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第九話 星道線を開く

「まだ口の中が苦え……ったく」


 拓真の隣で、ガウルがぶつぶつと文句を垂れていた。

 しかし拓真にはそれに構っている余裕はなかった。

 近づいてくる女性から目を離せなかったのだ。


 そしてその女性は、拓真の数歩手前でピタリと足を止めた。


 肩の下まで伸びた茶色の綺麗な髪。整った顔立ち。

 背もそこそこ高く、モデルのような体型だ。

 年は拓真とさほど変わらないように見える。

 しかし、鋭い眼差しだけは同年代の誰とも異なっていた。

 まるで、拓真の奥にあるものまで見透かそうとしているかのように。


「あなたね」


 澄んだ声が、女性から聞こえてきた。


「え?」


「二日前。この近くの神社で、星衛軍を倒した地球人は」


 拓真の心臓がバクンと音を立てて鳴った。

 なぜ、それを知っているのか。

 あの場にいたのは、拓真と猫の姿をした化け物と――拓真にしか見えないガウルだけのはずだった。

 咄嗟に拓真はガウルの方を見ると、ガウルは腕を組んで女性を睨んでいた。


「冗談じゃねえ。この女も地球に来てんのかよ……」


 文句を垂れたガウルが、露骨に顔をしかめる。

 そして女性は拓真との距離を更に近づける。


「私はミナ。そっちの名前は?」


 その女性は自分の名前を短く名乗った。


「お、俺は、日向拓真……」


「覚えておくわ。その名前」


 女性が口角を上げたその横でガウルはため息をついた後、夜空を見上げた。


「くそっ。よりによって、なんでAガードの女が」


「え、えーがーど……?」


 思わず聞き返した拓真に、女性は眉をひそめる。


「ん? 何か言った?」


「言ってないです!!」


 上手く誤魔化した拓真だが、女性の視線は拓真から少しも逸れなかった。

 すぐ隣にガウルが立っているというのに、そちらには目もくれない。

 この女性にも、ガウルの姿は見えていないのだ。


「おい拓真。余計なこと喋んじゃねえ。絶対にだぞ」


 ガウルが低い声で釘を刺す。

 そして拓真は女性に気づかれないよう、口元を手で隠して囁いた。


「……知り合い?」


「……昔の、ちょっとな」


「アストラから地球に来たのは、ガウルだけじゃなかったの?」


「八割くらいは来ると思ってたが……遭遇すんのが早すぎんだよ……」


 それだけ言って、ガウルは視線を逸らした。

 あの猫に「同胞を殺めた」と言われた時と、同じような表情だ。


「私は神社に残っていた痕跡を追ってきたの。星衛軍が消えた跡、それに混じっていた別の気配。それを辿ってみたら、地球人のあなたに行き着いたのよ」


 女性はそう言うと、拓真の顔を更に近くでまじまじと見つめ始めた。


「んー……失礼だけど強そうには見えないなあ。あなたで間違いないようだけど……」


「あ、あの、俺は……その!」


「この人、拓真の知り合い?」


 横から、修吾が顔を覗かせた。

 キョトンとした表情で、拓真とミナを交互に見比べている。


「せいえいぐん、って何? ゲームの話?」


「いや……えっと」


 拓真が言葉に詰まった、その時だった。


 ミナの目が修吾に向けられて、その眉がわずかに寄る。


「……あなた」


「ん? 僕?」


 修吾は、人の好さそうな顔で首を傾げた。

 ミナは何も答えずに、じっと修吾を見つめている。

 

 同じ瞬間、ガウルもまた修吾を見ていた。

 鋭い目が、さらに細められる。


「……修吾、とか言ったな。こいつ」


 ガウルの呟きは、拓真にしか聞こえない。


「ガウル? 修吾がどうしたの?」


「いや……分かんねえ。何かが、引っかかる」


 拓真には、意味が分からなかった。

 修吾は小学校からの、たった一人の親友だ。

 ついさっきまでカフェで笑い合っていたばかりの親友だ。

 そんな修吾を、二人が睨みつけている。


「ねえ、拓真。この人、なんか僕を見てるけど……」


 修吾が何か言いかけた。

 しかし、その言葉の続きは拓真の耳に届かなかった。


「うっ!」


 頭の奥を鈍器で殴られたような、あの痛みが走る。

 ズキン、ズキン、と一定の間隔で脈を打つ。

 神社で対峙した猫型の星衛軍と、まったく同じ痛みだった。


「拓真!? 大丈夫!?」


 膝をつきかけた拓真の肩を、修吾が慌てて支える。


「……ちっ。なんだ、そういうことかよ」


 ガウルが、舌打ち混じりに吐き捨てた。


「さっきの嫌な感じは、こいつだったか」


 ミナもまた、修吾から視線を外していた。

 その目はもう、通りの先へと向けられている。


「……近い」


 ミナの視線を追って、拓真は顔を上げた。


 商店街から一本外れた薄暗い路地。

 その奥に、人影がひとつ立っていた。


 頭からつま先まで、黒いフード付きのコートに覆われている。

 街灯の光すらも呑み込むような、闇よりも黒い色だ。

 

 人影がゆっくりとフードに手をかける。

 布が滑り落ち、その下から現れたのは――。


「い、犬……!?」


 長く突き出した鼻面。ブラウンの毛が風に揺れている。

 そして口の端から覗く、鋭い牙。

 人間の身体に、犬の頭がトンッと置かれているかのようだった。


 神社で見たあの化け物と同じ。

 ただ、あの時の猫とは違って、こちらは最初から隠すつもりもないように見えた。


「星衛軍……!」


 ミナの声に、初めて感情が滲んだ。

 犬の頭を持つ星衛軍が、裂けたような口でにたりと笑う。

 そして、一歩。また一歩と、こちらへ近づいてくる。


「下がって。巻き込むわけにはいかない」


 ミナが拓真と修吾の前に立ち、右手を、まっすぐ前へとかざす。


「星道線を開く」


 次の瞬間、世界から一瞬で音が消えた。

 車の音も、人々のざわめきも、まるで遠くへ吸い込まれるように聞こえなくなる。

 残っているのは、今にも切れそうな蛍光灯のジー……という低い唸りだけ。


 景色はさっきまでの商店街のままだが、その色はどれもが古い写真のように褪せている。

 見慣れた場所のはずなのに、どこか夢の中で迷い込んだような、懐かしくて気味の悪い感覚。


「……え?」


 そんな世界の中で、拓真は呆然と辺りを見回していた。

 修吾の姿が、どこにも見えない。

 残っているのは拓真とガウルと、ミナ。

 そして路地の入り口に立つ、犬の頭の星衛軍だけだった。


「しゅ、修吾……? 修吾は!? っていうかここは!?」


「落ち着けよ。あいつは消えちゃいない」


 ガウルが、拓真の肩越しに低く言った。


「ここはあの女が創り出した、対銀河星衛軍のための空間。『リミナル』だ」


「リ、リミナル……?」


 振り返ったミナが、拓真を見て目を見開いた。

 信じられないものを見たかのように。


「え、どうして……?」


 その声は、かすかに震えていた。


「この空間に地球人は入れないはず……あなた一体、何者なの?」



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