第59話:『インビジブル・インフイルトレーション』
第59話:『インビジブル・インフイルトレーション』
プシュッ……。
レンが端末を接続してからわずか数秒。搬入路の電子ロックが解除され、分厚い鋼鉄の扉が音もなくスライドした。
「……セキュリティレベルが下がってる。正面の騒ぎで、リソースをあっちに回してるな」
レンがゴーグル越しに数値を読み取り、手招きした。私たちは足音を殺して施設内へと滑り込んだ。
そこは、無機質な白い廊下だった。空調の低い唸り音だけが響き、人の気配はない。 だが、その静けさこそが罠であることを、私の肌が感じ取っていた。
「……ストップ」
レンが鋭い声で制止し、私の胸元を手で遮った。
「なんだ、あれ?」
彼女が指差した先。約30メートル先の通路の天井に、黒い半球状の物体が二基、ぶら下がっていた。カメラのレンズのようなものが、不規則に回転しながら廊下全体をスキャンしている。
「自動防衛タレット『アイギス』だ。……動くもの、熱を持つもの、すべてを認識して毎分3000発のゴム弾━━いや、今は実弾だろうな━━をばら撒く」
レンが顔をしかめた。
「ハッキングは?」
「無理だ。あれはスタンドアローン(独立駆動)型だ。外部からの接続を一切受け付けない」
レンが小石を拾い、軽く放り投げた。ガガガッ!!
小石が床に落ちて一度バウンドした瞬間、乾いた銃声が響き、小石は粉々に砕け散った。正確無比な反応速度。人間が駆け抜けようとしても、一歩目で蜂の巣にされる。
「……詰んだか?」
「ううん、行けるわ」
私は杖を握り直し、前に出た。
「あの機械が見ているのは『光』と『熱』でしょう?」
「ああ。可視光カメラと赤外線センサーの複合型だ」
「なら、見えなくしてやればいい」
私は深く息を吸い込んだ。イメージしろ。光は波だ。空気の密度や媒質によって、その進む方向を変える。蜃気楼のように。水の中のストローのように。私の周囲の空間の屈折率を操作し、光を「迂回」させる。
「レン、私の背中にしっかり捕まってて。……絶対に離れないでよ」
「おい、まさか……透明人間になる気か?」
「ええ。……燃費は最悪だけど、3分間だけなら」
私は脳内をフル稼働させた。自分とレンを包む球状の領域を設定。その境界線上の空気密度をグラデーション状に変化させ、背後からの光を前面へと滑らかに誘導する。
━━展開。『偏光迷彩』
ブォン……。
空気が揺らいだ。次の瞬間、私たちの姿が景色に溶けた。私の視界からも、自分の手足が半透明に透けて見える。まるでガラス細工になったようだ。
「うわっ……マジかよ。自分の足が見えねえ」
「しっ! 声を出さないで。……空気の振動までは消せないから」
私たちは息を殺し、死の廊下へと足を踏み出した。
一歩、また一歩。タレットのレンズが、ギョロリとこちらを向く。心臓が破裂しそうだ。バレていないか? 本当に見えていないのか? タレットの銃口が、私たちの動きに合わせてゆっくりと首を振る。
(……っ!)
違う。私たちを見ているんじゃない。私たちの背後にある壁のスキャンをしているだけだ。私たちは今、ただの「空気の揺らぎ」として存在している。
━━ピーッ。
不意に、タレットから電子音が鳴った。赤外線センサーが、わずかな熱源を探知したのか? それとも、空間の歪みに違和感を覚えたのか?
私は立ち止まり、呼吸さえ止めた。額から冷や汗が流れる。もしここで撃たれたら、防ぐ術はない。
タレットのレンズが数秒間、虚空を凝視し━━そして、興味を失ったように元の定点監視に戻った。
(……ふぅ)
私は肺に残った空気を少しずつ吐き出し、再び歩を進めた。タレットの真下を通過する。黒い銃身の冷たい輝きが、すぐそこにある。
そして、30メートル。私たちはタレットの死角となる角を曲がり、安全圏へと滑り込んだ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」
私は壁に手をつき、魔法を解いた。一気に視界が元に戻ると同時に、強烈な目眩と空腹感が襲ってくる。
「リリア! 大丈夫か!」
「なんとか……。でも、もう一回はやれない……」
私はレンから差し出されたチョコレートをひったくり、包み紙ごと噛み砕いた。糖分がなければ気絶していたかもしれない。
「すげぇよ、お前。……本当に魔法使いだな」
「科学よ。……光の屈折率を変えただけ」
私は強がって笑ったが、膝は笑っていた。
「さあ、急ごう。……地下へのエレベーターはこの先だわ」
私たちは廊下の奥を見据えた。正面ゲートの騒ぎが遠くに聞こえる。陽動は成功している。見えざる潜入者は、ついに心臓部への階段に手を掛けたのだ。




