第50話:『見えざる追跡者』
第50話:『見えざる追跡者』
穏やかな「特訓」の時間は、唐突な電子音によって破られた。
『━━WARNING. Unauthorized Access Detected.』
部屋中のLEDインジケーターが一斉に赤く点滅し、空気を切り裂くようなアラート音が鳴り響く。
「……チッ。嗅ぎつけるのが早すぎるぞ」
レンがスナック菓子を放り出し、キーボードに覆いかぶさるような前傾姿勢をとった。 その指先が、残像が見えるほどの速度でコマンドを打ち込んでいく。
「レン? 何が起きたの?」
「包囲網だ。……俺の可愛い『迷彩』が剥がされかけてる」
レンが顎でメインモニターを指した。そこに映し出されていたのは、都内の詳細なデジタルマップ。その地図上のあちこちに、赤い警告マークが点灯し、それらが徐々に━━しかし確実に、この豊洲エリアへと絞り込まれているのが見て取れた。
「Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)だ。……逃走に使ったバイクの偽造ナンバーが、湾岸線でヒットした」
「えっ……でも、昨日の夜のことだよ? 今更?」
「普通の警察なら追跡に数日はかかる。だが、相手が『ダスク』なら話は別だ」
レンの瞳が鋭く光る。
「奴らは民間の防犯カメラ、ドライブレコーダー、果てはコンビニのATMカメラまで、あらゆる『目』を違法にハッキングして繋ぎ合わせている。……俺たちが通ったルートを、点と点を結ぶように逆算してきやがった」
背筋が凍った。この巨大な都市そのものが、私たちを監視する「敵」になってしまったような感覚。
「特定されるまで、あと何分?」
「通常なら10分。……だが、俺が相手だ。タダで通してやる義理はない」
レンが不敵に笑い、エンターキーを叩き割る勢いで押した。
「オペレーション・グリッドロック(交通遮断)。……東京中の信号機を、全部『赤』にしてやる」
【東京・湾岸エリア】
その瞬間、主要な交差点で異変が起きた。青だった信号が突如として赤に変わり、右折矢印が出たと思えば消え、歩行者用信号が高速で点滅を始める。
キキキーッ!! ドンッ!!
急ブレーキの音。クラクションの嵐。交差点は一瞬にしてカオスと化し、豊洲へ向かう幹線道路は、数珠つなぎになった車両で完全に麻痺した。
その中には、明らかに不自然な挙動をする黒塗りのワンボックスカーや、偽装した清掃車両━━『ダスク』の追跡部隊も含まれていた。
「ざまあみろ。これで物理的な接近は遅れる」
レンが口元を緩める。モニターには、真っ赤に染まった渋滞情報のマップが表示されている。
「でも、これじゃ一般の人たちが……」
「綺麗事を言ってる場合か。こっちは命がかかってるんだ」
レンは私の言葉を一蹴し、さらに防壁の強化を続けた。だが、私は胸騒ぎが消えなかった。相手はプロの暗殺部隊だ。信号機ごときで、本当に止まるだろうか?
陸がダメなら――。
(……音?)
ふと、耳鳴りのような音が聞こえた気がした。サーバーの冷却ファンの重低音とは違う。もっと高く、鋭く、そして微かな羽音のような音。
「……レン。静かにして」
「あ? 今忙しいんだが」
「お願い、音を止めて!」
私の真剣な表情に、レンが眉をひそめ、キーボードの手を止めた。コマンド一つで、部屋中のファンの回転数が落ちる。
静寂が戻った倉庫内。その天井付近から、かすかに聞こえてくる音。
……ブィィィィィン……。
蚊の羽音に似ている。でも、もっと硬質で、人工的な響き。それは、換気口のダクトの奥から響いていた。
「……ドローンかッ!」
レンが叫んだ瞬間。
バシュッ!
ダクトのカバーが外れ、黒い掌サイズの物体が部屋の中に飛び込んできた。四つのローターを持つ小型ドローン。その下部についたカメラのレンズが、ギョロリと回転し、正確に私とレンを捉えた。
『Target Acquired (ターゲット確認).』
無機質な合成音声が響く。
「しまっ……ハッキング対策のされていない自律型か! 電波を使ってないから探知できなかった!」
レンが椅子を蹴って立ち上がり、手近な工具箱を投げつける。しかし、ドローンは生き物のような動きでそれを回避し、天井高くへ上昇した。赤いレーザーポインターの光が、私の額に照射される。
「場所がバレた。……陸路がダメなら空から探しに来やがったか!」
レンが私の車椅子に駆け寄り、ロックを外す。
「逃げるぞリリア! 本隊が来る! ここはもう『棺桶』だ!」
モニターの地図上で、停滞していた赤い点の一部が動き出した。車を捨て、徒歩あるいはバイクで強行突破してくる気だ。
ヒュンッ!
ドローンから何かが射出された。それは私の足元に転がり、瞬時に白い煙を噴き上げた。催涙ガスだ。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
「クソッ、実力行使かよ!」
レンが袖で口を覆いながら、私の車椅子を押して走り出す。秘密基地の安全神話は、あまりにも呆気なく崩れ去った。見えざる追跡者は、ついにその姿を現し、鋭い牙を私たちに突き立てようとしていた。




