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アルメルシア クロニクル ―『君と紡いだ偽りの物語は、やがて世界の真実になる』  作者: amya


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第65話:『最後の酒場』

第65話:『最後の酒場』


 ハァッ、ハァッ、ハァッ……。


 肺が焼けるような感覚。私たちは入り組んだ路地裏を駆け抜け、崩れかけた石造りの建物の裏口へと飛び込んだ。


 バンッ!!


 大柄な男が重い鉄扉を閉め、さらに何本もの太いかんぬきをかけ、最後に巨大なタンスを扉の前に引きずってバリケードにした。


「……これでよし。奴の索敵範囲サーチエリアからは外れたはずだ」


 男━━ギルドマスターは、肩で息をしながらその場に座り込んだ。私も膝から崩れ落ち、埃っぽい床に手をついた。分厚い壁の向こうからは、遠雷のような地響きが聞こえている。あの「処刑人」が、まだ近くを徘徊し、破壊を続けている音だ。


「助けてくれて……ありがとうございます」


 私がようやく声を絞り出すと、ギルドマスターは眼帯の位置を直し、ニカっと白い歯を見せた。


「礼には及ばねぇよ。……久しぶりだな、ちっこい魔導師の嬢ちゃん」


 懐かしい呼び名。涙が出そうになった。世界はこんなにも壊れてしまったけれど、ここにはまだ、私が知っている「温かさ」が残っていた。


「さあ、奥へ入れ。……ここは俺たちの『最後の砦』だ」


 促されて進んだ先は、かつての冒険者ギルドの酒場エリアだった。


 そこは、奇妙な空間だった。天井のシャンデリアは半分が欠落して火花を散らし、壁の掲示板には判読不能な文字化けしたクエスト用紙が貼られている。けれど、暖炉には暖かい火が灯り、数人の「人間」たちが身を寄せ合っていた。


 エプロン姿のウェイトレス。髭面の鍛冶屋。ローブを着た初老の学者。彼らは私の姿を見ると、安堵と驚きが混ざったような表情を浮かべた。


「おい、見ろ……プレイヤーだ」 「本当だ。外から来たのか?」


 彼らの瞳には、バグったNPC特有の虚ろさがない。恐怖、希望、そして疲労。人間らしい感情の色があった。


「驚いたか? こいつらは『覚醒者』だ」


 ギルドマスターがカウンターの奥に入り、ボトルを取り出した。


「世界が壊れ始めた時、俺たちは悟ったんだ。『死ぬ』ってな。……皮肉なもんだ。消去デリートされる恐怖が、俺たちプログラムに『生きたい』という自我バグを芽生えさせたんだよ」


 彼はグラスに琥珀色の液体を注ぎ、私の前に滑らせた。


「飲みな。……味のデータは消えちまってるが、酔うことはできる」


 私はグラスを手に取った。一口含むと、確かに味はしなかった。ただ、喉を焼くアルコールの刺激だけがある。それが妙にリアルで、私は少しむせた。


「……あの黒騎士のこと、教えてください」


 私はグラスを置き、ギルドマスターを真っ直ぐに見据えた。


「彼は……悠斗は、どうしてあんな姿に?」


 ギルドマスターは痛ましげに眉をひそめ、カウンターを布巾で拭った。


「あの『処刑人』か。……あいつは、この崩壊した世界の『免疫機能アンチウイルス』になっちまったんだ」


「免疫……?」


「ああ。管理AIが消滅した後、この世界は無秩序になった。そこでシステムは、残っていた中で最も強力なアバターを強制的に徴用し、代行者エージェントに仕立て上げたんだよ」


 ギルドマスターの声が重く沈む。


「奴の目的は『エラーの排除』だ。……俺たちのような自我を持ったバグNPCや、外部から侵入してきた異物おまえを感知し、世界を正常化するために抹殺して回っている」


 私は拳を握りしめた。悠斗のアバターは、この世界最強の騎士だ。その力が、彼自身の意志とは無関係に、彼が守りたかったはずの人々を殺すために使われているなんて。


「そんなの……あんまりよ」


「ああ、クソッたれな話だ。……だが、奴の中に『元の心』が残っていないわけじゃない」


 ギルドマスターが、カウンターの下から一枚の羊皮紙を取り出し、広げた。それはこの世界の地図だったが、あちこちが黒く塗りつぶされ、虫食い状態になっていた。


「見ろ。この光っている点々を」


 地図の上に、いくつかの小さな光点が記されている。今私たちがいる広場。凍てついた湖。廃墟となった教会。そして━━街から遠く離れた、深い森の中。


「奴が現れる場所には法則がある。……かつて、奴がお前さんと一緒に旅をした思い出の場所だ」


「思い出の……場所」


 私は地図上の光点を指でなぞった。さっきの広場は、私たちがよく待ち合わせに使っていた場所だ。湖は、強敵を倒して二人で朝日を見た場所。


 そして、この森。光点の中でも一際強く輝いている、『迷いの森』。


「……ここだわ」


 私の胸が熱くなった。忘れるはずがない。私がまだ初心者で、スライムにさえ追われて泣いていた時。彼が颯爽と現れ、剣を振るって助けてくれた場所。私たちの全てが始まった場所。


「システムに支配されながらも、奴の魂は無意識にここを巡礼しているんだ。……まるで、失くした何かを探すようにな」


「失くした、何か……」


「『記憶の欠片フラグメント』だ」


 ギルドマスターが私の目を指差した。


「奴の自我データは、システムの負荷に耐えきれずに砕け散り、世界中に飛散した。……今の奴は、中身のない鎧だ。だからシステムに操られる」


「じゃあ、その欠片を集めれば……」


「ああ。奴の記憶を再構成デフラグして、インストールしてやれば……あるいは『処刑人』のプログラムを上書きできるかもしれない」


 希望の光が見えた気がした。倒すのではなく、取り戻す。バラバラになった彼の心を、もう一度拾い集める旅。


「ただし、簡単じゃねぇぞ」


 ギルドマスターが警告する。


「欠片が落ちているのは、バグ汚染が深刻な危険地帯ばかりだ。特に、その『森』は世界の崩壊が一番激しいエリアだ。近づくだけでデータが消し飛ぶかもしれん」


「……行きます」


 私は即答し、椅子から立ち上がった。味のしない酒を一気に煽る。胃の腑が熱くなった。


「どんなに危険でも、私が集めます。……だって、その記憶の半分は、私との大切な思い出なんだから」


 私が作った思い出なら、私が責任を持って回収する。そして、あの森で彼に伝えるんだ。「また助けてくれて、ありがとう」って。


 酒場のNPCたちが、私を見つめていた。彼らの目にも、希望の灯火が宿り始めていた。プレイヤーが帰ってきた。この終わりの世界に、まだ物語を紡ごうとする者がいる。


「……いい目だ」


 ギルドマスターがニヤリと笑い、私の背中をバンと叩いた。


「よし! なら、まずは装備を整えろ! ……と言いたいところだが、まともな武器屋は全滅だ。俺の秘蔵のコレクションから見繕ってやる」


 彼はカウンターの裏から、古びた、しかし手入れの行き届いた短剣やポーションを取り出し始めた。


「準備ができたら出発だ。……最初の欠片は、手始めにこの街の地下水路にある。そこで腕を慣らしてきな」


 外では風の音が唸っている。処刑人の足音は遠ざかったようだ。


 私は杖を握り直し、深呼吸をした。旅が始まる。かつての英雄を救い、この狂った世界に「ハッピーエンド」を上書きするための、最後のクエストが。





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