第5話:『野営の夜と、二つの月』
第5話:『野営の夜と、二つの月』
日が沈み、街道が群青色の闇に包まれる頃、私たちは街道を少し外れた開けた場所で足を止めた。王都まではあと二日の道のり。今夜はここで野宿だ。
「よし、ここなら見通しもいいし、魔獣が近づいてもすぐに分かる」
ユリオが慣れた手つきで周囲の枯れ木を集め、石で炉を組み始めた。私はその横で、手に入れたばかりの『聖樹の杖』を構えてスタンバイする。
「リリア、頼めるか?」
「うん、任せて! ……今度こそ、優しく、小さく……」
私は深呼吸をして、杖の先端を枯れ木の山に向けた。戦闘の時のように激しく燃え上がるイメージではなく、マッチの先にポッと灯るような、小さな灯火を想像する。
「種火!」
ボッ。
杖の先から小さな火の粉が飛び、枯れ葉に引火した。炎はパチパチと音を立てて広がり、やがて心地よい焚き火となって私たちを照らし出した。
「おぉ……! 完璧!」
「上達したな。これなら料理番も任せられそうだ」
ユリオが鍋を火にかけながら笑う。夕食は、村で分けてもらった干し肉と野菜を入れたシンプルなスープ。味付けは塩だけだったけれど、冷えた体に染み渡るような美味しさだった。
食後、私は膝を抱えて夜空を見上げた。そこには、二〇四〇年の渋谷では絶対に見られない光景が広がっていた。
満天の星々。そして、その中心に浮かぶ、大小二つの月。一つは青白く輝く大きな月。もう一つは、その周りを衛星のように回る、赤みがかった小さな月。
「……本当に、違う世界なんだなぁ」
ぽつりと呟いた言葉は、焚き火の爆ぜる音に消された。でも、隣に座っていたユリオには聞こえていたようだ。
「違う世界?」
「あ、ううん! ……私が住んでた田舎とは、星の並びが違うなって」
慌てて誤魔化すと、ユリオは不思議そうに空を見上げた。
「そうか。……俺には、この空が見慣れたものなのか、そうじゃないのかすら分からない」
彼は寂しげに目を細め、自分の手を見つめた。
「名前も、生まれも思い出せない。なのに、剣の握り方や、魔獣の殺し方だけは身体が覚えている。……俺は一体、何者なんだろうな」
その横顔があまりに切なくて、私は胸が締め付けられた。悠斗先輩。もし彼が本当に先輩なら、彼は「サッカーボールの蹴り方」じゃなく「剣の振り方」を覚えている自分に、どれほどの違和感を抱いているんだろう。
「……大丈夫だよ」
私は努めて明るい声を出した。
「ユリオはユリオだよ。私を助けてくれた、優しくて強い剣士さん。それだけじゃダメ?」
「リリア……」
「過去が思い出せなくても、今ここにいるユリオは本物だもん。……それに、これから新しい思い出をいっぱい作ればいいじゃない。私が付き合うよ!」
私が胸を張って言うと、ユリオはきょとんとして、それから吹き出した。
「ふっ……くくっ。お前は強いな」
「む、笑わないでよぉ」
「いや、悪い。……そうだな。お前の言う通りかもしれない」
ユリオは私の頭にポンと手を置いた。その掌の温もりが、冷たい夜風の中で何よりも心地よかった。
「ありがとう、リリア。……お前がいてくれてよかった」
━━ドキン。
心臓が大きな音を立てた。焚き火の明かりのせいにして、私は赤くなった顔を膝に埋めた。そんなこと言われたら、勘違いしちゃうじゃないか。
「……もう寝ろ。見張りは俺がやる」
「え、でも……」
「子供は寝る時間だ。明日も歩くんだぞ」
ユリオに促され、私は毛布にくるまって横になった。焚き火の暖かさと、背中越しに感じるユリオの気配。二つの月が見守る異世界の夜は、思ったよりもずっと穏やかで、優しかった。
(おやすみなさい、ユリオ。……明日も、いい日になりますように)
私は祈るように目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。王都グランドリアまで、あと二日。そこで待つ運命が、私たちの絆を試すことになるとも知らずに。




