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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
AD9世紀のマイスタージンガー
24/102

ロリとギャマンと商人衆

久しぶりの更新となりました。なんとかエタらずに続けていけると思いますので今後ともよろしく。

「いよう、アンスヘイムの衆、そのちっこいのは幾らだね。着飾らせて連れまわるとは中々新しい売り方だな」

「いや、この子は奴隷じゃありません。売り物じゃない。うちの村の靴職人の娘で――」

「そうなのか? 銀10マルクは出すぞ」

「売ったら族長にどやされます。お引き取りください」

斧を担いだヨルグが眼に力を込めてしつこい商人を遠ざける。


「怖い」震えたシグリが、俺の手を握る指に力を込めた。



 突堤で大立ち回りを演じたその日の、午後。

 

 俺は約束どおり、シグリを連れて市場を廻っていた。喧騒、と表現するにはやや見通しのよすぎる中をあちらこちらのテントを覗いて廻る俺たちは、いささか奇妙な印象を周囲に与えていたことだったろう。

 くるぶし丈の亜麻製ドレスの上に、ジャンパースカートによく似たデザインの上着をはおり、フリーダのものと同様の毛皮帽子を頭にのっけたシグリの姿は、おおむね裕福な農民の子供のよそ行きといった格好だ。しかしそもそも普通の農民の女児は交易都市に来ない。現に今も、無遠慮な商人に再三シグリの「値段」について問い合わせを受けていた。


 町に不穏な緊張をもたらしていたバルディネスたちを追い払った、という噂は瞬く間に広がっていて、俺たちは結構な注目を集めているらしいのだが、気安く声をかけてくれる代わりに誤解に基づくこうした一幕もやたらに多い。


 そのたびに目を白黒させて彼女が自由農民の娘で旅行中なのだと説明するが、背後で両手斧を誇示するヨルグがいなかったら、いろいろとややこしいことになったに違いなかった。


 そのヨルグは湿地特有の重くよどんだ午後の熱気の中、目の詰まった鎖鎧を着込んで完全武装、斧にはまだ脂ぎった血の跡がうっすら残っていて見るからに物騒この上ないし、俺は俺で例によってこの時代に類のないダッフルコートにジーンズの取り合わせ。流石にコートの前は開けてあるが、暑い。

 右腰には縁のほうに焦げ目のついた、中途半端な大きさの狼の毛皮が斧の柄から太腿を守るように垂れ下がり、左腰には急ごしらえの皮鞘で包んだハザールの刀が吊ってあって、正直なところ平均的なこの町の住人、滞在者の間では相当に浮いていた。


「やれやれ、またトールと一緒か」市場に向かう段取りになったとき、ヨルグは世にも哀れな表情を作って俺を苦笑させたものだ。

 

 本来この市場めぐりにはシグリの養父としてロルフが来るのが妥当なのだが、彼はこの朝方までの船の番(後世の言葉で言えば守錨当直)と、昼前の戦闘で流石にへばっていた。 ゴルム翁を除けば彼は一行の中でも年配のほうなのである。アルノルに次いで各国の言葉に通じ、広範な工芸品に目の利く彼が同行できないのは残念だった。


 だが、シグリは嬉しそうである。一応今のところは斧を使うのに両手が必要なヨルグに配慮して俺が彼女の手を引いているのだが、先ほどからシグリがちらちらとヨルグの手元を見ているのは把握していた。


(これは、ヨルグは完全にロックオンされてますなあ)

14歳のフリーダに懸想するのも11歳のシグリに恋慕されるのも、21世紀の感覚からすれば通報ものだが、この時代ではそれほど奇異なことでもない。3歳で輿入れなどというケースも王侯貴族の間では普通にある。フリーダは今のところシグリを応援する腹積もりのようだし、ヨルグが押し切られる可能性も十分にあった。


 とはいえ、シグリのそれはまだまだ近所のかっこいいお兄さんに懐く女児以上のものではないのだが。


 だがまあ、そんなことより聞き込みだ。


 この時代の工芸品はすごい。ついついひとつのテントを覗く時間が長くなりがちだ。見ていて飽きない。

 正直俺は暗黒時代のヨーロッパというものをなめていた。目の前には透明なものから不透明なものまで多種多様なガラス器がすでに存在しているし、女性たちが上着の肩紐を胸の前で止めるのに使う亀形のブローチは必ず二個セット。明らかに鋳型を用いて複数生産されている。

 それらのいずれも、無地の空間を恐れるような、偏執狂的な緻密さで文様が施され、粒金や金線、象嵌の技法を尽くして装飾された水晶やその他の宝石類の見事さといったら、現代のジュエリーデザイナーでも顔色を悪くしそうな代物だ。


「ちょいと物をたずねたいんだがね、親方」飛び込んだ何個めかのテントは設営してから結構日がたった様子で、外側の布が風雨に色あせていた。

「ああ、何だ? 何も買わないなら手短に頼むぞ。このテントは手狭なんでな」

商売っ気の薄そうな男だ。果たしてこの手合いにうまく通じるかはわからないが、俺は引き込むトークを心がけて彼に話しかけた。


「狭いというが、いい店じゃないか。商品が実に整然と並べてある。きっとあんたの頭の中もこんな風に整然と並んでるに違いない。普通の男なら忘れてしまうようなことでも、きっと次から次に順序良く思い出せるんじゃないか?」


「妙な物言いをするやつだな。褒められてるのか、からかわれてるのか良くわからなくなるじゃねえか。まあ俺は物覚えには自信があるほうよ」

「そいつは頼もしい。実はちょいと探し物をしてるのさ。このくらいの大きさの――」

と、俺はシグリから聞いた件の杯のサイズを指で示した。

「透明な緑色の石に銀で縁と足台を作りつけた、三個そろいの大きな杯。そんなものを売りに来たやつはいなかったかね」


シグリが斜め下から追撃を加えた。

「うちの家宝だったものなの。父様と母様が殺されて盗まれた」


「何だ何だ、穏やかじゃねえな。復讐の手がかりと言うわけか?」

「察しが良くて助かるよ。いかにもな財宝だから、噂ぐらいにはなってるのじゃないかと思ってね」

あー、と商人が一声軽くうなった。

「ちょっとこっちへ来てくれ」


 なんだ?


 いぶかしく思いながらテントの隅へ行って彼に続きを促すと、耳を貸せ、というジェスチャーをよこしてきた。とりあえず彼の口の高さに首を傾けてみる。

(あの娘っ子にはちょっと聞かせたくなくてな。確かに俺はその杯を見たと思う。スギゴケのような落ち着いた色合いの緑色をした、透明なやつだ。だが持ち込んだやつが提示した値段が高すぎたんで、俺は買わなかったんだ)

(なるほど。だが宝石だったらその大きさ、相当の値段でも見合うと思ったが)

(宝石? ああ、素人はそう思うかも知れんな。だがありゃあ大地の奥深くから生まれるものじゃない。工房の炉から出てくるもんだ。ガラスだよ。気泡があった)


 ガラス?


(まあ、たいした技術で作られたものなのは認めるがね。他であんなガラス器は見たことがない。だがな、細長く引き伸ばされたわずかな気泡が、確かにあったんだ。持ち込んだやつが気に食わなかったんで教えなかった)

 奇妙な話だが男の話に嘘はなさそうだった。これはうまく立ち回れば買戻しも楽になる材料かもしれない。

(どんな奴だった?)


(名前はエイリーク、二つ名は「焼き討ち」だ。ノルウェーのローガランって土地から時々戦利品を売りに来てたんだがとにかく評判の悪い奴さ)

(ありがとう! 何か買っていかないと悪いかな、これは)


俺はシグリとヨルグに向き直り、会心の笑みを浮かべて見せた。

「シグリ、仇の名前が分かったぞ」

「ほんと!?」

「焼き討ちエイリークっていういけ好かない奴だそうだ」


「おじさんありがとう! その髪留め買うわ」

シグリがぱっと破顔して、陳列台の上の銀製品を指差した。

商人は相好を崩し、さらに仲間内での噂を教えてくれた。

「ありがとうよ。確か三軒先のテントにいる商人が、件の杯を買ったって話だ。見に行ってみるといい」


 シグリが手持ちからディルハム銀貨3枚を支払って、店を出た。商人からの情報を元に問題のテントへ向かう。


「そんな調子で買い物してると後々困るんじゃないか?」

 

 ディルハム銀貨の流通価値は大体21世紀の日本円にして1万円弱といったところか。物価の基準が大きく違うので正確なものではないが、そこから食料品や日用品は安め、高度な工業製品や工芸品は高め、と考えるとおおよその感覚はつかめるだろうか。

 なんにしても俺自身の感覚だと子供が小遣いからぽんぽんと出す金額ではないような気がするのだったが。

「心配するな、トール」ヨルグが事も無げに言い放った。

「ロルフは腕のいい靴職人だ。村の連中の靴はどれも彼の作ったものだし、毎年の交易でもこの町で靴を売って結構な金を稼いでる」

「そうなのか」

「シグリの持ってる金はロルフが出したものさ、何だかんだと言っても、可愛くて仕方ないんだよ」


 ヨルグの言葉に少しはにかんで、シグリは嬉しそうに微笑んだ。俺はその肩に優しく手をのせ、彼女の瞳を覗き込んだ。

「俺もシグリも、アンスヘイムで世話になって幸せだな。みんないい人ばかりだ」

「うん!」こっちを見上げて得意げにうなずくシグリに、胸中に暖かいものが広がるのを感じた。

「よし、じゃあ次のテントに行って見るか」




 教えられたテントに、果たしてその杯はあった。想像した以上に見事なものだ。原生林の地表部にはびこる蘚類を思わせる、暗く落ち着いた色調の緑の石、もしくはガラスの杯部分。明らかにエメラルドといった類のものではない。

 足台と縁を形作る銀細工部分には、なにか別種の金属と合金にしたものらしく、黒い酸化膜が見当たらず独特の輝きを放っていた。その細工は当世風の北方様式とはやや趣を異にする、やや古拙で、しかし細部まで丹念に技を尽くしたものだ。


「あった……」シグリが放心したようにつぶやく。店を切り盛りする三十がらみの女商人は、そんな彼女を不思議そうに見つめた。目元にくっきりした化粧を施すやり方は、このヘーゼビュー近辺に特有のものらしい。朝方にリンベルトの教会で見た会衆の中にもこの化粧をした男女が見受けられた。


 お姉さん、と俺は見え透いた世辞を込めて話しかけた。

「この杯は三個揃いだと聞いたが、この店には一個だけ?」


「ああ、この店にはそうだねえ。これだけ。売りに来た男、金が欲しかったらしくてね。

とにかくえらく割高な値段を言い張って一歩も引かないもんだから。物がいいのは分かってるからまとめて買いたかったんだけどさ」

女商人はむすっとした表情になって、その不本意な取引について思い出す様子だった。


「エイリークとか言ったかね、あの男。『イングランドへ行く』と仲間に言ってたよ」


 イングランドか。


 残念ながら俺はウイリアム征服王以前のイングランドの歴史については、まるで知らなかった。せいぜい、アーサー王が実在してないことくらいしか分からない。

「で、どうするのさ? 買うのかい」

女はあまり興味なさそうに聞いてきた。

「幾らかな?」

「そうだねえ、少なくとも銀3マルク」

「む、中々高いな……」

ノミスマ金貨換算で10枚近くになる。イレーネにもらった金で何とかなると思っていたが、少々見通しが甘かったようだ。


「お姉さん。その杯、宝石じゃなくてガラスだと聞いたんだが……」

藁をもつかむ気持ちで値切りの布石を打つ。ガラスを宝石と誤認して買ったのなら不良在庫として処分すればあきらめもつくだろうという判断だったが、女商人はけたたましく笑い出した。


「ははっ、ガラス? あんた、これがガラスだって? ああ、そりゃまあガラスには違いないさ。でもこれはそんじょそこらのガラスじゃないんだよ」

「何?」

「物を知らないってのは困ったものだねぇ。おおかた近所のテントで聞きかじってきたんだろうけど……人の手によらずに作られるガラスがあるのを知らないかい? こいつはモルダウ石って呼ばれてる。天から落ちてきたって言われるガラスさ。ヴェンドの土地で珍重される魔法の石だ」


女商人はまなじりをキッと尖らせ、かたくなな態度になった。

「こんなことも知らずに値切ろうなんて、いい度胸さ。買うのなら4マルク。これ以上まからないよ」


 やっちまった。浅知恵を出したばかりにこの女の機嫌を損ねてしまったようだ。ヴァイキング相手の市場にふさわしく、テントには屈強なデーンの戦士が控えている。おかしなそぶりをすれば命もなくなりそうだ。


「こいつは悪かった。だがなんにしてもその杯は買い取りたい。少ないがノミスマ金貨を一枚渡すから、残りの金を作ってくるまで売らずに――」そういって懐から金貨を出そうとすると、ヨルグが俺を押しとどめた。


「その必要はない、トール。あんたがその金を出すのは筋違いだ」

そう言うと、ヨルグはベルトにつけた皮製の小さなバッグから、無垢の銀塊を一個取り出した。

「きっかり1マルク、これを前金に払おう。あとの金は数日のうちに持ってくる。アンスヘイムのヨルグ、『血斧のヨルグ』の名にかけて誓う。よそに売ったら承知はしない」


 女商人は一瞬息を飲んで身をすくめたが、次の瞬間には嫣然と笑みを浮かべてヨルグの手を握った。


 商談成立の確認だった。



あれ……ヨルグage?

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