42話 閑話:『拡散する神話』と『密室の取引』
42話 閑話:『拡散する神話』と『密室の取引』
『━━緊急速報です。ネット上に流出した「謎の映像」について、政府は依然として沈黙を守っており……』
東京、渋谷。巨大なスクランブル交差点の街頭ビジョンは、普段なら華やかな広告で埋め尽くされているはずだった。だが今夜は違った。どのビジョンも、同じニュース番組を映し出し、道行く人々は足を止めてスマホに見入っていた。
「おい、見たかよ今の」 「CGでしょ? 映画の宣伝じゃないの?」 「でも、場所が高度医療センターだって特定されてるぜ。警察の車両もハンパない数が集まってるし」
若者たちの喧噪。彼らの手元の画面の中で、短い動画が無限にループ再生されている。 ━━水浸しの病室。 ━━粉砕されるガラス。 ━━そして、痩せ細った少女の身体から放たれる、太陽のごとき閃光。
それは、「日常」という名の薄い膜が破れた瞬間だった。
【匿名掲示板:スレッド『都内の病院で魔法使いが暴れてる件について』】
1:名無しの権兵衛 動画見た。ガチならヤバすぎだろ。
15:名無しの権兵衛 >>1 映像解析班だけど、これCGじゃないぞ。 光の反射、水の粒子、あと吹き飛んでる黒服の動き。物理演算でこれ再現するにはスパコン使っても数週間かかるレベル。 ライブ配信でこれが流れたってことは……本物だ。
42:オカルトマニア あの子、「リリア」じゃないか? 去年の大規模事故で意識不明になってた瀬戸梨花ちゃんだろ。 親父さんは有名な物理学者だし。
89:憂国の騎士 政府は何やってんだ。あんな危険な兵器を野放しにするな。 それとも、既に政府が開発した生体兵器なのか?
156:光の信徒 彼女は兵器じゃない。天使だ。 あの光を見たか? あれは我々を救うために降臨したんだ。 彼女を解放しろ! 政府は神を監禁するな!
ネットの海は、一夜にしてカオスと化した。「魔法」という単語が、ファンタジーからリアルへとその意味を変えたのだ。恐怖する者、熱狂する者、陰謀論を唱える者。人々の感情は、あの閃光のように爆発的に膨れ上がり、制御不能なうねりとなって現実世界を侵食し始めていた。
━━同日、アメリカ合衆国・バージニア州。CIA本部。
薄暗い会議室で、数人の男女がモニターを食い入るように見つめていた。
「東京からの報告は?」 「確度A。映像は加工なし。……現地のエージェントによると、病院周辺で異常な電磁波と熱量を検知したそうです」 「たった一人の少女が、戦術核並みのエネルギーポテンシャルを秘めていると?」
上席の男が、指先でデスクを叩く。
「日本政府に任せてはおけん。……『ダスク(黄昏)』チームを動かせ。接触が可能なら確保。不可能なら……」
男は冷酷に言い放った。
「サンプル(脳)だけでも回収しろ」
世界中の「目」が、極東の島国の一室に向けられた。硝子の病室で起きた小さな奇跡は、世界大戦の火種になりかねない危険な輝きを放っていた。
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騒動から三日後。 国立高度医療センター、特別応接室。
重厚なカーテンが閉め切られた部屋には、タバコの煙と、胃が痛くなるような緊張感が充満していた。
「……佐藤君。君の管理能力には失望したよ」
革張りのソファに深く腰掛けた初老の男━━内閣官房長官が、不愉快そうに吐き捨てた。その対面には、防衛省特務官の黒田。そして、パイプ椅子に座らされた佐藤博士がいた。
「映像の流出。世論の混乱。そして各国の諜報機関の動き……。どう責任を取るつもりだ」
「責任なら私が取ります。辞表も用意してある」
佐藤は淡々と答えた。目の下に濃いクマを作っているが、その眼光だけは鋭い。
「ですが、プロジェクトの凍結は認められません。彼女━━瀬戸梨花の状態は極めて不安定だ。私が離れれば、彼女は制御を失い、次は病院ごと吹き飛ばすかもしれない」
「脅しかね?」
黒田が低い声で介入する。
「彼女は危険因子だ。世論が騒ごうと、秘密裏に『処分』して、脳だけを生体ユニットとして管理する方が安全だ」
「できませんよ、黒田さん」
佐藤は黒田を睨み返した。
「世界中が彼女の顔を知ってしまった。『瀬戸梨花は治療の末に死亡した』なんて発表すれば、暴動が起きる。……今や彼女は、世界で最も有名な17歳だ」
そう。あの情報漏洩は、諸刃の剣だった。世界中に狙われるリスクと引き換えに、彼女は「衆人環視」という最強の盾を手に入れたのだ。政府といえど、これだけ注目された少女を闇に葬ることはできない。
「……チッ」
黒田が忌々しげに舌打ちをする。官房長官はため息をつき、テーブルの上にある書類を指で弾いた。
「わかった。……処分は見送ろう。だが、この病院に置いておくわけにはいかん。マスコミとデモ隊で機能不全だ」
「では?」
「『第9研究棟』へ移送する。……地下50メートルの核シェルターだ。あそこなら、外部からの接触も、彼女の『暴走』も抑え込める」
第9研究棟。表向きは防災研究施設だが、実態は政府の極秘実験場だ。一度入れば、二度と太陽の下には戻れないと言われる場所。
「……条件があります」
佐藤は拳を握りしめて言った。
「私が引き続き、主治医として同行すること。そして……もう一人の被検体、神崎悠斗の生命維持を最優先で継続すること」
「あの植物状態の男か? データの価値はないようだが」
「彼が人質です」
佐藤はあえて冷徹な言い方を選んだ。
「瀬戸梨花を従順にさせるには、彼が必要だ。『彼を治すために協力しろ』と言えば、彼女は研究に応じる。……逆に言えば、彼が死ねば、彼女は世界を道連れに自爆するでしょう」
官房長官と黒田が顔を見合わせた。しばらくの沈黙の後、長官が重々しく頷いた。
「よかろう。……ただし、成果を出せよ、佐藤君。彼女が『兵器』として、あるいは『資源』として有用だと証明するんだ。さもなくば……」
「わかっています」
佐藤は立ち上がり、一礼した。部屋を出ると、彼は壁に手をつき、大きく息を吐いた。
(……すまない、梨花ちゃん)
結局、彼女を檻から檻へと移すことしかできなかった。だが、今は生き延びることが先決だ。時間さえ稼げれば、彼女がその異能を解明し、逆転する可能性が立つかもしれない。
「……大人の喧嘩は、ここからだ」
佐藤は白衣の襟を正し、冷徹な科学者の仮面を被り直した。守るべき二人の若者のために。




