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ばいめた!~楽師トールの物語(サガ)~  作者: 冴吹稔
ミクラガルドの騎士
18/102

交易都市の午後

「おい、トール!なんだかおかしな連中と、一幕あったそうだな」

皆が集まるテントで顔を合わせるなり、ヨルグは俺をぎろりと睨んで詰め寄らんばかりの様子を見せた。フリーダを守れないならお前などここにいなくて良い。視線がそう言っていた。


 桟橋での一件はすでに他のメンバーにも知れ渡っていた。彼らがこの町で交易を行うのはほぼ毎年のことであり、当然ヘーゼビューには顔見知りが少なからずいる。そのうちの誰かが早速の注進に及んだものらしい。

「デーンでもノースでもない、見慣れん他国人らしいな」

「市場の噂を聞く限り、ルスでもヴェンドでもない。フランクやアラブの連中とも違う」

ヴァイキングの情報網は精細かつ疾いようだ。多彩な相手と広く交易を行うだけに、他者を見る目が鋭くなるのだろう。


「ものすごい剣幕で腕を掴まれたけど、人違いらしいわよ」

フリーダがのんきな様子でさらりと流そうとするが、微妙に声が震えているのは隠せていなかった。

その様子に、ヨルグがさらに殺気を漂わせ始める。勘弁してほしい。



「あ、あの」

そんな中、シグリがおずおずと声を上げる。

「スネーフェルヴィクを襲ったのがその一団だったりとかは……」

手がかりめいたものがあれば何にでも飛びつきたいようだ。気持ちは分かる。


 しかし、彼女には可哀想だがその可能性は低いと思えた。襲撃からはや一ヶ月と十日近く。その間現在まで、特に装備などの外観に手を加えることなく活動を続けているとすれば、必ず他所で噂になっている。そもそも、もしハラルド王に征服された豪族の敗残兵なら、あんな目立つ格好をする意味が無い。



「そういえば、シグリの村から奪われた宝って、どんな物なんだ?」

なんとなく興味がわいて聞いてみる。


 成就の可能性の薄い復讐へと幼い少女をことさらに駆り立てるような、無神経なことを言った、とすぐさま気づき後悔した。だがシグリは夢見るような表情を浮かべて家伝の宝を眼前に思い描く様子だった。


「……大きな緑色の透明な石で出来た杯で、縁と足台が銀で出来ているの。三つお揃いで、大きさは口の径が母様の手の幅くらい」

軽く手を開いた親指から小指までの距離を自分の手で示してみせる。成人女性の平均的な手なら15cm弱。

「1スパンに満たないくらいか」

誰かが俺にわからない単位で表現した。何にしてもそのサイズなら――緑色の石と言うのが何かの宝石だとすると――とてつもなく大きい。それが三個。


「大変な財宝だな」誰からとも無くため息がもれる。


 それほどの物ならおいそれと買い手がつくとも思えないが、見れば確実に記憶に残る。案外、足取りをたどることは可能かもしれなかった。

「明日にでも市場を回ってみようか、シグリ。やつらは商人に買取を持ちかけるくらいの事はしたかもしれない」

「うん!」


 この娘のこんな明るい表情を見るのは初めてだった。本来ならばこのくらいの年頃の子供は、世界の全てから愛され認められ祝福されて在るべきだと思う。なのに笑顔の理由が「復讐の手がかりに近づいた予感」であるとは。


(蓬髪のハラルド王――スネーフェルヴィクを直接焼いたのが彼の軍勢で無いとしても)

無意識に下唇を噛むと、栄養の偏りがあるのかひび割れた感触があった。舌先で湿しながら思念を巡らせる。

(王座への野心が引き起こす結果には、良し悪しを問わずに責任をもって欲しいものだ)


 もちろんオウッタルのような、ある種近代的と錯覚させるほどの合理的精神と知性を宿した人物が「英邁な」と評する相手であれば、その程度のことは帝王学の一環として身につけているのかもしれないが――

俺のような矮小な人間には、ガム代わりにこんな雑な思考でも噛んでいないことにはいろいろと収まりがつかないのだ。




 市場をやや見下ろすような傾斜地の途中に設けられた、大小さまざまな木彫りの神像が林立する原始的な祭壇の前で、アンスヘイムの男たちはパンや酒、ミルクを並べて神妙そのものの面持ちで一心に祈っていた。


「……なにとぞこれなる供物を享けられ、あたう限り大量のディナール金貨、ディルハム銀貨を携えた、我らの言い値のままに品物を買い付けてくれる気前のよい商人をアラブからであれフランクからであれ、速やかにお差向けください」


 ゴルム翁の低い声が響く。荘重な印象ではあるが、内容は噴き出すほどに即物的で現世的なものだ。商業蔑視に走りがちなイメージのあるキリスト教社会から、後に資本主義が胚胎するのは案外こんなところに下地があったのじゃないだろうか。




 祈りが終わると俺たちはテントに戻り、荷物を見張っていた残りのメンバーと合流した。もうそろそろ夕方に差し掛かるが、この町に起居する工芸職人のうちの目ざとい者が、さっそくセイウチの牙を値踏みし始めている。今しも壮年の細工師が一人、しっとりとクリーム色を呈した質のよい牙を目に留めアルノルと交渉をしていた。



「短いのが残念だが、芯のほうまでみっしり詰まった良い牙だのう」

「だろう? 一本あたり銀、3エイリルでどうだ」


「長いのはないんかね?」

「うちでは当面仕入れの予定が無いな。数にも限りがある、買うなら今だぜ」

なおも気難しげに考え込む細工師をあおるように、アルノルは懐から大き目の懐中時計ほどの容器に収まった、精巧な折りたたみ式の秤を取り出して見せた。


「こいつを見てくれ。サラセンの商人から譲り受けた正確な秤だ。あんたの銀貨を砂粒一つの重さもごまかさずに量ってやるよ」

 微笑むアルノルの傍らには少し離れてフリーダとシグリが佇み、謎めいた笑みを浮かべて細工師と秤を交互に見ていた。


「よし、一本買うとしよう。わしが腕を振るえば売るときにはさらに何倍にもなるさ」

「頼もしいねえ」


 職人は首に下げた紐を外し、そこから何枚もの銀貨を抜き取った。紐を通すために、銀貨一枚一枚には小さな銀のループが、ロウ付けか何かの方法で取り付けられている。彼らは貨幣を額面ではなく純粋に貴金属の重量で量って使うのだ。


「おお、ディルハム銀貨だな。3エイリルだとおおよそ24枚か」

薄い小さな銀貨、ざっと見て3gほどの重さのそれが丁寧に量りに載せられ、分銅とつりあわせて量られる。分銅の方の皿がわずかに沈んだ。

「少しばかり磨り減ったものがあるようだ。もう1ペニングルだな」

「そうか」

細工師はもう一枚銀貨を抜き出すと、それを無造作に3分の1ほどナイフで切り取って秤に載せた。

「これでよかろ。釣りは取っておけ」

「流石、腕の良い職人は気風もさばさばしたもんだ。毎度あり!」

お互いの手を握り、肩をたたいて商談成立を確認する。少女二人から可愛らしい会釈を受けて細工師が相好を崩し、牙を担いで去っていく。


 その後も何人かの職人を相手に、似たようなやり取りが繰り返された。



「売れ行きはどうだい」

「悪くないな。てっきりオウッタルが俺たちより先に長い牙を流してるかと思って、買い叩かれるのを覚悟してたんだが」


「ここで売ってない?」

 奇妙だ。今気にすることではないと思うが、何処か他所へ持っていったということか。だがオウッタルはセイウチ狩りの後、別れる時にヘーゼビューでの再会を匂わせていたのではなかったか。

 何か予定が狂ったということは十分考えられるが、この町でハラルド王の情報を得られないとなるとこちらも困る。

「オウッタルくらいの商人ならここに館の一つも持っていそうだが……探しに行ってみるかな」


「すまんが、トールは俺と来てくれ」テントの奥からヴァジが声をかけてきた。

「もうすぐ店じまいだ。夜は商品をまとめて宿に引き上げるが、船の番がある。あっちでヨルグとスノッリの組と交代だ」


「そうか、分かった。飯は?」

「その辺の店で済ませられる」

ヴァジが事も無げに外食を示唆した。


「しかし俺は手元に……」


「食事は後で届けるわ、待ってて」

フリーダが俺の発言に食い気味にかぶせて叫んだ。いや、確かにそれも嬉しいけど金を貸してもらったほうが良いなあ。

 そんなことを考えて憮然としていると、フリーダが店先から奥への移動を装って、すばやく耳打ちしてきた。

(お金のことは何とかするから、もう少し待って!)

へいへい。


 いささか情けない気持ちになりつつ、ヴァジと二人で港へ向かう。日没の鐘が物憂げに鳴り響き、湖面にかかった薄靄の奥へとこだまして消えていく。家々の影が木道と草地を縫い合わせて長く伸び、岸辺に横付けにされたロングシップの船体は西日を受けて、金色の光を帯びて見えた。


 南北へ弓形に築かれた長さ200mほどの突堤を、岸に接した北側からたどっていくと、ちょうど中ほどに大山羊号の繋がれた桟橋がある。


「ご苦労さん、交代だ」

舫綱の結ばれた杭のところに佇んでいる人影に、ヴァジが手をふる。


「退屈だったぜ。ヴァジとトールも交代まで精々頑張ってくれ」

ヨルグが緊張から解放された様子で斧を両手に持って、重量挙げの選手を思わせるポーズで背を伸ばした。





 秤量貨幣の計算、換算レートのリサーチと作品用のまとめでえらく時間を食いました。やれやれ。まだ実のところ完備してないです。


 で、前々回あたりで軽々しくトールが剣を購入しそうな流れになってましたが、この時代出来合いの良い剣をこうした交易都市で探そうとすると、絶望的な値段になることも判明w


 人命賠償金の物納を定めたカロリング朝の法令で見ると、鞘つき剣の値段が7ソリドゥス(東ローマのノミスマ金貨の1/3に相当)。これを元に計算すると1ソリドゥスが7ディルハム銀貨(1ディルハム貨は銀3g前後)くらいとして49ディルハム、エイリル(24.5gの銀の秤量価値)換算で6エイリルとかそんなもん。


作中のセイウチ牙の価値にして2~3本必要な感じ。だいたい一本4~60万円くらいの感覚でしょうか。江戸期の「保存刀剣」クラスと大体同程度なので9世紀の工業品価値と現代の美術刀剣としての価値が概ね折り合う結果に。


何にしてもフリーダからポンともらえるお小遣いで買える代物ではないですね。orz

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