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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
ミクラガルドの騎士
19/102

月下に咲くトラブル

 

 日が沈むと辺りはすっかり、青みがかった薄闇に包まれた。町並みというにはいささか物寂しい、低い屋根の連なるそのあちこちに、漸くぽつぽつと獣脂ランプの明かりが灯り始める。

 人気の絶えた桟橋の辺りはといえばもう、所々に盛り上がる木々の影に遮られて、そのランプの明かりもろくに届かず荒涼とした有様だ。

 静寂の中、時折遠くの水面に跳ねる何かの魚の立てる水音に驚いて見渡せば、ただ靄に包まれておぼろな月が東の空に浮かぶばかり。桟橋につながれた船がかすかな波に揺られて左右に振れ回る。



(これがクナルじゃなくて船宿の屋形船なら、まるきり江戸だわな)

どこからか笛と太鼓の囃子でも聞こえてきそうな気がする。


 ヴァジは狼皮のマントの襟の辺りを時折掻き合わせて、デンマークの湿った夜風の中で退屈な任務を耐えていた。

「まだ結構冷えるな」

月を見上げて彼はしみじみとつぶやいた。


「俺は腹が減った。フリーダ、まだかな」

 ヴァジはどうやら見張りにつく前に、宿に定めてある長館でたっぷりした食事を済ませてきたらしい。

 ヘーゼビューには旅商人に宿を提供することを生業にする、そこそこ富裕な住人も少なくないという。アンスヘイムのヴァイキングたちが宿を取ったのはそんな住人の空いた家作の一つで、毎年交易で訪れるときには世話になっている家なのだそうだ。


(事情が飲み込めてる奴は要領よく動けていいよなあ)

内心にため息をつく。


「トール。フリーダが食事を届けに来て、蜂蜜酒がついてたら、少し分けてくれんか」

「二人分あればな」

現金な物言いにすこし反発心が頭をもたげる。食事は済ませたんだろうに。

「フリーダは良い娘だ。頭が良いし他人の気持ちもちゃんと思いやれる。トールに食事を運んでくるなら、仲間の分の飲み物も手抜かりなく用意してくれるだろう」

「へえ」


 どうも気持ちが浅ましい方向へ流れる。野垂れ死にから救ってもらって恩義を感じてはいるのだが、経済的に自立した立場になれないままと言うのはいろいろと堪えるものがあるものだ。


 月明かりの下で桟橋から町の方を凝視していると、次第に目がおかしな感じになってきた。明るく照らされた部分に慣れるにつれて、暗くなった影の部分がいっそう沈んでしまい、その位置にあるものがまるで判別できなくなるのだ。意識したことも無かったが、これは危険だ。おまけになんだか眠くなってくる。

「ヴァジ――」

「どうした?」

「なんと言ったら良いか……月がある所為か暗いところが見えん」

「ああ。俺も覚えがあるな。鍛冶場で火を見つめすぎると、暗いところで物が見えなくなるんだ。外套についてる頭巾をかぶってしばらく目を慣らしとけ」


「ふむ」

「それと、スノッリから聞いた秘伝がある。夜は目の端で物を見ろ。一点を見つめずに視線を横にずらしながら見張れ、だったかな」


 奇妙な話だと思いながらも、言われたようにやってみる。頭巾のほうはすぐに得心が行った。天文台が外光の少ない山の頂に建てられる理屈と同じらしい。

 秘伝のほうもなんとなく動くものが捉えやすく感じる。草むらを出入りする小動物の影らしきものが目に入って、少し興奮を覚えた。眼球の機能によるものかもしれない。


「ただがむしゃらに睨むだけじゃダメなんだな」

「見張りは案外難しいんだよ。ちゃんとできる奴は重宝される」

俺も重宝される人間になりたいものだ。気持ちだけは懸命に前へと向くが、彼らと俺とではどうにも基本性能に差がありすぎるし、文明的な道具のサポートなしでの活動には経験の蓄積が必要で、その意味において俺はこの時代では子供同然なのだ。




 何処か遠くで犬の吠える声がした。続いて人の叫び声と何かの壊れる音。大人数が木道の上を移動するがたついた響きと、かすかに混ざる湿った土の圧縮される音。

「何だ?」

「トールにも聞こえたようだな」

ヴァジの顔がこわばった。昼間の騒ぎと何か関係がありそうだ。


 やがて駆け回る音はまばらになって立ち消え、闇の中に吸い込まれたように静けさが戻った。そのまま停滞した時間が流れる。ふとどこからか、がさりと草むらを掻き分ける音らしきものが聞こえた。気になって耳を済ませたがそれっきり、音は途絶えた。




 それからまもなく、市場の方角から明かりを携えた人影が現れた。一瞬緊張したが、すぐにフリーダだと判った。シグルズが同行している。


「ちょっと遅くなったわね。お待たせ、お腹すいたでしょ」


「ああ、もう少し遅かったらヴァジを食ってたかもな」

「食うなよ。俺は鉄臭くてまずいぞ」


 後ろのシグルズから受け取った荷物を次々に桟橋の上に並べていく。半分以上はシグルズに運ばせていたらしい。

「今しがた何処かでおかしな音がしたんだが、何か気づかなかったか」

「人混みのあるところを通ってきたから……何かあったの?」


「そうか。じゃあ気にしなくていい」

無理に怯えさせることもないだろう。


 取っ手のついた桶を岡持ちのように使ってフリーダが持ってきた食事は、火で炙ったニシンの燻製とチーズを加えたオーツ麦の粥、それに煮込んだぶつ切りの魚――ウナギだ。


「蜂蜜酒は壷で持ってきたから、みんなの分もあるわ。シグルズさんもご苦労様」

そう言いながらフリーダは角杯を満たしてシグルズに手渡す。ヴァジも期待以上の展開に満足そうだ。


「じゃあ、早速いただくか」

木製の椀に添えられた木のスプーンで粥をすくっては口に運ぶ。水分は少なめで、存外に腹にたまる感じだ。ウナギは赤ワインで煮込まれたもので、柔らかな歯ごたえとこってりした味わいがなかなかいける。胡椒か、せめて生姜があれば完璧だったと思うが贅沢を言っても仕方ない。


 ふと思いついて、粥の上にウナギを一切れ乗せてみる。なんとなく鰻丼めいた見かけにくすりと笑いが漏れた。そうだ、今度木を削って箸を作ろう。時間が遅くなったのには参ったが、美味い料理に俺は満足していた。


「楽しそうね、トール」

「ああ、ちょっと故郷の料理を思い出してた。美味いな、これ」


「そう、よかった。アルノルさんがね、『トールにウナギの話をしたらなんだか泣きそうな顔してたぜ』って言うから、宿の女将さんに頼んで作ってもらったのよ」

「そうか、ありがとう」

アルノルの意外な細やかさとフリーダの心遣いに、暖かいものが胸に広がるのを感じて俺はちょっと泣きそうになった。


「おお、羨ましいねえ。この色男め」

横合いからヴァジが冷やかしてきた。肘で小突くのはやめてほしい。


 燻製ニシンは多めにあったので、蜂蜜酒の肴に皆で齧った。塩気が強いので酒が進む。

「そのくらいにしろ、シグルズ。交代の後そのまま見張りの順番だろ」

「これしきの酒で俺がつぶれるものか」


 ちょっとした夜宴の様相を呈した食事を終えてしばらくすると、ロルフがやってきた。

この後俺たちと入れ替わりに合流して、シグルズと二人で朝まで見張りに立つということだった。




 桟橋を後にして宿へ向かう。月はそろそろ中天を通り過ぎ、西へと傾き始めていた。


「ロルフは貧乏くじを引いたな。もう壷の酒はあまり残っちゃいまい」

「シグリがなかなか寝付かなくて、難儀したと言ってたな」

残り少ない蜂蜜酒の壷と角杯はそのまま残してきていたが、朝までシグルズと二人で飲むには足りないだろう。


「私も流石にもう眠いわ」

フリーダがあくびをかみ殺しながら歩く。空になった椀を収めた桶をぶら下げて、バランスが悪そうだ。

「俺が持とうか。重い――」言いかけたその時。



 木道の脇に刈り残された丈の高い草むらから人影が現れ、ぎらりと光る抜き身が俺の鼻先に突きつけられていた。

「なっ!?」


「動くな」

 抜く手も見えない練達の剣とは裏腹に、細く高い声。しかしそこにはトレーニングを積んだボーカリストのそれに通じる、しなやかさと張り、内圧をひと纏めにした強さが感じられた。


 背後から差す月光と頭部にかぶさったフードのために顔が判然としない。


「何者だ、貴様」

言いざま、ヴァジの右手が腰の剣に伸びる。だがほぼ同時に、襲撃者の手からなにか小さな物体が飛び出してヴァジの指を撃った。抜きかけていた剣をそのまま取り落としてヴァジがうずくまる。

「動くなといったはずだよ」

襲撃者はヴァジが取り落とした剣を足で踏まえ、俺の鼻先にさらに剣を押し込んだ。ヴァイキングたちが使う剣よりも幾分細い、ひし形の断面をしたまっすぐな剣だ。

「その桶の中身は食事だろう。置いて立ち去れ」

思わず、フリーダと顔を見合わせる。

「動くなと……」


「中身は空だ。開けてみろよ」

鼻先に迫る剣から顔を背け、両手を開いて肩の高さに掲げたまま、俺は襲撃者にそう告げた。

「宿屋からの借り物なの。できれば持っていかないで」

フリーダがさらに畳み掛ける。


「そこに置け。改めさせて貰う」

こちらに剣を向けたまま、奇妙な夜盗は桶のふたを開けて中を覗き込んだ。日本人らしく麦粒一つ残さずに片付けた粥と、ウナギのわずかな骨だけが残った椀二つ。

「追いはぎの真似までした挙句にこの結果か。情けない……行って良いよ」

あからさまな落胆を声に表し、悄然と肩を落として剣を引く。そそくさと立ち去ろうとするその背中を、ヴァジの体当たりが猛襲した。


「がっ……!」

2mほど吹っ飛んで近くの小屋の軒下に転がる。なるほど、追いはぎのプロではないらしい。自分から背を向けて立ち去るなど迂闊にもほどがあった。


「俺としたことが、油断したな」

右手の小指側をさすりながら倒れた人物の上にヴァジがかがみこむ。俺たちも靴を泥に取られながら駆け寄った。

「明かりをくれ」

フリーダが持ってきていた鉄の獣脂ランプはもう消えてしまっていたが、ポケットからライターを取り出して着火すると、どうにか相手の顔が見分けられるようになった。


 すらりとした鼻梁と抜けるような白い肌。顎や眉の骨格が未発達でラインが甘く、喉頭の隆起、つまり喉仏もほとんど無い。

 服装は膝丈の白いチュニックにフードのついたクローク(袖なし外套)、長ズボン。

それなりに身分のある若い男の旅装に見えるが。

「どうやら、女か」

良かったなフリーダ、お仲間だぞ。すぐばれる男装の。


「どうするの、これ」

「女なら奴隷商人に高く売れそうだが……」

ヴァジが物騒なことを言い始める。


「やめなさいよ、莫迦」


 白状すれば俺もちょっとだけ考えた。目の前に延びている人物は、女であればかなりの美女だ。セイウチ牙とは比較にならない値で売れるだろうし、何よりこの状況ならヴァジと山分けだ。


 しかし、流石に自分が奴隷売買に加担するのは抵抗がある。それに――


 ざりっ、と小石を踏み砕く低い音。誰かが近づいてくる。それも複数。

(二人とも静かに。囲まれつつあるかも知れん)

声を潜めて二人に警告する。

(誰に!?)


(判らん。が、この女と昼間の一団は無関係じゃなさそうだ。捕まると厄介なことになる気がする)

さてどうにもややこしい事になってきた。


「とりあえずそいつを担いでくれ。この場から離れるぞ。桶は心苦しいが走るのには邪魔だ、置いていこう」

 家屋の影に沿って駆け出すと、はたして複数の足跡が歩調を速め、こちらを追跡にかかる様子だった。

 どうするべきか。俺には土地勘が無いが、かといって宿へ駆け込めばメンバー全員を危険にさらす。何処か、身の安全を確保できて、後から皆と合流するのに都合の良い場所。



「ヴァジ、交代だ。フリーダを頼む!しばらく奴らを引き回して、適当なところでまいてくれ、出来るよな?」

「お安い御用だ。あいつら律儀に木道の上を走ってやがるからな。お前はどうする?」

「キリスト教の教会がある。あそこで待つからほとぼりが冷めたら迎えに来てくれ」

「解った」


 気絶したまま目を覚まさない女をヴァジから受け取り、肩に担いで教会の尖った木造屋根を目印に走る。フリーダより長身だが、走れないほど重くは無かった。冬の間の力仕事で地力がついていることに感謝しつつ、俺は夜のヘーゼビューを駆け抜けた。




難産でございましたッ。

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