第17話:『北街道と、変わりゆく景色』
第17話:『北街道と、変わりゆく景色』
王都グランドリアを出発して、五日が過ぎた。私たちが歩く『北街道』の景色は、日を追うごとにその色を変えていた。
最初のうちは見慣れた緑の草原や、麦畑が広がっていたけれど、三日目を過ぎたあたりから、周囲の木々は色の濃い針葉樹へと変わり始めた。地面も柔らかい土から、ゴツゴツとした岩肌と、乾いた茶色の枯野へと移り変わっていく。
「……寒っ」
私は思わず身震いをして、エララ特製の『耐熱強化コート』の前を合わせた。吐く息が白い。まだ昼間だというのに、太陽の光は弱々しく、肌を刺す風には冬の匂いがたっぷりと含まれている。
「大丈夫か、リリア。ペースを落とすか?」
先頭を歩いていたユリオが足を止め、心配そうに振り返る。彼は平気そうだ。新しい漆黒のコートを着こなし、重い荷物と大剣を背負っているのに、息一つ切らしていない。 ……そのタフさが、今は少しだけ切なく見える。
「ううん、平気! このコート、魔力を流すとポカポカするから」
私は強がって見せたけれど、心の中には小さな不安が芽生えていた。まだ国境にさえ着いていないのに、この寒さだ。北の国ノースガルド━━『大氷壁』の向こう側は、一体どれほどの極寒地獄なんだろう。
「無理はするなよ。……俺たちは、急いでいるが焦ってはいない」
「うん。ありがとう、ユリオ」
エララは少し後方で、なにやら怪しげな機械装置(自作の気象観測機らしい)を見ながらブツブツ言っている。三人での旅は賑やかだけど、ふとした瞬間に訪れる静寂が、世界の広さと自分たちの小ささを教えてくる。
その日の夜。私たちは街道から少し外れた、岩陰のくぼ地で野営をすることにした。 冷たい風を避けるため、岩壁を背にする。
「今日のスープは『根菜と干し肉のポトフ』よ。エララ特製スパイス入り!」
エララが鍋をかき混ぜながら宣言する。焚き火の温かい光と、スープの湯気が、凍えた心と体を解きほぐしてくれる至福の時間だ。
「いただきます!」
私は熱々のスープを木のスプーンで掬った。ピリッとした辛味が体を芯から温めてくれる。美味しい。
けれど、ユリオの箸は進んでいなかった。彼はカップを両手で持ったまま、焚き火の炎をじっと見つめている。その碧い瞳は、どこか遠く━━ここではない、冷たい記憶の彼方を見ているようだった。
「……ユリオ?」
「……あ、ああ。悪い」
彼はハッとしたように顔を上げ、少しぎこちない手つきで自分の左腕をさすった。
「どうしたの? 腕、痛む?」
「いや……痛みはない。なさすぎるんだ」
ユリオは袖をまくり、自分の腕を露出させた。鍛え上げられた筋肉。傷一つない皮膚。 地下書庫での戦いで、あれほど酷使したはずなのに、もう跡形もなく治癒している。
「ガルドスは言った。この体は『設計』されたものだと」
彼は自分の手を、異物を見るような目で見つめた。
「俺の皮膚の下には、血管じゃなくてワイヤーが通っているのかもしれない。心臓の代わりに、あの機械ワニみたいなエンジンが動いているのかもしれない」
ユリオの手が震えた。
「……リリア。もし俺が、完全に機械になってしまったら……俺は俺でいられるんだろうか。いつか、お前を傷つけるだけの『兵器』に戻ってしまうんじゃないか……それが、怖い」
焚き火がパチリと爆ぜた。エララも、黙ってスープを啜っている。科学的な見地から言えば、彼の体組織はおそらく半分以上がナノマシンか生体金属で置換されているだろう。 でも、そんなことはどうでもいい。
私は立ち上がり、ユリオの隣に座った。そして、彼の震える左手を、私の両手でぎゅっと包み込んだ。
「……っ」
ユリオが驚いて手を引っ込めようとするが、私は離さなかった。
「温かいよ」
「……え?」
「ユリオの手、すごく温かい。機械なんかじゃないよ」
私は彼の手を自分の頬に当てた。ゴツゴツして、少し大きくて、焚き火の熱とは違う、確かな体温。
「血が通ってて、脈が打ってる。……それにね、ユリオ」
私は彼の目を見て、はっきりと言った。
「兵器は、自分が兵器になることを怖がったりしない。……誰かを傷つけることを恐れるのは、あなたが優しい『心』を持っている証拠だよ」
「心……」
「うん。地下書庫で、あの子たちのために怒って、泣いてくれた。……私にとってのユリオは、最強の剣士で、最高のパートナーだよ。体の中身が何でできていても、それは変わらない」
ユリオの瞳が揺れた。張り詰めていた糸が緩むように、彼の肩から力が抜けていく。
「……お前には敵わないな」
彼は不器用に笑い、反対の手で私の頭をポンポンと撫でた。その手つきは優しくて、少しだけくすぐったかった。
「ああ……そうだな。俺が何者であれ、俺の剣はお前を守るためにある。それだけは忘れないようにするよ」
「うん! ……あ、でも暴走したらまた『涙雨』で冷やしてあげるね」
「手加減してくれよ。あれ、結構冷たいんだから」
私たちが笑い合うと、エララも「やれやれ」といった顔で眼鏡を拭いた。
「青春ねぇ。……まあ、メンテナンスが必要ならいつでも言ってちょうだい。私の腕なら、君の体を最強に改造してあげられるわよ?」
「遠慮しておく。……お前の改造は、余計な機能がつきそうだ」
焚き火を囲む空気が、温かいものに変わった。空を見上げると、木々の隙間から見える星空は、王都で見た時よりもずっと澄んでいて、鋭い輝きを放っていた。
寒さは厳しくなる一方だ。でも、隣にあるこの温もりがあれば、きっとどこまでだって行ける。
そう信じて、私は毛布にくるまり、深い眠りについた。翌日、空からの「監視者」が牙を剥くことになるとも知らずに。




