第61話:『再会と、ガラス越しの約束』
第61話:『再会と、ガラス越しの約束』
ドサッ、ドサッ。
目に見えない空気の槌に殴打された男たちが、壁に叩きつけられて崩れ落ちた。彼らは呻き声を上げているが、立ち上がる気配はない。肋骨の数本は持っていったかもしれないが、命に別状はないはずだ。
「ハァ……ハァ……ッ!」
私は杖に体重を預け、荒い息をついた。壁を溶かすほどの高熱操作と、瞬発的な衝撃波。脳が焼き切れそうなほどの負荷が、ズキズキとこめかみを脈打たせる。
「り、梨花ちゃん……?」
床に倒れ込んでいた佐藤博士が、割れた眼鏡越しに呆然と私を見上げていた。その顔は殴打され、唇が切れて血が滲んでいる。
「博士!」
私は慌てて駆け寄り、彼の体を支え起こした。
「ごめんなさい、遅くなって。……怪我は?」
「私は大丈夫だ。それより、どうやってここまで……」
「約束、しましたから。……必ず戻ってくるって」
私は博士の手を強く握り、それから視線を上げた。部屋の中央に鎮座する、白いカプセル。無数のチューブとモニターに囲まれ、電子音の中で眠り続ける少年。
「……悠斗」
私は吸い寄せられるようにカプセルへと歩み寄った。分厚い強化ガラスの向こう。彼は、最後に会った時と変わらない、穏やかな顔で眠っていた。まるで、ただの午睡を楽しんでいるかのように。
「……よかった。生きてる……」
ガラスに手を当てる。冷たい感触。でも、モニターの心拍数は、彼が確かにここに生きていることを証明していた。
「おい、感傷に浸ってる場合か。……追手が来るぞ」
遅れて入室してきたレンが、手早く倒れた工作員たちの通信機を破壊し、カプセルの制御コンソールへと飛びついた。
「悠斗の状態はどうなんだ? さっさと起こして逃げるぞ」
レンがケーブルを接続し、高速でキーを叩く。しかし、数秒後。彼女の手がピタリと止まり、表情が険しく歪んだ。
「……なっ」
「レン? どうしたの?」
「……いない」
レンが信じられないものを見る目で、私と博士を見た。
「脳波がフラットに近い。……自発呼吸はあるが、大脳皮質の活動レベルがほぼゼロだ」
「え……?」
「こいつの意識は……戻ってきてない。まだ『向こう側』━━破壊されたアルメルシアのサーバーの深層領域に囚われたままだ」
私は言葉を失った。あの崩壊の日。彼は私を強制ログアウトさせるために、すべての負荷を引き受けた。その代償として、彼の魂はデジタルの海に置き去りにされてしまったのか。
「じゃあ……起きないの? ここで起こしても……」
「ああ。中身のない人形が目を覚ますだけだ」
絶望的な宣告。ようやく会えたのに。触れられる距離にいるのに、彼の心はここにはない。
ウゥゥゥゥゥゥ━━ッ!!
その時、施設内に非常警報が鳴り響いた。赤い回転灯が激しく明滅する。
「チッ、気づかれた! 増援が来るぞ!」
レンが叫ぶ。時間がない。でも、悠斗は目覚めない。どうする? ここに置いていく? そんなことできるわけがない。政府の手にあれば、彼はまた「人質」にされるか、最悪の場合処分される。
(連れて行くしかない)
私は顔を上げた。
「レン、博士。……このカプセルごと、運び出します」
「はぁ!? お前バカか!?」
レンが素っ頓狂な声を上げた。
「この生命維持装置ユニットだぞ? 総重量は300キロを超える! どうやって運ぶんだよ!」
「運べるわ」
私はカプセルの側面に手を添えた。冷たい金属の感触。その中にある、彼の命の重み。
「物理法則なら、私が書き換える」
私は目を閉じ、イメージした。カプセルにかかる重力ベクトル。それを相殺し、浮力を生み出す計算式。脳が悲鳴を上げる。鼻血がツーっと垂れる。でも、代々木公園の鉄骨(2トン)に比べれば、300キロなんて羽毛のようなものだ。
ブォンッ……。
重苦しい音と共に、巨大なカプセルが床から数センチ浮き上がった。
「……マジかよ」
「博士! バッテリーは持ちますか!?」
私が叫ぶと、呆然としていた佐藤博士がハッと我に返った。
「な、内蔵バッテリーで3時間は持つ! ……私も行く! 私がいなければ、彼の管理はできない!」
「お願いします! ……レン、先導して!」
「たくっ、無茶苦茶な魔女様だぜ!」
レンが苦笑しながら、ドアをこじ開けた。
私は浮遊するカプセルを、見えない紐で引くようにして歩き出した。まるで棺を運ぶ葬列のようだ。でも、これは絶望の行進じゃない。
私はガラス越しに、眠る彼の顔を覗き込んだ。
(待ってて、悠斗)
今はまだ、あなたは目覚めないかもしれない。でも、あなたの体は私が絶対に守り抜く。そして━━。
(安全な場所まで逃げたら、今度は私が迎えに行く) (あなたが私を救ってくれたあの世界へ。もう一度、ダイブして)
ガラスに額を押し付け、誓いのキスのように呟いた。
「必ず、連れ戻すから」
私たちは走り出した。重力から解き放たれた巨大なカプセルと共に、出口のない迷宮からの脱出を開始する。




