第94話:『供物とバリケード、そして人間宣言』
第94話:『供物とバリケード、そして人間宣言』
ガタガタガタッ……。
廃倉庫の重厚な鉄扉が、外から叩かれている。それは攻撃的な衝撃ではない。もっと控えめで、しかし絶え間なく続くノックの嵐だ。
「……またかよ」
レンが呆れたように立ち上がり、扉の覗き窓を確認した。彼女がロックを外し、扉を少しだけ開けると、隙間から「物」が次々と差し込まれた。コンビニの袋、毛布、カイロ、そして手書きの手紙の束。
『女神様に! どうか、これを!』
『寒くないですか!? 私のコートを使ってください!』
必死な形相の信者たちが、我先にと「供物」を押し付けてくる。レンは「はいはい、どうも」と事務的に受け取り、すぐに扉を閉めた。振り返れば、倉庫の入り口付近は、すでに救援物資の山になっていた。水も食料も、発電機さえある。Am〇zonの配送センターも顔負けの物流だ。
「……すげぇな。一生食うに困らねぇぞ」
悠斗が、積み上げられたカップ麺の山を見て苦笑した。彼はリハビリがてら、ゆっくりと倉庫内を歩いている。点滴スタンド代わりのモップを杖にして。その足取りはまだ覚束ないが、瞳の光は力強い。
「笑い事じゃないわ。……このままじゃ、善意で圧死させられる」
私は山積みの手紙の一つを手に取った。
『リリア様、私の病気を治してください』
『夫の借金がなくなりますように』
『世界を浄化してください』
そこにあるのは、純粋な応援だけじゃない。重い、ドロドロとした依存と願望。彼らは私を「人間」として見ていない。「願いを叶えてくれる万能の装置」として見ている。
「……マザーブレインと一緒だな」
私の横から手紙を覗き込んだ悠斗が、ポツリと言った。
「あいつらは、お前を『完璧な偶像』にしようとしてる。……勝手な理想を押し付けて、そこから外れることを許さない」
ドキリとした。そうだ。これはマザーが作った「硝子の箱庭」と同じだ。崇拝という名の管理。保護という名の幽閉。ここで彼らに守られて生きることは、安全かもしれない。でもそれは、自由じゃない。
「……行かなきゃ」
私は手紙を置き、鉄扉の方へと向き直った。
「出るの? 危険だぞ」
レンが警告する。「外には数万人の信者がいる。興奮状態だ。もみくちゃにされて、愛の重さで骨を折られるのがオチだぞ」
「それでも、言わなきゃいけないの」
私は悠斗を見た。彼は黙って頷き、私の隣に並んだ。
「一人じゃ行かせねぇよ。……俺は、お前の騎士だろ?」
「……ええ。お願い、悠斗」
私は深呼吸をし、レンに目配せをした。レンは肩をすくめ、鉄扉のロック解除ボタンに手をかけた。
ガゴンッ……ギィィィィィ……。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、巨大な扉がゆっくりと開いていく。その隙間から、強烈な冷気と共に、地鳴りのような「声」が雪崩れ込んできた。
『━━!!』
『お姿だ! リリア様がお姿を現されたぞ!!』
『オオオオオオオッ!!』
視界を埋め尽くす人、人、人。雪原を埋める数万の群衆が、一斉にこちらを向き、波打つように押し寄せてきた。
『女神様!』 『奇跡を!』 『救いを!』
バリケード代わりのロープが決壊しそうになる。最前列の人間が、狂信的な目で手を伸ばしてくる。怖い。銃口を向けられるよりも、この無数の「手」の方が恐ろしい。私を引きずり込み、バラバラにして持ち帰ろうとするような熱狂。
私は足がすくみそうになった。その時。
グイッ。
私の前に、痩せた背中が割り込んだ。悠斗だ。彼はモップを捨て、震える両足で踏ん張り、群衆に向かって両手を広げた。
「……下がれッ!!」
掠れた、けれど腹の底から絞り出した一喝。その声には、あの世界で数多の戦場を潜り抜けてきた「黒騎士」の覇気が宿っていた。
「彼女に……触るな」
最前列の男たちが、気圧されてたじろぐ。病み上がりの少年が一人、立っているだけだ。力で押せば簡単に潰せる。けれど、悠斗の瞳にある「覚悟」が、彼らを物理的に押し留めていた。
「悠斗……」
私は彼の背中に手を添え、そして一歩前に出た。彼と肩を並べる。守られるだけじゃない。私たちは、二人で一つだ。
私は群衆を見渡した。
カメラを向ける若者、数珠を握りしめる老人、涙を流す女性。彼らの期待を、裏切らなければならない。
「……聞いてください」
私の声は、静まり返った雪原によく響いた。拡声器はいらない。
「物資をありがとう。……でも、もう持ってこないでください。私たちは、これで十分生きていけます」
『なぜですか!? 私たちの気持ちです!』
『もっと良い服を! 温かい寝床を! あなたは女神なのですよ!』
反論が上がる。私は首を振った。
「私は女神じゃありません」
ざわめきが広がる。私は自分の汚れた作業服と、あかぎれだらけの手を見せた。
「私は、あなたたちと同じ人間です。……お腹も空くし、寒ければ震える。トイレにだって行くし、機嫌が悪い日だってあります」
私は隣の悠斗の手を握りしめ、高く掲げた。
「そして、私は恋もします。……この人は、私の大切なパートナーです。私の全ては、世界のためじゃなく、この人のためにあります」
『……なっ』
信者たちの顔に、困惑と失望の色が浮かぶ。神聖なアイドルが、生々しい「女」としての顔を見せた瞬間。でも、これでいい。幻滅させなきゃいけない。
「奇跡なんて起こせません。……代々木公園で見せた力は、私が必死に生き延びるために使った、ただの『技術』です」
私は彼らの目を真っ直ぐに見つめた。
「だから、私を拝まないでください。……跪かないでください」
冷たい風が吹き抜ける。沈黙。怒り出す人がいるかもしれない。石を投げる人がいるかもしれない。私は身構えた。
けれど。群衆の中から、一人の少女の声が聞こえた。
「……でも、助けてくれた」
最前列にいた、高校生くらいの女の子。彼女は涙を拭いながら叫んだ。
「人間でも、女神でも、どっちでもいい! ……あの日、私が鉄骨に潰されそうになった時、助けてくれたのはあなただった!」
「……!」
「私もだ!」
今度は、中年の男性が拳を上げた。
「俺たちは、あんたが政府に盾突いて、自分の意思を貫く姿に惚れたんだ! ……神様だからここに来たんじゃねぇ! あんたが『スゲェ人間』だから、守りてぇと思ったんだよ!」
『そうだ!』 『その通りだ!』 『人間上等じゃねぇか!』
歓声が上がった。それはさっきまでの、粘着質な祈りとは違う。もっとカラッとした、仲間を応援するような熱狂。「光の理」の教義を超えて、彼らは私という「個」を認めてくれたのだ。
「……ふっ」
悠斗が肩の力を抜き、笑った。
「やるな、梨花。……信者を『ファン』に変えちまった」
「……もう。茶化さないでよ」
私も力が抜けて、その場に座り込みそうになった。でも、心地よい疲労感だった。
バリケードの向こうで、人々が再び隊列を組み直していく。今度は「聖域を守る壁」としてではない。理不尽な権力に立ち向かう、私たちと同じ「野良犬」たちの砦として。
「……さあ、戻ろうぜ」
悠斗が私に手を差し伸べた。
「俺たちの城へ。……これからの作戦会議だ」
「ええ」
私は彼の手を取り、二人で倉庫へと戻った。背中には、数万人の頼もしい味方の声援、私たちはもう、孤独な逃亡者ではなかった。




