第80話:『宿敵の記憶』
第80話:『宿敵の記憶』
ジジッ……ザザザッ……。
ヴォルフに案内された洞窟の最奥部。
そこは、ガラクタの山と魔法陣が混在する、奇妙なコントロールルームだった。
壁一面に張り巡らされたいくつものスクリーン。それらは本来、運営が世界を監視するために使っていた「神の目」の残骸だという。
「……見ろ。これが今の『英雄様』の姿だ」
ヴォルフが顎で中央の巨大なモニターを示した。
ノイズ混じりの映像が、明滅しながら鮮明になっていく。
そこに映っていたのは、白一色の地獄だった。
猛吹雪が吹き荒れる氷原。その中心に、漆黒の点があった。
ドォォォォンッ!!
画面越しでも伝わるほどの衝撃。
黒騎士━━悠斗が、大剣を振り抜いた瞬間、巨大な氷塊が粉々に砕け散った。
彼が戦っている相手は、生物ではなかった。
私を襲ったのと同じ、のっぺらぼうの白い巨人━━『消去装置』だ。それも一体ではない。十体、いや二十体近い群れが、雪崩のように彼に押し寄せている。
「……嘘でしょ」
私は息を呑んだ。
多勢に無勢なんてレベルじゃない。
イレイザーの一撃は、触れただけでデータを消滅させる「即死攻撃」だ。
それを悠斗は、紙一重で回避し、あるいは『絶対防御』で弾き返しながら、たった一人で前線を押し上げていた。
『……オォォォォォッ!!』
モニターから、獣のような咆哮が聞こえる。
彼の鎧はボロボロで、兜の半分は砕け、素顔の一部が露出していた。そこから覗く瞳は、血走っているように赤く、焦点が合っていない。
彼は戦っているのではない。「進んでいる」のだ。
邪魔をする白い壁を、ただひたすらに破壊しながら、北へ、北へと。
「あいつは、ここ数日ずっとあそこで暴れてやがる」
ヴォルフが低い声で言った。
彼はモニターの光を受け、険しい表情を浮かべている。
「寝ず、食わず、休まずだ。……HPが回復する暇もねぇ。システムの『自動修復』すら追いつかない速度で、自らを壊しながら戦い続けてる」
「どうして……」
「『道』を作ってるんだよ」
ヴォルフが画面を指差した。
「あいつの進行方向を見ろ。……この先の『北の関所』へと続く一本道だ。あそこは今、システムによる封鎖が一番キツイ場所だ。あいつはそれを、無理やりこじ開けようとしてる」
胸が締め付けられた。
北の関所。それは、マザーブレインへと至る唯一のルート。
彼は知っているのだ。私がそこを通らなければならないことを。
だから、先回りして、障害物をすべて排除しようとしている。
━━『俺が道を切り開く。リリアは後ろをついてくればいい』
かつて、彼がよく言っていたセリフ。
記憶を失い、システムに侵されてもなお、その魂だけが「露払い」の役割を全うしようとしている。
「……バカだよ、本当に」
涙が滲む。
自分が壊れるまで、誰かのために戦うなんて。
「……昔から、そういう奴だったよな」
不意に、ヴォルフが寂しげに笑った。
彼は懐から、一本の古びた煙草(これもデータ上の残骸だろう)を取り出し、不器用な手つきで口にくわえた。昔の彼なら絶対に手を出さなかった大人の嗜好品だ。
「俺はただのNPCで、お前らの旅についていくのがやっとのガキだった。……あいつはいつも先頭を走ってて、俺はいつかあいつの背中を追い越したくて必死だった」
彼は煙草に指先で火を灯し、紫色の煙を吐き出した。その横顔には、少年時代の無邪気さはなく、戦友を想う男の哀愁が漂っていた。
「あいつは俺の憧れで、最高の『目標』だったんだ。……どんな強敵にも真っ向から挑んで、傷だらけになっても笑ってやがった」
ヴォルフの鋭い瞳が、モニターの中の黒騎士を見つめる。
そこには、敵意を超えた、複雑な感情が渦巻いていた。
「だが、今のあいつを見てみろ。……あれはもう、俺が追いかけた英雄じゃねぇ。ただの壊れた『処理落ち(バグ)』だ」
次の瞬間、ヴォルフの表情が冷徹な指揮官のものへと変わった。
「だからこそ……俺の手で終わらせてやる」
「え……?」
「あいつが暴れすぎるせいで、システムの警戒レベルが上がってる」
ヴォルフが別のモニターを操作した。
そこには、周辺地域のマップが表示されていたが、真っ赤な警告色が、黒騎士のいるエリアを中心に波紋のように広がっていた。
「『消去装置』の大群が、あいつを処理するために集結し始めてる。……このままだと、その余波でこの『箱庭』も見つかる。俺たちの隠れ家ごと、一掃されるのは時間の問題だ」
ヴォルフは背中の双剣に手をかけ、立ち上がった。
「あいつはもう制御不能の『災害』だ。かつての友として、これ以上あいつが惨めな姿を晒す前に、俺が引導を渡してやる」
「待って!」
私はヴォルフの前に立ち塞がった。
「彼はまだ、戻れるわ! 心が壊れたわけじゃない、ただ迷子になってるだけなの!」
「迷子? ハッ、あんな血に飢えた獣がか?」
「ええ! ……だって彼は、私を守るために戦ってるんだもの! ヴォルフだって、本当は分かってるんでしょ!?」
私が叫んだ、その時だった。
ウゥゥゥゥゥゥゥンッ!!
洞窟全体を揺るがすような、不気味な警報音が鳴り響いた。
照明が赤く切り替わる。
『敵襲! 敵襲! 北壁に亀裂発生!』
『白い巨人だ! 「掃除屋」が入ってくるぞぉッ!!』
通信機から、見張りのNPCの悲鳴が飛び込んできた。
「……チッ、早かったか」
ヴォルフが舌打ちをし、私を睨みつけた。
「議論してる時間はねぇようだ。……『掃除屋』どもが、ついにここを嗅ぎつけやがった」
彼は私を背に庇うようにして、出口へと走った。
「行くぞ、野郎ども!! 俺たちの楽園を、ただのデータゴミにはさせねぇ!!」
「オオオオオッ!!」
洞窟内から、亜人や人間たちが武器を取って立ち上がる。
それは、プログラムされた戦争ではない。
生きるための、最初で最後の「抵抗」の始まりだった。
私は杖を握りしめ、彼らの背中を追った。
外には悠斗がいる。
彼とヴォルフ、二人の「かつての友」が再び交わる時、何かが起こる。
その結末を、私が変えなきゃいけない。




