第98話:『配達される殺意と、踊る操り人形(マリオネット)』
第98話:『配達される殺意と、踊る操り人形』
ピンポーン……。
インターホンの電子音が、やけに間延びして聞こえた。
「……悠斗?」
私が彼の名前を呼ぶのと、彼が床を蹴ったのは同時だった。悠斗は獣のような瞬発力でリビングを横切り、私とレンを背後に庇うようにして、玄関ホールへの入り口に立ちはだかった。彼の手には、SPに持ってきてもらった土産物屋で買った様な、堅い樫の木刀が握られている。
「来るぞッ!!」
ドォォォォォンッ!!
直後、我が家の玄関から爆音が轟いた。爆弾じゃない。何かが凄まじい運動エネルギーで衝突した音だ。分厚い防犯仕様の鋼鉄製ドアが、紙細工のようにひしゃげ、蝶番を引きちぎって廊下を滑ってくる。
「なっ……!?」
レンがポテトチップスの袋を取り落とす。舞い上がる土煙の向こうから、人影がゆらりと現れた。宅配業者の制服を着た、小柄な男。帽子を目深に被り、両手にはセラミック製の黒いコンバットナイフが握られている。
……おかしい。
私の肌が、粟立つような違和感を訴えていた。ドアの外には、屈強なSPが二人常駐していたはずだ。なのに、争う音も、悲鳴一つ聞こえなかった。そして何より、侵入者の動きが「人間」に見えない。
カクッ、カクッ。
関節がありえない方向に曲がりながら、彼は滑るように━━まるで摩擦係数がゼロになったかのように━━床を移動してくる。
「……ターゲット、視認」
帽子の下から漏れたのは、録音された音声のような無機質な日本語だった。
ヒュンッ!!
予備動作ゼロ。彼が右手のナイフを振るった瞬間、衝撃波のような真空の刃が飛んだ。
「くっ!」
悠斗が木刀を一閃させる。
ガギィィィンッ!!
木と真空がぶつかり合う、甲高い金属音が響いた。悠斗は衝撃を殺しきれず、数センチほど後退するが、その瞳は鋭く侵入者を捉え続けている。
「……レン! 梨花を連れて奥へ行け!」
「バカ野郎! ここは35階だぞ! 逃げ場なんてねぇよ!」
レンが叫びながら、手元のタブレットを操作して警備システムにアクセスしようとする。
その隙に、侵入者が跳んだ。重力を無視したような跳躍。天井に張り付き、そこから弾丸のように悠斗の頭上へ急降下する。
「『身体強化』……!」
悠斗が低く呟いた。
彼の全身の筋肉が、ボコォッと音を立てて膨張する。血管が浮き上がり、肌が微かに赤熱する。それは、あのVR世界で彼が使っていた戦技。
現実の肉体が、脳のリミッターを強制的に解除し、限界を超えた出力を引き出す!
「オオオオオッ!!」
ズバァァァンッ!!
悠斗の木刀が、迎撃の一撃を放った。侵入者のナイフと激突。火花が散る。普通の人間なら手首が砕けるほどの衝撃。しかし、悠斗は一歩も引かない。むしろ、空中にいる敵を力任せに叩き落とした。
ドサッ!!
侵入者が床に叩きつけられる。だが、彼は痛みを感じていないようだった。着地の瞬間にバネのように起き上がり、不気味なほど無表情のまま、再びナイフを構える。
その時、帽子が脱げ落ち、侵入者の素顔が露わになった。
「……嘘でしょ」
私は息を呑んだ。
そこにいたのは、まだあどけなさの残る、10代半ばの少年だった。アジア系の顔立ち。しかし、その瞳には光がない。瞳孔が開ききり、焦点が合っていない。まるで、夢遊病者のようだ。
そして、彼のこめかみには、銀色の薄い金属チップが埋め込まれ、そこから青いLEDの光が明滅していた。
「……人間じゃ、ねぇ」
悠斗が木刀を構え直しながら、苦渋の表情を浮かべる。
目の前の少年からは、生きている人間特有の「気配」がしない。ただの肉の塊が、電気信号で動かされているだけだ。
「……レン。あいつの動き、何かに似てないか?」
「……ああ、似てるな」
レンがタブレット越しに、冷や汗を流しながら答える。
「FPSゲームの『ボット(CPU)』だ。……最短ルートで移動し、躊躇なく殺害行動をとるプログラム」
少年が再び動いた。今度はナイフを逆手に持ち、回転しながら突っ込んでくる。人間には不可能な、独楽のような回転斬撃。
「悠斗! 右脇が空いてる!」
私の声に、悠斗が反応する。彼には見えているのだ。あの世界で培った「心眼」が、敵の攻撃予測線を現実世界に重ねて映し出している。
「見えたッ!!」
悠斗が、回転する刃の嵐の中に、迷いなく踏み込んだ。紙一重での回避。頬を刃風が切り裂き、血が飛ぶ。しかし、彼の間合いに入った。
「『剛剣』ッ!!」
ドゴォォォォォォンッ!!
渾身の胴抜き。
木刀が少年の脇腹に深々とめり込む。肋骨が砕ける嫌な音が響き、少年の体が「く」の字に折れて吹き飛んだ。
彼はリビングの飾り棚を粉砕し、壁に激突してようやく止まった。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
悠斗が肩で息をしながら、残心を解かずに近づいていく。少年はピクリとも動かない。
勝った。……いや、これは勝利と呼べるのか?
「……死んでないよな?」
悠斗が震える声で尋ねる。
「ああ。気絶してるだけだ。……だが」
レンが少年に近づき、こめかみのチップを解析ツールでスキャンした。
数秒後、彼女の顔色が青ざめる。
「……やっぱりだ。軍事用のニューロ・リンクチップ。しかも、受信専用だ」
「受信専用?」
「こいつには自分の意識がない。……遠隔地にある『マザーコンピュータ』から、戦闘用アバターとして操作されていただけだ」
レンが少年の瞼を持ち上げる。そこには、網膜に投影された微細な文字コードが流れていた。
「……某国じゃ、これが流行りらしいな。身寄りのない子供や、拉致してきた人間を強制的に昏睡させて、脳にチップを埋め込む。……そして、兵士たちは安全な基地から、彼らを『キャラクター』として操作して戦争をする」
「……ふざけるな」
悠斗の拳が、ギリギリと音を立てた。
木刀を握る手が白くなっている。
「人間を……ゲームの駒にするのかよ……ッ!」
それが、私たちが直面した新しい「敵」の正体だった。感情も、恐怖も、痛みもない。
ただ殺戮のためだけに量産される、生きた操り人形。
ピピッ。
突然、少年のこめかみのチップが赤く点灯した。
「……! 離れろ悠斗!」
レンが叫ぶと同時に、少年の口から煙が漏れ出した。脳内チップの自爆シーケンス。証拠隠滅のための、高電圧による脳の破壊。
プシュゥ……。
少年の体が一度だけ大きく痙攣し、そして糸が切れたように動かなくなった。
静寂が戻ったリビングに、焦げた肉の臭いが漂う。壊されたドアの向こうには、日本の首都の煌びやかな夜景が広がっていた。しかし、私たちにはもう、それが平和な光には見えなかった。
ここからが、本当の地獄(戦争)の始まりだ。




