第92話:『鷲と桜と、少女の賭け』
第92話:『鷲と桜と、少女の賭け』
ウゥゥゥゥゥゥゥン……!!
再会の余韻に浸る間もなく、廃倉庫の外から無機質なサイレン音が鳴り響いた。
倉庫内の赤いパトランプが回転し、壁一面のモニターに外部の映像が映し出される。
「……早かったな。嗅ぎつけやがった」
レンが舌打ちをして、キーボードを叩いた。
モニターに映る雪原には、無数の黒い車両が展開していた。装甲車、機動隊のバス、そして上空を旋回するドローン。雪の白さを塗り潰すような、圧倒的な「黒」の包囲網。
「……防衛省の特務部隊『ダスク』だ。完全に囲まれてる」
佐藤博士が顔面蒼白でモニターを見上げる。
カプセルから出たばかりの悠斗が、ふらつく足で私の前に立った。
「梨花、下がってろ。……俺が時間を稼ぐ」
「ダメよ。今の体で何ができるの」
私は悠斗の背中を支え、首を振った。彼はまだリハビリもしていない、ただの痩せた少年だ。黒騎士の力はない。
『━━通告する。直ちに投降せよ』
倉庫全体を震わせるような拡声器の声。あの冷徹な官僚、黒田の声だ。
『神崎悠斗、および瀬戸梨花。君たちの身柄は日本政府が保護する。……抵抗すれば、テロリストとして処理する』
「保護……? ふざけんな」
レンがマイクに向かって怒鳴り返す。「実験動物の間違いだろ!」
『……君たちに選択肢はない。10秒後に突入を開始する』
黒田の声には、焦りの色が混じっていた。
なぜ? 圧倒的に優位なはずなのに、なぜそんなに急ぐの?
「レン。……『空』を見て」
私が指示すると、レンが上空のレーダー映像を解析した。
そこには、防衛省のドローンよりも遥かに高高度を旋回する、ステルス性の機影があった。
「……『鷲』だ」
レンが戦慄した声で呟く。
「アメリカ軍……いや、CIAの無人偵察機。それに、これは三沢基地からもスクランブルしてる」
やっぱり。
黒田が恐れているのは私たちじゃない。獲物を横取りしようと空から睨みをきかせている、同盟国の影だ。
「……レン、できる?」
「ああ。準備万端だ」
レンが不敵に笑い、エンターキーに指をかけた。
私は深呼吸をして、悠斗の手を握りしめた。
魔法は使えない。杖もない。
でも、私には最強の武器がある。この世界で積み上げてきた「物語」という武器が。
「始めましょう。……世界中を巻き込んだ、大博打を」
***
バチッ。
倉庫の外、包囲する機動隊員たちのスマホが一斉に鳴動した。
それだけではない。札幌の街頭ビジョン、東京の電車のサイネージ、ネット動画サイトのトップページ。
あらゆるスクリーンがジャックされ、一つの映像が映し出された。
薄暗い倉庫の中。
点滴のチューブを引きちぎり、ボロボロのパジャマ姿で寄り添う少年と少女。
『……聞こえますか、日本中の皆さん。そして、世界中の皆さん』
カメラを見据える少女━━瀬戸梨花の瞳が、画面越しに世界を射抜く。
その姿は、かつて代々木公園で奇跡を起こした「女神」そのものだった。
『私は今、北海道の山奥で、日本政府の銃口を向けられています』
ザワッ……。
ネット上のコメント欄が、滝のような勢いで流れ始めた。
『女神様だ!』『生きてた!』『政府が殺そうとしてる!?』
「光の理」の信者たちが、即座に反応する。
『隣にいるのは、私の大切な人です。……政府は私たちを「兵器」にするために、脳を弄り、人体実験を繰り返してきました』
私は悠斗の痩せ細った腕を見せた。無数の注射痕。それは雄弁に「虐待」を物語っていた。
『黒田局長。……聞こえていますね?』
私はカメラ越しに、外にいる黒田に呼びかけた。
『今すぐ部隊を撤退させてください。……もし、これ以上近づくなら、私はアメリカ合衆国に「人道的亡命」を申請します』
その言葉が決定的だった。
モニターの中で、黒田の指揮車が動揺したように停止するのが見えた。
『上空にはすでにアメリカ軍の監視があります。……彼らは私の身柄を、あなたたちの非人道的な実験から「保護」する用意があるそうです』
これは半分ハッタリで、半分真実だ。
アメリカは梨花が欲しい。もし日本政府が梨花を傷つければ、それを口実に介入できる。
逆に日本政府にとって、虎の子の「特異点」をアメリカに奪われることは、国家の損失であり、政権が吹き飛ぶほどの大失態だ。
撃てば、国民が暴動を起こす。
捕まえようとすれば、アメリカが介入する。
黒田は、詰んだのだ。
「……クソッ!!」
外のスピーカーから、何かが蹴り飛ばされる音が聞こえた。
黒田の怒号。しかし、発砲命令は出ない。出せるわけがない。
『……私たちは、誰の兵器にもなりません』
私は悠斗の肩を抱き、宣言した。
『私たちは、ここで普通の人間として生きます。……もし、私たちの平穏を脅かすなら、その時は』
私は瞳を少しだけ細め、かつてマザーブレインを睨みつけた時の「魔女」の顔をした。
『私が持つ「世界を変える力」が……あなたたちの敵になります』
脅しではない。事実上の不可侵条約の突きつけ。
沈黙が落ちた。
雪原の風の音だけが響く。
やがて。
黒い車両の列が、ゆっくりと反転を始めた。
「……撤収だ」
スピーカーから、苦虫を噛み潰したような黒田の声が漏れた。
『……覚えていろ、瀬戸梨花。……貴様らは一生、監視の目からは逃れられないぞ』
「ええ。望むところよ」
私はマイクを切った。
モニターの中で、黒い波が引いていく。
それと入れ替わるように、遠くのバリケードの向こうに、松明やペンライトを持った人々━━私たちを守ろうと駆けつけた信者や地元の人々の光が集まってくるのが見えた。
「……勝った、のか?」
悠斗が、信じられないという顔で私を見た。
私は全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「……引き分け、かな。……でも、生き残った」
レンが椅子を回転させ、ニカっと笑った。
博士が眼鏡を外し、涙を拭う。
窓の外、雪雲の切れ間から、眩しい朝日が差し込んでいた。
それは、ゲームの中の偽物の太陽じゃない。
冷たくて、厳しくて、でも温かい、現実の夜明けだった。




