第38話:『レッド・アラート』
第38話:『レッド・アラート』
『緊急警報、エマージェンシー。メインサーバー、温度上昇。冷却システム、限界を超えました』 『フェーズ4、および5のセクターが応答しません。論理防壁、突破されます!』
東京都新宿区、某所。国立高度医療センターの地下最深部に位置する『特別隔離病棟』、通称「プロジェクト・アルメルシア」の管制室は、阿鼻叫喚の地獄と化していた。
普段は静謐な青白い光に包まれているはずの部屋が、今は回転灯の赤い光によって毒々しく明滅している。数十台のモニターが並ぶ巨大なコンソール前では、白衣を着たオペレーターたちが悲鳴のような報告を上げていた。
「被検体Aの脳波、異常数値を検出! ガンマ波が計測不能領域、スケールアウトまで振り切れています!」 「VR空間内の物理演算が崩壊しています! 重力定数、熱力学法則、すべてがデタラメです! 彼女の脳が、システムの設定を書き換えています!」
部屋の中央、一段高い指揮官席に立つ男、プロジェクト統括責任者、佐藤健一は、冷や汗で曇る眼鏡を乱暴に拭いながら、コンソールを叩いた。
「馬鹿な……。たかだか一人の少女の脳が、スーパーコンピュータ、マザーの演算処理を凌駕したというのか?」
佐藤の目の前にあるメインスクリーンには、VR空間内部の映像、空に巨大な亀裂が走り、世界がドットノイズとなって崩れ落ちていく様が映し出されていた。そして、その崩壊の中心にいる二つの光点。被検体A「瀬戸梨花、せと りか」と、被検体B「神崎悠斗、かんざき ゆうと」。
「博士! 第3レイヤーが消滅しました! このままでは、被検体の精神が情報の奔流に押し流され、自我が破砕されます!」
「くそっ、強制ログアウトはどうなった!」
「ダメです! 脳波の同期率が高すぎて、今引き抜いたら脳が焼き切れます!」
佐藤は歯噛みした。これは医療事故だ。いや、それ以上の何かだ。本来、このプロジェクトは、脳死寸前の患者に物語の冒険体験をさせることで、損傷したニューロンを活性化させ、再生させる治療法のはずだった。その物語の全般にAIを活用している。
だが、瀬戸梨花という少女は、我々の想定を遥かに超えていた。魔法にしろ物理にしろ、このプログラムの設定上限値を超えることは出来ないはずだ。何故超えられる。
彼女の魔法は、あらかじめプログラムされた魔法やスキルではない、独自の魔法をVR空間内で使ったパターンだ。ここまでは想定の範囲内だ。魔法はイメージするだけで使用できるという設定になっているからだ。だが彼女の起こす魔法は何故か強力過ぎる。
彼女自身の脳が、量子力学の方程式を無意識下で瞬時に構築し、仮想世界の物理法則をねじ曲げているのか。最悪まだこれだけならいい。設定上限値を超えることが出来るバグがあったのだろう。だが何故システム設定に干渉して、設定を変えることが出来る?
AIに自由度があり過ぎて、治験者側から設定を変更出来るパターンがあったのか?
今までの治験者には起こらなかった現象だ。確かに脳死寸前の状態から、ここまで活性化させられた初の患者だ。だがこれは、もはや治験ではない。医療事故かそれ以上の何かの発見なのかもしれない。
ウィィィィン……プシュゥッ。
その時、管制室の重厚な自動ドアが開き、黒いスーツを着た男たちが雪崩れ込んできた。先頭を歩くのは、銀縁眼鏡をかけた冷徹な風貌の男。防衛省特務官、黒田だ。
「……騒がしいですね、佐藤博士」
黒田は、赤く明滅する警報ランプなど気にも留めず、悠然と佐藤の元へ歩み寄った。
「黒田さん! 今は立ち入らないでください! 緊急事態なんです!」
「知っていますよ。だから来たんです」
黒田は佐藤を無視して、モニターに映る崩壊寸前のVR映像を見上げた。その目には、恐怖ではなく、歪んだ欲望の色が宿っていた。
「素晴らしい……。マザーブレインを単独で破壊し、さらに世界そのものをクラッシュさせるとは。……これほどの出力を出せる。想定以上だ」
「何を言って……」
「博士。彼女はもう、ただの患者ではありません」
黒田が佐藤の耳元で囁く。
「彼女は兵器だ。国家防衛のための、極めて重要な資産ですよ」
「ふざけるな!」
佐藤は黒田の胸ぐらを掴みかからんばかりの勢いで叫んだ。
「彼女はまだ17歳の少女だ! 事故で全てを奪われ、必死に生きようとしている人間だ! モルモットじゃない!」
防衛省特務官の黒田は、冷たく言い放った。
「感情論は結構。……現場は私が引き取ります。フェーズ2へ移行。被検体の脳を生体演算ユニットとして確保してください」
「確保だと? この状態でシステムを切り離せば、彼女は植物状態になるぞ!」
「構いません。脳さえ生きていれば、データは抽出できる」
黒田が部下たちに目配せをする。黒服たちがコンソールに向かい、オペレーターたちを押しのけようとする。
「やめろ! やめさせてくれ!」
佐藤の抵抗も虚しく、権力という名の暴力が現場を制圧していく。このままでは、梨花も悠斗も、廃人として処理されてしまう。彼らがVRの中で必死に掴み取った勝利も、絆も、すべて無に帰す。
(……させるか)
佐藤の中で、科学者としての良心と、大人としての意地が火を吹いた。彼は黒田たちがメインコンソールに気を取られている隙に、自分のデスクにある緊急用マイクへと手を伸ばした。
これは「ゴッドボイス」。本来は、VR内の患者がパニックを起こした際、担当医師が直接声を届けて鎮静化させるための、管理者用割り込み回線だ。
……システム、オーバーライド、強制介入
パソコンの操作を選択しながら、佐藤は震える指で認証キーを打ち込み、マイクのスイッチを入れた。
「おい! 何をしている!」
黒田が気づいて振り返る。遅い。
佐藤はマイクを両手で握りしめ、喉が張り裂けんばかりに叫んだ。
「おい!! 聞こえるか、被検体A!! いや、瀬戸梨花!!」
その声は電気信号となり、崩壊するVR世界の空、あの黒い亀裂を通じて、彼女の鼓膜へと叩きつけられる。
「しっかりしろ! 飲み込まれるな!」 「君がいるのは夢の中だ! 君の名前はリリアじゃない、瀬戸梨花だ!」 「死にたくないなら、戻ってこい!!」
バチチチチッ!!
その瞬間、管制室の照明が一斉に弾け飛んだ。すべてのモニターがホワイトアウトし、強烈な衝撃波が部屋全体を揺るがす。
「な、なんだ!?」
黒田が体勢を崩す。佐藤は火花を散らすコンソールにしがみつきながら、ガラス越しに見える隣の部屋、特別集中治療室の方を見た。
分厚い防弾ガラスの向こう。カプセルの中に横たわる少女の体が、目映いばかりの光に包まれていた。
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