第93話:『光の狂信者と、冷たいスープ』
第93話:『光の狂信者と、冷たいスープ』
ザッ、ザッ、ザッ……。
重々しいタイヤの音が遠ざかり、廃倉庫に静寂が戻った。
モニターに映っていた無数の黒い車両は、雪原に轍だけを残して消え去っていた。
「……行ったか」
レンが大きく息を吐き、回転椅子に深く背中を預けた。
彼女の額には、びっしりと冷や汗が浮かんでいる。国家権力と、世界の覇権国を相手取った大博打。心臓が焼き切れるような数分間だったはずだ。
「黒田の野郎、悔しそうな顔してたな。……アメリカに獲物を横取りされるくらいなら、手付かずのまま放置する方を選んだわけだな」
「……ありがとう、レン。あなたのおかげよ」
私は震える足で立ち上がり、へたり込んでいた佐藤博士に肩を貸した。博士は腰が抜けたようで、何度も眼鏡の位置を直しながら頷いている。
「信じられん……。まさか、本当に撤退させるとは……」
その時。
ゴゴゴゴゴ……。
地鳴りのような音が、床を伝わって響いてきた。エンジンの音じゃない。もっと有機的で、不揃いな振動。
そして、風に乗って微かに聞こえてくる歌のような声。
「……なんだ?」
カプセルから出たばかりの悠斗が、ふらつく足取りで窓際へと歩み寄った。
彼が見た光景。それを追って、私も窓の外を覗き込んだ。
「……ッ」
言葉を失った。
さっきまで機動隊が展開していた雪原が、今度は光で埋め尽くされていたのだ。
ペンライト、懐中電灯、スマートフォンのライト。
数十、いや数百?
見渡す限りの雪原に、人々が押し寄せていた。彼らは倉庫を取り囲むように幾重もの円陣を作り、手と手を繋いで人間の鎖を作っていた。
『リリア様……! リリア様……!』
『女神を護れ! 政府の魔の手から、聖域を護れ!』
シュプレヒコールではない。祈りのような合唱。
新興宗教『光の理』の信者たち、そして私の配信を見て駆けつけた一般市民たちだ。
「……人間の壁だな」
レンがモニターを切り替えながら呟いた。
「お前の配信を見て、近隣の町から、札幌から、いや本州からも続々と集まってきてるはずだ。……警察も自衛隊も、これじゃあ手出しできねぇよ。一般市民を戦車で轢き殺すわけにはいかねぇからな」
最強の盾だ。
けれど、その光景は同時に、底知れない恐怖も孕んでいた。
彼らは私たちを守っている。けれど同時に、私たちは彼らの信仰によって、この倉庫に閉じ込められたとも言える。
「……すげぇな」
悠斗が、ガラスに手をついて呟いた。
彼の腕は枯れ木のように細く、点滴の痕が痛々しい。けれど、その瞳だけは、あの世界で見た黒騎士のように鋭く、現実を観察していた。
「梨花。……お前、俺が寝てる間に、こんな軍隊を作ったのか?」
「……軍隊じゃないわ。ただのファンと野次馬よ」
私は彼の背中に額を押し当てた。
温かい。骨ばっているけれど、確かな体温。
VR空間での逞しい鎧姿とは違う、弱々しい肉体。でも、これが本物の悠斗だ。
「……ごめんね、悠斗。静かな場所に連れて帰りたかったのに。……目が覚めたら、こんな大騒ぎの中心だなんて」
「謝るなよ」
悠斗が振り返り、私の頭に手を置いた。
その手は震えていて、力なんて全然入っていなかったけれど、どんな魔法よりも私を安心させてくれた。
「お前が世界を敵に回してくれなきゃ、俺はまだ、あのデータの樹の中で眠ってた。……そうだろ?」
「……うん」
「なら、上等だ。……監視付きの自由か。悪くねぇな」
彼はニカっと笑った。頬がこけていても、その笑顔は変わらない。私の好きな、悪戯っぽい少年の笑顔だった。
「さて……。感動の再会もいいが、腹が減ったな」
レンが空気を変えるように手を叩いた。
彼女はリュックから、コンビニで買ってきたレトルトのスープと、固くなったパンを取り出した。
「高級フレンチとはいかねぇが、これがシャバのメシだ。……食えるか、寝坊助?」
「……ああ。喉がカラカラだ」
私たちは、サーバーの排熱で少しだけ暖かくなった床に車座になって座った。
プラスチックのカップに入った、ぬるいコーンスープ。
悠斗はそれを、震える手で口に運んだ。
一口、また一口。
喉が鳴る音が聞こえる。
「……どう?」
私が聞くと、彼はふゥーっと長く息を吐き、目を閉じた。
「……味がする」
彼は噛み締めるように言った。
「しょっぱくて、粉っぽくて……変な甘さがある。……すげぇな、リアルって」
その目尻に、光るものが浮かんでいた。
データ上の味覚信号ではない。舌が、喉が、胃袋が感じる、本物の生命活動。
「おかえり、悠斗」
私はもう一度言った。
彼はカップを置き、私の手を握りしめた。
「……ただいま、梨花」
私たちは時を忘れたかの様に見つめ合っていた。
そして、自然と二人の距離は近づいていった。
外からは、依然として信者たちの祈りの歌が聞こえている。
上空にはアメリカ軍のドローンが飛び、数キロ先には日本政府の監視部隊が望遠レンズを向けているだろう。
世界中が私たちを見ている。
私たちはもう、普通の高校生には戻れない。
でも。
繋いだ手の温もりだけは、誰にも監視できない、私たちだけの真実だった。
「あ~、……さて、これからどうする?」
二人の世界に入っていたところに、レンが話し掛けてきた。
私たちは顔を赤らめながら、寄り添い、笑顔を交わしている。
悠斗は少し離れるとレンの方に顔を向けた。
「えっ、何か言った?」
「……いゃ~、これからどうするってことですよ」
レンは私と悠斗を見ながら聞いてきたが、正直、いまはちょっと考えられなかった。
頭の中が痺れるような、そんな幸福感で満たされていた。
五分くらいは経っただろうか、
落ち着いてきた私と悠斗は、スープを飲み干しながらも微笑み合っていた。
「あ~、すみませんね~、そろそろいいですかぁ」
レンは聖母のような微笑みを浮かべながら、聞いてきた。
私と悠斗は少し離れる。悠斗は気持ちを切り替える様に深呼吸を数回繰り返している。そしてその目にはすでに、戦士の光が宿っていた。
「ここから出るには、外の壁をどうにかしなきゃならねぇ。……それに、黒田って狸も、このまま黙ってるタマじゃないだろ」
「ええ。……ここからが本当の戦いよ」
私は立ち上がり、窓の外の光の海を見下ろした。
「私たちは多くの人々の希望の象徴になった。……なら、それを使いこなしてやるわ。この狂った世界を、私たちが生きやすいように書き換えるためにね」
「分かってきているじゃないかー、うんうん」
レンも納得して頷いている。
悠斗はお腹も満たされて、すでにウトウトと半分寝ている感じだ。
私も今日はいろいろあって疲れたなぁ。
「レン、ここの防犯は大丈夫かなぁ?」
「もちろんさ。元々の造りからして、窓は少ないし、侵入できる窓は無いよ。ドアはオートロックだし、壁もしっかりしていて、暖房も充分だろ。安心して眠るといいよ」
「ありがとう、レン。じゃあ寝させてもらうね。おやすみ~」
私も眠気の限界で、そのまま横になると、すぐに意識を手放したのだった。
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