第49話:『エントロピーの燃費計算』
第49話:『エントロピーの燃費計算』
プシュッ。
炭酸飲料の気が抜ける音と共に、ジャンクフードの暴力的な香りが、無機質なサーバールームに充満した。私の目の前のテーブルには、Lサイズの宅配ピザ(ダブルチーズ増量)、フライドポテトの山、そして羊羹とチョコレートが積み上げられている。
「……ねえ、レン。これは何の嫌がらせ?」
私は呆れて言った。リハビリ中の人間に食わせるメニューじゃない。
「燃料補給だ。食え」
レンはモニターから目を離さず、ポテトを齧りながら言った。
「お前の『魔法』は、燃費が悪すぎる。アメ車も真っ青のガソリン食い虫だ。……まずはその欠陥を修正する」
レンがキーを叩くと、モニターに人体図とグラフが表示された。
「お前の脳波と血糖値の相関データだ。……魔法を使うたびに、お前の脳は通常の数千倍のグルコース(ブドウ糖)を消費している。要するに『ガス欠』で倒れてるんだよ」
「……頭を使うと甘いものが欲しくなるっていうけど、その極端なやつってこと?」
「ああ。お前は現実世界(物理レイヤー)に対し、強引に『嘘』を書き込んでいる。その処理負荷が脳に直撃してるんだ」
レンは私の目の前に、使い捨ての100円ライターを置いた。
「実験だ。……そのライターを、手を使わずに点火してみろ」
「点火? 魔法で?」
「そうだ。ただし、条件がある」
レンはストップウォッチを取り出した。
「『火よ出ろ』なんて漠然と念じるなよ? ……そんな非効率なコードを書いたら、お前の脳みそは一瞬で干からびるぞ」
私はライターを見つめた。VR世界なら簡単だった。イメージすれば、そこには火球が生まれた。でも、ここは現実だ。質量保存の法則も、エネルギー保存の法則も、厳格に支配している世界だ。
(何もない空間から火を出すには……莫大なエネルギーが必要……)
私は目を閉じ、脳内で数式を組み立てる。空気中の酸素濃度。発火点。プラズマ化。
「……くっ!」
頭がズキンと痛む。ライターの火口付近の空気を、無理やり加熱しようとするイメージ。原子を振動させろ。熱を生め。
ボッ!
数秒後、ライターの先に小さな炎が灯った。と同時に、強烈な目眩が私を襲った。
「はぁ、はぁ……っ!」
「タイム、4秒5。……そしてお前の血糖値は急降下だ。落第だな」
レンは冷たく言い放ち、ピザの一切れを私の口元に突きつけた。
「食え。脳が死ぬぞ」
私は言われるがままにピザにかじりついた。チーズの油と塩気が、枯渇した体に染み渡る。
「……何が悪いのよ。火はついたじゃない」
「『やり方』がスマートじゃない」
レンは自分のこめかみを指差した。
「お前は今、真冬の部屋を温めるために、窓を全開にして暖房を最強にしたようなもんだ。……無駄が多すぎる」
レンはライターを手に取り、くるくると回した。
「いいか、リリア。物理法則と喧嘩するな。……ルールを利用して、『騙す』んだ」
「騙す……?」
「火をつけるのに、わざわざ空間をねじ曲げて熱を生む必要はない。……このライターの『ヤスリ』を、見えない指でちょっと回してやればいい」
私はハッとした。ライターは、火をつけるための機械だ。ガスが出て、フリント(発火石)が摩擦を起こせば、わずかなエネルギーで火がつくように設計されている。
「私がやるべきは……『火を生む』ことじゃなくて、『スイッチを押す』こと?」
「正解。……現実世界には、すでにエネルギーが満ちている。重力、電気、化学反応。お前はその『きっかけ(トリガー)』を引くだけでいい」
最小限の干渉。バタフライ・エフェクトの最初の一羽になること。
「もう一回だ。……今度は、フリントの摩擦係数と、ガスの噴出だけに集中しろ」
私は深呼吸をし、再びライターを見つめた。イメージを変える。強引な上書き(オーバーライド)じゃない。現実のコードに、こっそりと一行だけ書き足す感覚。
━━ヤスリにかかる圧力を、指一本分だけプラス。
シュボッ。
一瞬だった。頭痛はない。空腹感も、さっきほどではない。ライターの先に、揺らぐことのない炎が灯っていた。
「タイム、0.2秒。……消費カロリーは、うまい棒一本分ってところか」
レンが満足げにニヤリと笑った。
「これなら実戦で使える。……お前は『大魔法使い』になる必要はない。『最強のハッカー』になればいいんだ」
私は手のひらで、小さく燃える炎を感じた。これは、私が初めて「計算」で勝ち取った、現実世界での魔法だった。
「……レン。もう一回やってみる」
「おっと、その前にピザを完食しろよ。……次の課題は、『重力制御』のコスト計算だ」
私はあくどい笑みを浮かべるコーチに向かって、苦笑しながらコーラを流し込んだ。 エントロピーの燃費計算。それは地味で、数学的で、そして生き残るための唯一の武器。私の頭の中で、新しい「魔法の方程式」が組み上がり始めていた。




