第5話:『野営の夜と、二つの月』
第5話:『野営の夜と、二つの月』
日が沈み、街道が群青色の闇に包まれる頃、私たちは街道を少し外れた開けた場所で足を止めた。王都まではあと四日の道のり。今夜はここで野宿をすることにした。
「よし、ここなら見通しもいいし、魔獣が近づいてもすぐに分かる」
ユリオが慣れた手つきで周囲の枯れ木を集め、石で炉を組み始めた。私はその横で、手に入れたばかりの『聖樹の杖』を構えてスタンバイする。
「リリア、頼めるか?」
「うん、任せて! ……優しく、小さく……」
私は深呼吸をして、杖の先端を枯れ木の山に向けた。戦闘の時のように激しく燃え上がるイメージではなく、マッチの先にポッと灯るような、小さな灯火を想像する。
「種火、イグニス」
優しく落ち着いた声色で唱えた。
ボッ。
杖の先から小さな火の粉が飛び、枯れ葉に引火した。炎はパチパチと音を立てて広がり、やがて心地よい焚き火となって私たちを照らし出した。
「おぉ……! 完璧!」
「上達したな。これなら料理番も任せられそうだ」
「ありがとう、ユリオ」
「次は鍋に水を入れたいんだけど、これも頼めるかな」
ユリオから優しく頼まれてしまったら、これはやるしかない!!
落ち着け私。す~はぁ~す~はぁ~。よし。
私は少し離れた所に移動して、2,3人用位の鍋を手前に置いて、杖を鍋に向けて掲げた。
「水生成、ウォーターボール」
何もない空中に、鍋よりも3倍くらい大きな水玉を作り出すことができた。その水玉はふよふよとかたちを変えながら浮かんでいる。その水玉で鍋を包むように操作して、操作解除!!
バシャッ!!
結構周りは水浸しだけれど、鍋には溢れるほどに水が入っている。
よしよし、出来た。この世界では魔法で作った自然にもある様なものは、時間が経っても消えないみたいなんだよね。
ちょっと鍋の水が多過ぎるから少しこぼしてと……。火のところまで持っていくのは、なかなかの重労働だよね。そうだ、魔法でこの鍋ごと浮かせて持っていこう。
浮かせて運ぶ魔法……。う~ん。
「浮上、フロート!!」
おおっ、鍋がふよふよと浮かんだ。このまま火のところへ移動だ。杖を掲げたまま静かに一歩ずつ近づく。
「ユリオ~、できたよ~~」
チラッと見ると、ユリオは寝床の準備をしてくれているところみたいだ。私は鍋を浮かせることに集中しながら声を掛けた。
ユリオは驚いたようで慎重に近づいてきた。
「リリア、あぶないから一旦おこうか」
「俺、持つからさ」
私はゆっくりと鍋を地面に近づけていく。ふよふよしているので、このままではこぼれちゃうな。
「ユリオ~、地面にぶつかりそうだから、鍋持ってくれる~?」
「うん、浮かんでいるこれ、持っていいの?」
私は尚も集中したまま、チラッと頷くだけで同意を示した。ユリオは鍋の取手に手を伸ばして掴んでくれた。
「ふぅ~~~」
結構集中して疲れてしまったけど、グッジョブわたし。
季節感は夏を少し過ぎて、冬にはまだ遠い秋の頃だろうか。朝晩は少し肌寒く、隆盛を極めた草花も、落ち着いた栄華を満喫している様な頃合いだと思う。
ユリオが鍋を火にかけながら笑う。夕食は、村で分けてもらった干し肉と野菜を入れたシンプルなスープだ。味付けは塩だけだったけれど、冷えた体に染み渡るような美味しさだった。
食後、私は膝を抱えて夜空を見上げた。そこには、渋谷では絶対に見られない光景が広がっていた。
満天の星々。そして、その中心に浮かぶ、大小二つの月。一つは青白く輝く大きな月。もう一つは、その周りを衛星のように回る、赤みがかった小さな月。
「……本当に、違う世界なんだなぁ」
ぽつりと呟いた言葉は、焚き火の爆ぜる音に消された。でも、隣に座っていたユリオには聞こえていたようだ。
「違う世界?」
「あ、ううん! ……私が住んでた田舎とは、星の並びが違うなって」
慌てて誤魔化すと、ユリオは不思議そうに空を見上げた。
「そうか。……俺には、この空が見慣れたものなのか、そうじゃないのかすら分からないな」
彼は寂しげに目を細め、自分の手を見つめた。
「名前も、生まれも思い出せない。なのに、剣の握り方や、魔獣の殺し方だけは身体が覚えている。……俺は一体、何者なんだろうな」
その横顔があまりに切なくて、私は胸が締め付けられた。悠斗先輩。もし彼が本当に先輩なら、彼は「サッカーボールの蹴り方」じゃなく「剣の振り方」を覚えている自分に、どれほどの違和感を抱いているんだろう。
「……大丈夫だよ」
私は努めて明るい声を出した。
「ユリオはユリオだよ。私を助けてくれた、優しくて強い剣士さん。それだけじゃダメ?」
「リリア……」
「過去が思い出せなくても、今ここにいるユリオは本物だもん。……それに、これから新しい思い出をいっぱい作ればいいじゃない。私が付き合うよ!」
私が胸を張って言うと、ユリオはきょとんとして、それから吹き出した。
「ふっ……くくっ。お前は強いな」
「む、笑わないでよぉ」
「いや、悪い。……そうだな。お前の言う通りかもしれない」
ユリオは私の頭にポンと手を置いた。その掌の温もりが、冷たい夜風の中で何よりも心地よかった。
「ありがとう、リリア。……お前がいてくれてよかった」
私は子供の様なあどけない笑顔を向けた。充実感で胸がいっぱいになりながら、私は桃色になった顔を膝に埋めた。そんなこと言われたら、勘違いしちゃうじゃない。
「……もう寝ろ。見張りは俺がやる」
「え、でも……」
「子供は寝る時間だ。明日も1日中歩くんだぞ」
ユリオに促され、私は焚き火の近くで横になった。ユリオは焚き火に背を向けて周囲を見張ってくれている。二つの月が見守る異世界の夜は、思ったよりもずっと穏やかで、優しかった。
(おやすみなさい、ユリオ。……明日も、いい日になりますように)
私は祈るように目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。王都グランドリアまで、あと四日。無事に着けますように……。
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