第77話:『名もなき花冠』
第77話:『名もなき花冠』
カッ……!!
私の魔力と、悠斗の魔力(紫)が混ざり合った瞬間、彼の足元に落ちていたシロツメクサの花冠が、まるで命を吹き込まれたかのように強く輝き出した。
枯れかけていた花弁が、瑞々しい白さを取り戻す。それはただの植物データではない。 この世界で最も純粋な「感謝」と「祈り」が込められた、聖なる触媒。
『……ガ、アァ……?』
悠斗の呻き声が変わる。苦痛に満ちた獣のような咆哮から、何かを思い出そうとする人間らしい困惑へ。彼が展開していた結界のノイズが消え、温かな光がドーム全体に広がっていく。
「思い出して、悠斗」
私は彼の手甲に手を重ねたまま、訴えかけた。
「あなたが守りたかったのは、意地じゃない。……あの子たちの笑顔でしょう?」
ふわり、と花冠が宙に浮いた。その光が私たちの視界を白く染め上げ、記憶の奔流となって流れ込んでくる。
キャハハハッ! わーい、騎士さまー!
笑い声が聞こえる。そこは、まだワイヤーフレームになる前の、平和で美しい宿場村ラニアだった。
教会の前庭。黒いフルプレートアーマーを着込んだ悠斗が、ベンチに窮屈そうに座っている。その周りを、数人の子供たちが取り囲んでいた。
━━『ねえねえ、お兄ちゃん。その兜、とって!』 ━━『顔が見えないよー』
子供たちが無邪気にせがむ。悠斗は困ったように身体を縮めていた。
━━『……やめとけ。俺は目つきが悪いんだ。……泣くぞ』 ━━『泣かないもん! 見せて見せて!』
根負けした彼が、溜め息交じりに兜の留め具を外す。 ガコッ。 現れたのは、少し伸びた黒髪と、不器用そうに強張った青年の顔だった。
子供たちは一瞬きょとんとして、それからパッと顔を輝かせた。
━━『なんだ、普通の優しいお兄ちゃんじゃん!』 ━━『怖くないよ!』
一人の女の子が、編み上げたばかりのシロツメクサの花冠を、彼の頭にポンと乗せた。 無骨な鎧姿の騎士に、可愛らしい花の冠。その不釣り合いな姿に、私も、子供たちも笑った。
悠斗は赤くなって、頭の花冠に手をやった。でも、外そうとはしなかった。
━━『……笑うなよ』 ━━『似合ってるわよ、悠斗』
私が言うと、彼は照れくさそうに鼻を擦り、ボソリと呟いた。
━━『……悪くないな。こういうのも』
そして、彼は子供たちの頭を撫でて、優しく目を細めた。
━━『俺は、こういう笑顔が見たくて剣を握ったんだ。……強くなるためじゃない。誰も泣かせないために、俺は強くなりたいんだ』
スゥ……。
光が収束する。意識が、滅びゆく現実へと戻ってくる。
目の前の悠斗は、もう咆哮を上げてはいなかった。兜の奥で明滅していた不気味な赤い光が消え、静かな黒い瞳が戻っていた。
『……そうか』
ノイズのない、澄んだ声。彼はゆっくりと立ち上がった。錆びついていた鎧から黒い靄が晴れ、本来の輝きを取り戻していく。
『俺は……守れたのか?』
彼は振り返り、背後の子供たちを見た。結界の中、子供たちは震えながらも、しっかりと立っていた。外側の世界はもうワイヤーフレームになり、消失寸前だ。けれど、彼らの「心」は、恐怖に塗りつぶされることなく、最期まで保たれていた。
「ええ。……あなたが守り抜いたのよ」
私が答えると、悠斗は安堵したように息を吐いた。
『ありがとう、梨花。……お前が来てくれなかったら、俺はバグに飲まれて、あの子たちごと消滅するところだった』
彼は大剣を引き抜き、背中に背負った。そして、宙に浮いていた花冠をそっと手に取り、愛おしげに見つめた後、光の粒子に変えて体内に取り込んだ。
『……行かなくちゃな』
彼は北の空を見上げた。
『俺の本体は、まだ先にある。……ここはもう、維持できない』
彼が結界への魔力供給を止めた。同時に、結界がガラスのように砕け散り、キラキラと舞い散る。
『……騎士様』
子供たちが、悠斗に駆け寄ってきた。彼らの身体もまた、足元から徐々に透明になり、光の粒子になり始めていた。村のデータ消失が、最終段階に入ったのだ。
けれど、子供たちは泣いていなかった。彼らは消えゆく手で、悠斗の足にしがみつき、精一杯の笑顔を見せた。
『守ってくれて、ありがとう』 『怖くなかったよ』 『バイバイ、優しい騎士様』
『……ああ』
悠斗は膝をつき、消えゆく子供たちの頭を、あの日と同じように優しく撫でた。
『またな。……いい子にしてるんだぞ』
フワァァァ……。
子供たちは光の泡となり、天へと昇っていった。悲鳴も、苦痛もない。ただ温かな光となって、世界の理へと還っていく、穏やかな別れ。
後には、私と悠斗だけが残された。周囲の家々も、地面も、すべてが黒い虚無へと溶けていく。
『……梨花』
悠斗が私を見た。その姿もまた、揺らぎ始めていた。彼のここでの役割は終わったのだ。
『次は、北だ。……もっと過酷な場所になる』
「わかってる。追いかけるわ」
私は頷いた。涙は拭った。彼の強さに触れて、私もまた強くなれた気がしたから。
『待ってる』
彼は短く告げると、足元に一つの結晶を残し、光の帯となって北の空へと飛び去った。
私は残されたピンク色の結晶━━『記憶の欠片』を拾い上げた。そこには、子供たちの笑顔と、彼の優しい誓いが刻まれている。
「……行こう」
私は杖を握り直し、何もなくなった虚無の空間を背にした。目指すは北。全ての決着をつける場所へ。




