ、そこには照井が座っていた。刃を上に向けた手斧をドラムに叩きつけ、フィルインに鳴らしたロー・タムの反動をそのままに、返した腕で背後にある巨大な銅鑼ゴングを――

 ジャアアアアアアアアアン!

 とてつもない騒音が耳に飛び込み、意識が光の中に引き戻された。

         * * * * * * *

 顔が塩辛い水で濡れているのは確かだった――ただし涙ではない。
 薄く開けた目に入るものから察するに、俺は顔を右に向けて仰向けに横たわり、ときおり甲板に打ち込む海水に濡れているらしかった。

(甲板……? そうだ、ここは……)

 気を失う前の記憶が鮮明によみがえる。ここはヴァイキング船の甲板なのだ。

 夢の中に現れた銅鑼の正体はすぐに知れた。船から百メートル足らずのところに、斧で断ち割ったような荒々しい風貌をした岸壁がそびえ、その足元で周期的に打ち寄せる大波が、しぶきを上げて岩礁に砕けていた。
 夢に現れたのは、洋上にとどろくその波音だったのだ。

(ここは……海の上か。ああくそ、頭が痛い……)

 殺されなかったことにはひとまず感謝した。吐き気がしないかどうか確かめながら顔を上げて見まわす。
 俺はどうやら船尾近くにいるらしく、反対側の舷側にはホルガーが舵柄をとって立っていた。

 船は難所に差し掛かっているらしい。オールは舷内に引き込まれ、男たちは大声を掛け合ってあちこちのロープを手繰っていた。岸壁へ向かって吹き寄せる風に逆らって、進行方向と岸からの距離を保とうとしているのだろう。

 あたりの空気がひどく新鮮なことに気が付いた。橋の上にいた時には無意識の内に感じていた、自動車の排ガスや川に流れ込む排水の匂いと言ったものが消え失せている。それに日没後の夕闇の中にいたはずが、今は空全体が晴れあがって明るい。

 誰一人として俺にかまう余裕などないらしく、体を起こしても声ひとつかけられない。ただホルガーが色素の薄い水色の目でこちらをじろりとにらんだので、俺は慌ててまた甲板に腰を下ろした。実際のところまだ少し頭がくらくらして、立っているのは危険だし辛い。

 状況を反芻してみる。海の上。ヴァイキング船の甲板上で、言葉の通じない三十人余りの男たちに囲まれ、頭部の打撲でやや不調――どうしようもない。

 しばらくすると船はどうにか難所を過ぎたらしく、船乗りたちの動きも幾分ゆったりしたものになった。
 水路がやや狭まって、進行方向に沿った両側面に黒々とした針葉樹の森が見える。水面は一転してとろりと静まり返り、船が進むにつれてV字の引き波が残された。

 そこは湾口を西に向けた、幅の狭い小さなフィヨルドのようだった。後方から風を受けた帆は西洋甲冑の胸当てのように固く張り詰め、船は湾の奥へと優雅に進んでいく。奥まったところにある海岸が見えてくるにつれ、男たちの表情からは緊張が消え、軽口や哄笑らしきものが飛び交った。この先にあるのはたぶん彼らの本拠地、我が家のあるところなのだろう。

 その推測を裏付けるように、船が水路に沿って大きく進路を変え、風を岩山がさえぎる形になるにつれて、あたりの空気には潮風と針葉樹のヤニの香りに混ざって、木を燃やす煙と雑多な食べ物の匂いが漂い始めた。

「アンスヘイム!」

 マストに上った男がそう叫んだようだった。またどっと歓声が上がる。フィヨルドを囲む急峻な山のすそに、張り付くように広がる集落が見えた。

 その風景には明らかに異質なところがあった。およそ現代の北半球なら、よほどの場所で無い限り何かしら電線とかアンテナとか、電気の存在を感じさせるものはあるはず。だが、ここにはそれがない。

 そこから導き出された恐ろしい結論が俺を打ち据える。何が起きたかはわからないが、二十一世紀の東京でヴァイキング船に遭遇した俺は今、おそらく千年ほど前の北ヨーロッパにいるのだ。

 村で吹き鳴らす角笛の音がフィヨルドにこだました。自分の中で何かが決壊したような混乱した感覚を最後に、俺の意識は再び遠のいた。
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