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暇になったから、ゲームを始める

「で、結局別れたの?」

 大学構内のベンチに座るなり、犬塚宏太は開口一番そう言った。

 ペットボトルを口元まで運んでいた猿渡駿は、そのままの姿勢で数秒固まった。

「……別れた」

「1ヶ月?」

「1ヶ月と――」

「細かく数えるのやめろよ。余計に悲しくなるぞ」

「お前が聞いたんだろ」

 駿はため息をついて、スポーツドリンクを一口飲んだ。

 6月。

 梅雨入りしたばかりの空は曇っているが、今日は雨こそ降っていない。午後の講義を終えた学生たちが、2人の前を思い思いの方向へ歩いていく。

 大学生活が始まって2ヶ月ほど。

 そのうち1ヶ月を付き合った、人生初の彼女とは数日前に別れた。

 大学入学直後の妙な高揚感の中で知り合い、なんとなく意気投合して、そのまま付き合い始めた。

 初めて彼女ができたときは、もちろん嬉しかった。

 だが1ヶ月ほど経つと、2人とも同じことに気づいた。

 嫌いではない。

 話が合わないわけでもない。

 ただ、恋人として一緒にいると妙に疲れる。

 結局、どちらからともなく「友達の方がよくない?」となった。

「俺の華々しい大学生活、終わったかもしれん」

「まだ2ヶ月だろ」

「大学生活って4年あるんだっけ?」

「失恋1回で留年でもしたのかよ」

「体感的には4年くらい経った」

「1ヶ月しか付き合ってねえじゃん」

 宏太が呆れたように笑う。

 駿も、つられて笑った。

 もちろん多少は落ち込んでいる。

 だが、四六時中引きずるような失恋でもなかった。

 むしろ困ったのは、彼女と過ごしていた時間が突然丸ごと空いたことだ。

 講義が終わったあと。

 休日。

 夜。

 暇になった。

「じゃあ、お前暇になったな」

「言い方」

「暇だろ?」

「……まあ、暇だけど」

「だったらさ」

 宏太がニヤリと笑った。

 嫌な予感がする。

 この顔をするときの宏太は、大体ろくでもないことを言う。

「『AXIS MUNDI』やろうぜ」

「またそれかよ」

「今がベストタイミングだろ」

『AXIS MUNDI』。

 駿だって名前くらいは当然知っている。

 半年前に正式サービスを開始して以来、連日のように話題になっているフルダイブ型VRMMORPGだ。

 そして宏太は、サービス初日からプレイしている。

「お前が受験終わってからずっとやってるやつだろ?」

「そう」

「半年経ってるじゃん。今からMMO始めるの?」

「余裕余裕。低レベル帯なんてすぐ上がるし」

「お前、今何レベル?」

「32」

「トップは?」

「45前後じゃね?」

「全然追いつける気しないけど」

「30超えたあたりから一気に重くなるんだよ。最初の20くらいなら割とすぐ」

「へえ」

 駿はそれなりにゲームをする。

 というより、高校まではかなりやっていた。

 宏太とはサッカー部でも一緒だったが、放課後や休日にオンラインゲームをすることも多かった。

 ただ、大学受験が近づいてからはプレイ時間を減らしていた。

『AXIS MUNDI』がリリースされたのは、高校3年生の12月。

 宏太は推薦入試で早々に大学進学を決めていた。

 一方、駿は一般受験。

 その時期に新作MMOなど始めればどうなるか、考えるまでもなかった。

「12月にも誘ったよな」

「受験生にサービス開始日に連絡してきた奴が何言ってんだ」

「推薦って素晴らしい制度だと思った」

「その時期だけマジでお前嫌いだったわ」

「犬猿の仲だから仕方ない」

「誰が上手いこと言えって言った」

 犬塚。

 猿渡。

 小学生の頃から何度言われたか分からない。

 苗字だけ見れば、文字通り犬猿の仲。

 実際には中学からの付き合いで、高校では同じサッカー部に所属していた。

 駿はフォワード。

 宏太は守備的ミッドフィールダー。

 宏太からパスを受けて、駿が前へ走る。

 3年間、何度も繰り返した形だった。

「で、受験終わってから始めようと思ったら大学だった、と」

「最初はいろいろあったからな」

「4月にも誘った」

「忙しかった」

「彼女と?」

「…………」

「忙しかったんだな」

「うるせえ」

 駿は空になったペットボトルを宏太へ投げつけた。

 宏太が片手で難なく受け取る。

「で、今は?」

「暇です」

「よし」

「なんでお前が満足そうなんだよ」

「久しぶりに一緒にゲームできるなと思って」

「高校んとき散々やっただろ」

「だからだよ」

 宏太は何でもないことのように言った。

 駿は一瞬だけ黙ってから、鼻で笑う。

「夏休みも近いしさ。暇つぶしにはちょうどいいだろ」

「MMOを暇つぶしって言ってる奴、信用できねえ」

「大丈夫。ハマったら暇じゃなくなる」

「もっとダメだろ」

 とはいえ、興味がないわけではない。

 むしろ逆だ。

『AXIS MUNDI』については、リリース前から気になっていた。

 現実と区別がつかない、とまで評判になった没入感。

 どこまで行っても終わりが見えないと言われる広大なフィールド。

 数え切れないほど用意されたジョブ。

 中でも駿が気になっていたのは、プレイヤーごとに遊び方がまるで違うという評判だった。

 ただ、始めるタイミングを逃しただけなのだ。

「……今からかぁ」

「別に最前線目指す必要もねえだろ」

「それはそうだけど」

「俺も付き合うし」

「レベル32が?」

「初心者いじめない程度にな」

「信用ならん」

「じゃあ勝手に死ね」

「扱い雑になったな」

 駿は少し考えた。

 講義はある。

 バイトもある。

 それでも高校時代に比べれば時間には余裕があるし、もうすぐ夏休みだ。

 何より、久しぶりに宏太とゲームをするのも悪くない。

「……まあ、やってみるか」

「よし」

「その代わり、最初から全部攻略情報教えるのなしな」

「はいはい。お前そういう奴だったな」

「何でも答え知ってたらつまらんだろ」

「後で泣きついてきても知らんぞ」

「そのときは教えろよ」

「都合よすぎるだろ」

 こうして駿は、『AXIS MUNDI』を始めることになった。

 大した理由なんてない。

 暇になったところを、親友に誘われた。

 ただ、それだけだ。

     ◇

 その日の夜。

 風呂を済ませた駿は、自室のベッドに腰を下ろしていた。

 手元の端末には、『AXIS MUNDI』のインストール完了通知が表示されている。

「半年遅れか」

 小さく呟く。

 新しいMMOを途中から始めるのは、妙な緊張感がある。

 半年も経てば、すでにプレイヤーたちの間には常識ができている。

 強い装備。

 おすすめの育成。

 有名プレイヤー。

 知らない用語。

 そんな世界へ、今から1人だけレベル1で入っていく。

 端末が振動した。

 宏太からメッセージが届く。

『開始都市はリュネール選べよ』

『了解』

 すぐに既読がつく。

『PN決めた?』

『まだ』

『猿でいいじゃん』

『絶対嫌だ』

『いいじゃん、分かりやすくて』

『じゃあお前は犬なのかよ』

『俺はコリー』

『コリー?』

『犬種から取った』

「犬種かよ……」

 駿は思わず笑った。

『犬塚だから犬でコリーってこと?』

『そういうこと』

『じゃあ俺も名字から考えるわ』

『モンキーとか?』

『それだけはない』

 最後にそう返して、駿は端末をベッドの脇へ置いた。

 コリー。

 犬塚だから犬種。

 単純といえば単純だが、ゲーム内の名前なんてそのくらいでいいのかもしれない。

「名字から、か……」

 自分ならどうするか。

 少し考えたものの、良いものは浮かばない。

 駿はひとまず考えるのをやめ、ベッドへ横になった。

 枕元のフルダイブ用ヘッドギアを装着し、慣れた手つきで位置を調整する。

 ゲームに使うのは久しぶりだが、操作自体は珍しいものではない。

 機器を起動すると、視界の中央に半透明の文字が浮かんだ。

《ユーザー認証》

《猿渡 駿》

《認証完了》

 続いて、いくつかの安全確認。

 駿は表示される項目を順番に承認していく。

 最後に現れたのは、インストールしたばかりのアイコンだった。

『AXIS MUNDI』

 一度、息を吐く。

「さて」

 仮想ボタンへ意識を向ける。

《神経接続を確認》

《感覚同期を開始します》

 視界が暗くなる。

 背中に感じていたベッドの柔らかさが、少しずつ遠ざかっていく。

 部屋のエアコンの音。

 外を走る車の音。

 自分の呼吸。

 それらが1つずつ消えていった。

 やがて――。

 何もない。

 完全な暗闇。

「……」

 しばらくすると、その中心に小さな光が生まれた。

 光はゆっくりと上下へ伸びる。

 1本の柱。

 あるいは、巨大な樹木。

 上へ。

 下へ。

 枝分かれする光が暗闇を走り、幾何学的な紋様を作っていく。

 駿がぼんやりとそれを見上げていると、光の中央に文字が浮かんだ。

          AXIS MUNDI

「これが……」

 半年遅れの、初ログイン。

 文字が光へ溶ける。

 直後、世界が白く染まった。

《AXIS MUNDIへようこそ》

《キャラクター作成を開始します》

     ◇

「おお……」

 気がつけば、駿は真っ白な空間に立っていた。

 目の前には1人の青年。

 いや。

「俺か」

 鏡ではない。

 立体的に表示された、自分のアバターだ。

 顔立ち。

 黒い髪。

 身長。

 体格。

 どれも現実の自分にかなり近い。

 高校までサッカーを続けていたせいか、肩や脚にはそれなりに筋肉がついている。

 それ以外は、毎朝鏡で見ている自分そのものだった。

《種族を選択してください》

 人間。

 獣人。

 その他にも、見慣れたものから聞いたこともないものまで、いくつもの種族が並んでいる。

 駿は一覧をしばらく眺め――。

「人間でいいか」

 決定。

《外見を設定してください》

 今度はさらに大量の項目が現れた。

 目。

 鼻。

 輪郭。

 髪。

 身長。

 体格。

「……これ全部いじるの?」

 宏太なら嬉々として触るのだろう。

 現実では同年代の大学生のくせに、ゲーム内ではヒゲを生やしたイケオジらしい。

「別にこのままでいいだろ」

 髪型を少しだけ整える。

 顔立ちも現実の自分からほんの少し変えた。

 それだけ。

 数分で終了した。

《プレイヤーネームを入力してください》

「名前か」

 ここだけは少し迷った。

 シュン。

 本名そのままでは面白くない。

 先ほど宏太が言っていたことを思い出す。

 ――名字から考える。

「猿渡……」

 猿は、エン。

 渡は、ト。

「エン、ト……」

 2つの音をつなげてみる。

「エント」

 もう一度口にしてみる。

 悪くない。

 コリーが犬塚から名前を取っているなら、自分も猿渡から取る。

 方法は違うが、由来としてもちょうどいい。

《エント》

《このプレイヤーネームを使用しますか?》

「はい」

《プレイヤーネーム――エント》

《登録しました》

 白い空間が一度暗転する。

 次に現れたのは、無数の文字だった。

「うわ」

 駿の正面だけではない。

 左右にも。

 上下にも。

 大量の項目が並んでいく。

《初期ジョブを選択してください》

 冒険者。

 傭兵。

 兵士。

 狩人。

 探索者。

 盗賊。

 斥候。

 モンスターテイマー。

 魔術師。

 僧侶。

 鍛冶師。

 錬金術師。

 料理人。

 航海士。

 農夫――。

「多すぎない?」

 スクロールしても終わらない。

 事前に聞いてはいた。

『AXIS MUNDI』はジョブの自由度が高い。

 だが、初期段階からここまで選択肢があるとは思わなかった。

 狩人。

 宏太と被る。

 魔術師。

 これも面白そうだ。

 モンスターテイマー。

「これもいいな……」

 少し迷う。

 そんな中、一覧の最初の方にあった1つのジョブへ、再び視線が止まった。

《冒険者》

 詳細を開く。

《冒険者》

《戦闘・探索を問わず、様々な技能を身につける者》

《特定分野への大きな補正を持たず、様々な分野へ手を伸ばしやすい》

「……これ、いいな」

 突出したものはない。

 その代わり、いろいろできる。

 何が強いのかなんて、まだ分からない。

 だったら最初から1つに決めるより、遊びながら考えればいい。

「よし」

 駿――エントは迷いを振り払い、《冒険者》へ手を伸ばした。

《初期ジョブ――冒険者》

《選択しますか?》

「する」

 指先が文字に触れる。

 白い光が弾けた。

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