第39話:『瓦礫の下の君へ』
第39話:『瓦礫の下の君へ』
ザザザザザッ……ピーーーーーッ!!
落下している。底のない、極彩色のノイズの海へ。
上下の感覚はない。手足の感覚もない。視界には、剥がれ落ちた空のテクスチャと、溶解した大地のポリゴンが、走馬灯のように乱舞している。美しいノースガルドの雪原も、温かい焚き火も、ヴォルフたちの笑顔も。すべてが「0」と「1」の無機質なデータに還元され、闇に飲み込まれていく。
(死ぬ……消える……!)
恐怖で叫ぼうとしたけれど、声が出ない。私の喉というデータそのものが、消失しかけている。
その時。頭上にある「空の亀裂」から、あの雷鳴が轟いた。
『━━戻ってこい!!』 『━━君の名前はリリアじゃない! 瀬戸梨花だ!!』
ドクンッ!!
その言葉が脳幹に突き刺さった瞬間、私の世界が反転した。ノイズの海が割れ、その奥底から、封印されていた記憶が泥水のように溢れ出したのだ。
━━通学路の桜並木。 ━━父さんの書斎の匂い。 ━━テスト勉強をした図書館。 ━━そして、あの日。渋谷のスクランブル交差点。
信号が青に変わる。人混みの中を歩き出す。耳をつんざく急ブレーキの音。人々の悲鳴。迫りくるトラックの巨大な影。
「あ……ぁ……」
思い出した。私は、冒険者じゃない。魔法使いでもない。私は「瀬戸梨花」。17歳の、ただの高校生。そして、私は死んだはずだ。あのアスファルトの上で、鉄の塊に押し潰されて。
「いやぁぁぁぁぁぁっ!!」
現実の恐怖が、ファンタジーの自己を食い破る。 自分の体が、ひしゃげた肉塊に戻っていくような錯覚。激痛。寒気。絶望。
私の意識が粉々に砕け散ろうとした、その刹那。
「━━させるかよッ!!」
ガシッ!!
力強い手が、私の腕を掴んだ。ノイズの嵐の中で、私を引き留める唯一のアンカー。
「ユ……リオ……?」
顔を上げると、そこにはユリオがいた。でも、彼の姿はボロボロだった。愛剣『星斬り』は折れ、纏っていた黒いコートはデータの粒子となって霧散し、その下から見慣れない服━━青と白のユニフォーム━━が覗いている。
彼の体もまた、激しく明滅していた。右半分は歴戦の剣士。左半分は、現代の青年。二つの姿が高速で入れ替わりながら、それでも彼は、私を掴む手だけは絶対に離さなかった。
「……思い出したよ、リリア。いや、梨花」
彼は苦しげに、けれど優しく微笑んだ。
「俺の名前は、神崎悠斗。……あの日、お前と同じ交差点にいた」
「ゆう……と……?」
その名前を聞いた瞬間、最後の一ピースがハマった。あの日。迫りくるトラックの前に、飛び出してきた影があった。見ず知らずの私を庇って、私の上に覆いかぶさった男の子。
「あなたが……私を、助けてくれたの……?」
「……へへっ。とっさに体が動いちまったんだ。エースストライカーの反射神経ってやつかな」
ユリオ━━悠斗は自嘲気味に笑った。彼の左目から、赤いノイズの涙が流れている。
「でも、おかげでわかった。……俺が何のために、この世界で『剣』を持たされたのか」
彼は上を見た。遥か頭上。空の亀裂の向こう側で、白く眩しい「光」が瞬いている。 現実世界への出口だ。
「俺の役目は、魔王を倒すことじゃなかった。……お前を、あそこへ帰すことだ」
「え……?」
嫌な予感がした。彼の手が、私を引き寄せるのではなく、突き放すような構えになったからだ。
「待って! 一緒に帰ろう! あなただって、生きてるんでしょ!?」
「……俺は無理だ」
悠斗は首を振った。彼の下半身は、すでにノイズに侵食され、消失しかけていた。 瓦礫の下敷きになったあの日と同じ。彼は私を庇った代償に、深手を負いすぎているのだ。
「俺のデータは破損が激しい。……このままログアウトすれば、俺の脳は焼き切れる。お前を巻き添えにしてな」
「そんな……嫌だ! 置いてなんていかない!」
私が叫んで彼にしがみつこうとすると、彼は私の肩を強く掴み、真っ直ぐに私の目を見た。その瞳は、碧色から、優しい茶色へと変わっていた。
「梨花。……生きろ」
「っ!?」
「お前だけでも、目を覚ませ。……向こうで、俺を見つけてくれ」
彼はニカっと笑った。夏の日のような、眩しい笑顔で。
「頼んだぞ、リリア!!」
ドォンッ!!
悠斗が私の体を、全力で上空へと放り投げた。剣を振るう腕力と、ボールを蹴る脚力。その全てを乗せた、渾身のパス。
「ユリオォォォォォォッ!!」
私の体は砲弾のように加速し、ノイズの海を突き破って上昇していく。遠ざかる彼の姿。彼は崩れゆくデジタルの瓦礫の中に一人留まり、私に向かって親指を立てていた。
『━━システム・エラー。強制排出、開始』
視界が真っ白に染まる。ファンタジーが終わる。温かい手も、優しい笑顔も、すべてが光の彼方へ消えていく。
そして。私は「現実」という名の、冷たい硝子の箱の中で目を覚ます。




