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アルメルシア クロニクル  ―魔法を鍛えてみんなで生き延びます  作者: amya


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第78話:『スクリプトの向こう側』

第78話『スクリプトの向こう側』


 もう一度、あの極寒の地ノースガルドへと向かう。そう決意した私とレンが最初に足を向けたのは、今回の旅の出発点であり、今はシステムエラーによって見る影もなく崩壊しつつあるアステリア王国の王都だった。


 北の果てを目指すには、生身の肉体を守る防寒装備が絶対に必要だ。けれど、現在の王都はまともな状態ではない。


 街を囲む堅牢な城壁は所々が剥離し、毒々しい紫色のワイヤーフレームが剥き出しになっている。正門には『NO_DATA』という赤い文字がバチバチと明滅していたし、一歩踏み入れば、道具屋の親父がカウンターに下半身をめり込ませたまま同じ挨拶を痙攣するように繰り返し、花売りの少女は「Tポーズ」のまま直立不動で地面を滑るように高速移動していた。


 この狂った世界では、かつて私たちが守ろうとした日常は完全に壊れていた。それどころか、下手に歩けば足元の石畳が音もなく消失して無限の暗闇へ落とされるような、地面の固ささえ信用できない恐ろしい場所になっている。


 そして何より、この王都には、世界の免疫機能『アンチウイルス』として強制徴用され、自我を失って異物を抹殺して回る黒騎士の悠斗が「処刑人」として徘徊している。


 ……絶対に、悠斗に見つからないように。


 私はフードを深く被り、泥だらけの服のまま、細心の注意を払って足元を確認しながら進んだ。目指すのは、かつてレジスタンス『アストラルギア』の一員として侵入していたエララの隠れ家の一つだ。


 データの欠損を免れていれば、たしか王都の正門の近く、路地裏の奥に隠れ家はあったはずだ。私は人の見当たらない正門からササッと侵入した。そして近くの物陰から路地裏へと移動し、奥の方の一角にある、埃の積もった地下へ続く階段に滑り込んだ。


 階段を進んだ先にある正面のドアはダミーで、鍵穴はただの穴らしい。エララが以前に言っていた。この開かないドアの左側の壁は、一見するとレンガで出来た只の壁に見えるが、ここに隠し扉があるのだ。


 レンが神の様に何かを操作して隠し扉のロックを解除してくれた。鍵穴の近くの壁を押すと、スーっと奥へと開いていく。この部屋は消失を免れてまだ残っていた。そこにはかつてエララが残した工作用の資材や、北の国の技術が詰め込まれた装備品がひっそりと遺されていた。エララにもいつか会えたらと思う。


「……あったわ……! エララ特製、特殊防寒耐熱服」


 私は棚の奥から、軽量でありながら信じられないほどの断熱性を誇る、銀色の裏地がついた特製のコートを引っ張り出した。


「これなら、ノースガルドの異常な低温にも耐えられるはず」


『よし、お宝ゲットだな。長居は無用だ、あいつ、悠斗がこのエリアをスキャンしに来る前にすぐに出るぞ!』


私はすぐに王都を出て、アステリア王国を脱出した。すべては、あの白い地獄の先へ行ってしまった悠斗を、バラバラになった彼の記憶を集めて今度こそ連れ戻すために。




 森を抜け、急な山道を登り切った私の目の前に、それは現れた。国境の要塞、ウィンターゲートだ。


 切り立った二つの岩山の間に、巨大な石壁が挟まるようにして築かれている。高さは三〇メートル以上。かつては王国を守る盾だったその場所は、今は不気味なほどの静寂に包まれていた。人の気配がない。見張り台に旗もない。ただ前回訪れた時と違って、鋼鉄の門は開いていた。


 ここからが北の国の本番だ。なぞ仕様によって、この要塞を境にして世界が変わる。


 辺りは白一色に塗り潰されていた。上下左右の感覚はない。天と地の境目さえも、狂ったホワイトノイズのような猛吹雪にかき消されている。


「はぁ……はぁ……っ」


 私は膝まで埋まる新雪をかき分け、鉛のように重い足を持ち上げた。一歩進むたびに、体温という名の生命力がごっそりと削ぎ落とされていく感覚がある。王都の隠れ家で見つけたあの特殊防寒服を着ているというのに、肉体が凍るのではない、私の存在そのものがこの白い虚無に同化させられていくような、底知れない恐怖が全身を支配していた。


『警告。体温低下、危険域。……梨花、このエリアは異常だ。気温設定が絶対零度近くまでバグってる。あの特製防寒装備じゃなきゃ、一瞬で消し炭ならぬ氷の屑になっているぞ!』


レンの声が、嵐のノイズに混じって途切れ途切れに鼓膜を叩く。

「わかってる……。でも、進まなきゃ……」


 私はガチガチと鳴る奥歯を噛み締め、杖にしがみついた。杖の先端には、微かな火属性の魔力を灯している。けれど、その灯火も圧倒的な冷気の前では風前の灯火だ。指先の感覚はとっくにない。自分が杖を握っているのか、それとも氷柱を握っているのかさえ判別できないほどだ。


 ここは北限の地ノースガルド。かつて、私たちがマザーブレインを倒して解放したはずの国。だが、世界に走るバグの深まりと共に復活しているであろうマザーが鎮座する、この世界の最深部を私たちは再び目指している。


 要塞を出てから、どれくらい歩いただろう。悠斗は、この白い地獄のさらに先へ飛んでいった。彼はもう、痛みを感じない身体になってしまったかもしれない。でも、私は生身の人間だ。この痛覚も、寒さも、すべてが脳を焼く現実として襲いかかってくる。


 ピキィィィン……! 不意に、硝子が軋むような硬質な音が響き、目の前の空間が凍りついたように歪んだ。


「……!」

私は足を止めた。吹雪の向こう。白い闇の中から、さらに白い何かが滲み出してきた。


やっぱりいたか。

 氷の巨人、アイスジャイアントの形をしていたが、その表面にはテクスチャがない。以前来た時にいたのとは別物のようだ。生物的な質感も、荒々しい岩肌もない。ただ、真っ白な、のっぺりとしたポリゴンの塊。目も口もない能面のような顔が、ゆっくりと私を見下ろしている。


[System_Entity: Eraser_Unit]


 視界の端に表示された不気味なネームタグを見て、背筋が凍った。イレイザーユニット。消去装置。モンスターじゃない。バグったデータを掃除するためにシステムが生み出した、修正プログラムの巨人だ。


 ブォンッ……。巨人が腕を振り上げた。その拳が、空間ごとデータを削り取るように迫ってくる。


「火……弾ッ!」

私は杖を突き出しようとした。けれど、指が動かない。魔力の練り上げが間に合わない。思考と身体のリンクが、寒さで寸断されている。


 ……間に合わない。


 死の予感が、冷たい刃となって喉元に突きつけられたその瞬間。


 ヒュンッ、ドォッ!! 鋭い風切り音と共に、何かが私の横顔を掠めた。


 それは回転する二対の投げ斧だった。赤熱化した鉄の塊が、正確無比に巨人の腕関節へと突き刺さと、ジュッという音と共に氷のポリゴンを蒸発させた。


『……ガ、ガガッ……?』


巨人の動きが止まる。その一瞬の隙を縫うように、吹雪の奥から数人の影が飛び出してきた。


「散開しろ! 『掃除屋』だ! 奴に触れるな、データごと削られるぞ!」

「へいよ! 若、合図を!」


 野太い怒号。毛皮と鉄のパッチワークのような鎧を纏った男たちが、雪崩のように展開する。彼らの連携は完璧だった。一人が盾で巨人の注意を引きつけ、その死角から二人が槍を突き入れる。


 だが、私の目は、その中心に躍り出た一人の影に釘付けになっていた。獣のような身軽さで雪原を疾走し、巨人の懐へと潜り込む影。かつての幼さは消え、鍛え上げられたしなやかな肉体。風になびく銀灰色の髪の間から、鋭い獣耳が覗いている。


「……遅い」


 低く、けれどよく通る声。彼は地面を蹴り、中空へと舞った。重力など存在しないかのような跳躍。その手には、身の丈ほどもある二振りの大剣が握られている。


「スクリプトに帰んな! クソ人形がぁッ!!」


 ズバァァァンッ!! 交差した刃が閃光を描き、巨人の胴体を一閃した。遅れて衝撃が走り、白いポリゴンの巨体が上下に断ち切られる。断面から溢れ出した光の粒子が、爆風となって周囲の雪を吹き飛ばした。


「……あ……」


 私は呆然とその光景を見つめていた。美しいとさえ思った。


 舞い散成る光の粒子の中で、着地した彼がゆっくりと立ち上がる。助かった? でも、彼らは誰? 今の彼らの動き。スクリプトだなんて言葉を、NPCが知っているはずがない。


 ザッ、ザッ。巨人を倒した男たちが、私の方へ歩み寄ってくる。先頭に立つのは、あの銀髪の青年だ。

 彼は二振りの剣を背中に収めると、私の目の前で止まり、値踏みするように見下ろした。頬には走る古傷。瞳は、雪原の狼のように鋭く、ギラギラと輝いている。けれど、その奥には懐かしい色が揺らめいていた。


「おいおい、驚いたな。こんな死にエリアに迷い猫か?」


 彼は口の端を吊り上げてニヤリと笑った。その表情は、プログラムされた定型文の笑顔ではない。皮肉と、哀れみと、そして微かな希望が入り混じった、あまりにも人間臭い笑み。


 その顔には見覚えがあった。かつて一緒に旅をした、生意気で、誰よりも強さを求めていた少年。ヴォルフ。彼がそこにいた。


「……生きてるか、リリア。まだテクスチャは剥がれてねぇようだな」


 大人びた声で、彼は私の名を呼んだ。

「あ、あなたは……ヴォルフ、なの……?」


 私が問いかけようとした瞬間、視界がグラリと揺れた。緊張の糸が切れ、極限まで冷え切った身体が限界を迎えたのだ。


「っと、危ねぇ」


 倒れ込む私を彼の手が支えた。かつては私より小さかったはずの手が、今は驚くほど大きく、力強い。鉄と油、文明の残滓、そして生き物の匂いがした。


「運んでやれ。……箱庭へ連れて行くぞ」


 意識が遠のく中、彼の声が聞こえた。それは、かつての少年ではなく、荒廃した世界を生き抜くリーダーの声だった。


「ようこそ、クソッタレな世界の掃き溜めへ。……ここじゃ、バグってる奴ほど長生きするんだぜ」


 それが、私が再会したかつての友、この世界の「意志ある住人、レジスタンス」を率いる、若きリーダーとの出会いだった。





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