第102話:『虚ろな瞳の兵士たち』
第102話:『虚ろな瞳の兵士たち』
ヒュォォォォォォッ!!
夜の海風が、容赦なく私たちの体を打ち据える。
パラシュートを持たずに高度三百メートルから飛び降りるなんて、正気の沙汰ではない。眼下に広がる黒い海と、無骨な鉄骨の塊である採掘プラントが、恐ろしい速度で迫ってくる。
私は悠斗の首にしがみつきながら、右手に握ったステッキのクリスタルに意識を集中させた。
イメージするのは、落下速度の相殺。空気の密度を足元に集め、見えないクッションを作り出す。佐藤博士が作ってくれた増幅デバイスのおかげで、以前のような脳が沸騰する感覚はない。冷たく澄んだ水が頭の中を流れるように、演算式がスッと組み上がっていく。
「……『減速』!」
ドムッ、と空気を踏み抜いたような手応えがあった。
私たちの身体は、プラントの広大なヘリポートの数十メートル手前でふわりと軽くなり、羽毛のようにゆっくりと甲板に降り立った。
ほぼ同時に、黒いパラシュートを操る真田大尉たち十二名が、音もなく周囲に着地し、素早く四方へ銃口を向けて警戒態勢をとる。
「……見事なもんだな、魔法使い殿」
真田大尉がインカム越しに低く唸った。
「戦術班、周囲クリア。これより内部エリアへと侵入し、レーダー施設の奪還および敵兵力の制圧に移行する。……神崎、瀬戸、俺たちの後ろから離れるな」
「了解」
悠斗は背中の大剣の柄に手をかけ、私を庇うように立ち位置を調整した。
巨大な海上プラントは、不気味なほど静まり返っていた。
本来なら稼働しているはずの重機やクレーンの音はなく、ただ打ち付ける波の音と、雨粒が鉄板を叩く音だけが響いている。
真田大尉のハンドサインに従い、精鋭部隊が二列の隊形を組んで、施設内部へと続く重厚な扉へと向かった。
バンッ。
先頭の隊員が扉を蹴り開け、暗い通路へとライトを向ける。
その瞬間だった。
「上だッ!!」
悠斗が鋭く叫んだ。
通路の「天井」から、黒い影が二つ、重力に逆らうような異常な動きで降ってきたのだ。
それは、迷彩服を着た小柄な人間だった。壁を蹴り、天井に張り付き、まるで蜘蛛のような軌道で隊員たちの頭上に襲いかかる。
タタタタタタッ!!
真田大尉たちのサプレッサー(消音器)付きアサルトライフルが火を吹いた。
訓練されたプロの正確な射撃。弾丸は空中の敵の肩や脚に確かに命中した。血の飛沫が散る。
普通の人間なら、ショックで身悶えして墜落するはずだ。しかし━━。
「……なっ」
隊員の一人が息を呑んだ。
被弾した敵は、痛みに声を上げることもなく、着地の勢いを利用してそのまま隊員の懐へと滑り込んできたのだ。その手には、黒く光るコンバットナイフ。
「下がれ!」
真田大尉が体当たりで部下を突き飛ばし、ナイフの軌道を間一髪で避ける。
「こいつら、痛覚がないのか!?」
「それに、なんだこの動きは……人間業じゃねぇ!」
暗がりから、さらに五、六人の影が這い出してきた。
全員が、十代半ばと思われる少年少女だ。ダボついた迷彩服。こめかみには青く明滅するチップ。そして、焦点の合っていない虚ろな瞳。
『ドール』部隊。
彼らは、遠く離れた安全な基地にいる操作手によって、文字通り「ゲームのキャラクター」として動かされている。
タタタッ!
再び銃弾が放たれるが、ドールたちは異常な反射神経で身をよじり、あるいは被弾をいとわずに距離を詰めてくる。隊員たちが防戦に回らざるを得なくなった時、悠斗が動いた。
「道を開けろッ!」
悠斗は隊員たちの間をすり抜け、最前線へと躍り出た。
背中から引き抜かれた、四十キロの鈍色の鉄塊。
『身体強化』によって全身の筋肉をパンプアップさせた悠斗が、床を砕く勢いで踏み込み、大剣を横薙ぎに一閃する。
ゴォォォォォォンッ!!
剣が空気を圧縮し、目に見えるほどの衝撃波が発生した。
刃そのものは当てていない。刃の腹で、迫り来るドールたちを「空気の壁」ごとまとめて殴り飛ばしたのだ。
三人のドールが、ボールのように弾き飛ばされて壁に激突する。
「殺さずに無力化する……! 梨花!」
「わかってる!」
私は悠斗の背中越しに、ステッキを前に突き出した。
彼らを殺してはいけない。彼らは、無理やり操作されているだけの被害者なのだから。
イメージするのは「熱の略奪」。
空中の水分を凝結させ、対象の足元に急速冷凍の枷を作り出す。
「『氷結』ッ!」
パキィィィィィン!!
杖の先端のクリスタルが青白く輝き、通路の床一面が瞬時に凍りついた。
壁を這っていたドールたちも、床に着地したドールたちも、膝から下が分厚い氷塊に覆われ、その場に縫い留められる。
「ギ……ガガ……」
拘束された彼らは、それでも表情一つ変えず、無理やり氷を砕こうと自分の脚をねじり始めた。肉や骨がメキメキと嫌な音を立てているのに、止まる気配がない。
「狂ってやがる……」
真田大尉が、凍りついた兵士たちを見下ろして冷や汗を拭った。
「これが、お前たちが相手にしていた『バグ』ってやつか」
「いえ……」
私はステッキを下ろし、唇を噛み締めた。
「バグのほうが、まだマシです」
バグはシステムのエラーだ。
けれど、目の前にいるこの子供たちは違う。人間の悪意が、意図的に人間の心を奪い、道具として作り変えた結果だ。
こめかみのチップが、不規則に赤く点滅し始めた。
「まずい! 昨夜と同じ、自爆コードだ!」
悠斗が叫ぶ。
「させない!」
私は即座にイメージを作り上げた。
チップの基盤、その電気信号。超微弱な電磁パルスを発生させ、回路だけをショートさせるイメージ。現実の事象をイメージだけで改変する。私の中で能力のステージが1段上がったような気がした。
ステッキの先端から放たれた不可視の波が、ドールたちの頭部を通り抜けた。
プツン。
赤い点滅が消え、同時に彼らは糸が切れた操り人形のように、パタリと気を失ってうなだれた。
「……はぁ、はぁ……」
私は安堵の息を吐いた。全員、生きて呼吸をしている。
「すまない、助けられたな」
真田大尉が私と悠斗に近づき、短く礼を言った。その目には、ただの高校生に対するものではない、確かな戦友への信頼が宿っていた。
「ここから先は、この手の『人形』がウヨウヨいるはずだ。俺たちも戦い方を切り替える。……急所を狙うのではなく、関節と武器を破壊する」
「お願いします」
悠斗が力強く頷く。
「……行こう、悠斗」
私は気を失った少年少女たちを一瞥し、前を向いた。
怒りが、静かに、けれど熱く燃え上がっている。そして、物理の知識を基礎にしたイメージを基に、現実世界での事実改変が上達し、更に能力が変化していっているのを感じていた。
この無機質な狂騒を操っている奴らを、絶対に許さない。
私たちは深い闇の奥、レーダー施設の中枢を目指して、再び歩みを進めた。




