深夜のアルバイト 漆
さてさて皆様、お立ち会い!
夜の静寂を切り裂いて大暴れしたハンバーガーショップの廃墟に、のどかな朝の光が差し込んでまいりました。
ピーン、ポーン、パーン、ポーン……。
遠くの町のチャイムが、午前六時の訪れを知らせるように響き渡ります。
ガガガガ、ギギギギ……と頑丈な電子防火シャッターがゆっくりと天井へと巻き上がっていき、その入り口から、のしのしと重厚な足音を響かせて森繁龍が歩み出てまいりました。
されど皆様、その姿を一目見たならば、誰もが驚愕するに違いありません。
お気に入りの黒いジャケットは袖や背中がビリビリに引き裂かれ、機械の油汚れと大爆発の焦げ煤まみれになって、まるでどこかの戦場から逃げ延びてきたボロ雑巾のようでございます。
「おやおや……これはまた、なんともお行儀の悪い退場シーンだねえ」
廃墟の前に停められた高級セダンの横で待っていた仲介屋、虎徹博光が、龍の凄惨な姿を見るなり呆れ顔を向けました。
「おいおい龍。お前のその服……身体は完全に無傷なのに、どうして衣服だけがそんなにビリビリの雑巾のようになっているんだい? 一体どんなお行儀の悪い物理現象に遭遇したんだ?」
「フン。仕立て屋にクレームの電話を入れたくなるような、ちと手荒なお直しを強制的に体験させられただけさ、大将」
龍は、肩をすくめてボロボロの襟元を正しました。
服はズタズタに破れているにもかかわらず、森繁龍の頼もしき強靭な肉体そのものには、かすり傷一つ、血の一滴すら流れていないのでございます。
まるでダイヤモンドの如き絶対的な無傷。
「やれやれ、肉体は完璧に無傷で、衣服だけが木っ端微塵とはね」
「ハッ……それより大将、迎えに来るなら温かいコーヒーの一杯でも持ってきてほしかったね。変な夜警ごっこなんかやらせるから、眠くて死にそうなんだよ」
龍は大きく、だらしなくあくびを噛み殺しました。
「何があったかは、車の中でどこか温かい朝メシでも食いながら説明するさ。早くそのセダンのエアコンで、冷えた身体を温めさせてくれ」
「おいおい、俺の愛車の上質な本革シートに、そのお行儀の悪い油汚れを擦りつける気かい? 清掃代をハントの報酬から差し引きたいところだが……まあいい、乗りなさい」
虎徹はスマートにため息をつくと、セダンのドアロックを解除しました。
車は都会の冷たい朝の空気の中を走り出します。
「で、龍。お前のその猛烈にお行儀の悪い胃袋は、この朝六時に一体何を要求しているんだい?」
「決まってるだろ、大将。とびきりチーズたっぷりのペパロニピザを、コーラで流し込む以外にないぜ」
「……はあ? 君ねえ。こんな朝早くから営業しているピザ屋が、一体どこにあるんだい。……その前に、お前のそのボロ服をどうにかするのが先決だね。俺の車の上質なシートに、その怪しい汚れをつけられたらたまったもんじゃない」
「フッ。お行儀の良い紳士ってやつは、いつだって着るものにうるさくて敵わないな」
龍はくすくすと不敵に笑いながら、差し込む朝日の光を浴びて、そのまま心地よい眠りへと落ちていくのでございました。
トントントン、と時が過ぎまして。
数日後の、のどかな秋の昼下がり。 舞台は、すっかり綺麗に片付いた森繁便利事務所へと戻ります。
「お待たせしました。温かい紅茶が入りましたよ」
銀髪を綺麗に揺らした天羽莉紗が、お盆に載せたカップを応接テーブルに並べてまいりました。
森繁龍と天羽莉紗の二人だけ。
のんびりとした日常の空気をお行儀よく楽しんでおります。
「おお、サンキューお嬢ちゃん。やっぱり、仕事終わりのお茶は、五臓六腑にしみわたる極上のカタルシスだぜ」
龍は、新調したばかりの清潔な黒いジャケットの肩を回しながら、嬉しそうに紅茶のカップを手に取りました。
「それで……結局、あそこのハンバーガーショップの深夜警備は、どうなったんですか?」
莉紗が自分の紅茶を手にしながら、不思議そうに首を傾げました。
「どうやら、あの廃墟のファミリーレストランに夜な夜な侵入して警備員をスクラップにしてた犯人は、人間じゃなくて、店の中に並んでたあの等身大の機械人形どもだったらしいのさ。夜中になると自律して動き出し、侵入者をスクラップにする……お行儀の悪い怪異として動いてやがったんだな」
「ええっ!? 機械人形が、自分から動いて襲ってきたんですか!?」
莉紗は驚愕のあまり、紅茶のカップを口元でピタリと止め、大きな瞳を丸くしました。
「ああ、礼儀のなってない鉄クズどもだったぜ、お嬢ちゃん」
龍が、カップを置きながら不敵に笑います。
「ウサギの兄弟は窓から人のツラを覗き込んできたし、キツネの野郎は時速百キロで廊下を爆走してハグを求めてきやがった。まあ、俺の躾の前には、どいつもこいつもうまそうなクッキーみたいに脆いスクラップになっちまったがね」
「ちょっと待ってください! 時速百キロの鉄クズを相手に、どうやって無傷で帰ってきたんですか! どんな恐ろしいことをしたら、服だけがズタズタになるんですか!」
莉紗がキレ味抜群のツッコミを炸裂させると、龍はただ現場の要請に一〇〇パーセントの力で応えただけさと、キザに肩をすくめるばかりでございました。
「それにしても、不思議なこともあるんですよねえ……」
莉紗が、紅茶をのほほんとすすりながら、ふと思い出したように言いました。
「ん? 何がだい」
「あそこのハンバーガーショップについて、気になって家で少しだけネットで調べてみたんですよ。そしたら、あそこの創業者、私の出身地と一緒だったんですよ〜」
「ほう?」
龍が、カップを片手に、その鋭い双眸を莉紗へと向けました。
「お行儀の良いお嬢ちゃん。お前の出身は、てっきり東京の温室の薔薇のような高級住宅街だと思っていたがね」
「私の出身、長野県の■■村なんですよ。東京に来たのは五歳の頃なんですけどね」
莉紗はツンと鼻を鳴らすと、何でもないことのようにのほほんと答えたのでございます。
「長野の……■■村、ねえ」
龍は、その聞き覚えのない寂れた村の名前を口の中で転がし、特に深く追究することもなく、まあお嬢ちゃんにお似合いののどかな田舎町ってわけかいと呟いて、紅茶を干しました。
パタパタパタ……。
その時、事務所の玄関の郵便ポストに、投函される音が響きました。
「あ、郵便ですね。ちょっと見てきます」
莉紗がソファーから立ち上がり、パタパタと玄関へと向かいます。
「森繁さん、書留が届いてますよ! 差出人は……あら、虎徹さんの事務所からですね。わざわざ書留なんて郵送してくるなんて、一体何でしょう?」
莉紗が不思議そうに首を傾げながら、ズッシリと重みのある書留の封筒を持って戻ってまいりました。
龍にその封筒を手渡します。
「大将から、わざわざ書留で手紙とはねえ」
龍は、その封筒を莉紗から受け取ると、ウキウキと不敵な薄笑いを浮かべました。
「ハッ! さすがは相棒、仕事が早いじゃないの。三百万円という大金だ。公認会計士らしく厳格に書留でお祝いと一緒に送ってくれたってわけかい。これで地獄の金欠生活ともおさらばだぜ!」
「まあ! 森繁さん、そんなにウキウキして。ほら、早く開けてみてください!」
莉紗もまた、楽しそうに目を輝かせて催促いたします。
「フッ、慌てるなよお嬢ちゃん。焦らしのテクニックってやつさ」
龍はキザに人差し指をチチチと横に振ると、鼻歌を交じりに、ウキウキと重厚な封筒の封をピリピリと引き破り、中の書類をスッと引き出しました。
されど、その白い紙の最上部に印刷されていた、血のように不気味な赤い文字を目にした瞬間!
ピキィィィィィン……!!!
森繁龍の全身の動きが、まるで真冬の荒波のなかで一瞬にして凍りついた氷像の如く、完璧にピタリと硬直してしまったのでございます。
「え……? 森繁さん……?」
莉紗がその紙を覗き込みました。
そこに書かれていたのは、あまりにも非情で冷酷極まりない厳格なる数字の現実でございました。
器物破損設備修繕費の請求明細書。
店舗天井ダクト一式の強引な引きちぎりによる完全破壊修繕費、金百万円。
厨房内における手動防錆シャッター及びバリケードの物理的圧壊修繕費、金五十万円。
巨大業務用フライヤー及び周辺厨房設備の大爆発を伴う全損器物破損修繕費、金百五十万円。
修繕費合計総額、金三百万円。
上記の器物破損設備修繕費総額三百万円は、今回の深夜警備ハント報酬金三百万円と完全に相殺いたします。よって、今回の便利事務所への最終お振込み残高は、金0円となります。
お支払いは、お済みですのでご安心くださいとの冷酷な通達。
そして追伸として、こう添えられておりました。
「龍、お前がダクトを引きちぎり、シャッターをねじ曲げ、厨房を木っ端微塵に大爆発させた修繕費は、お前の報酬から相殺処理しておいたよ。不足分の端数は僕のサービスで切り捨てておいたから、感謝してほしいね。もしセダンを真っ二つに割ったりしたら、もう一枚、請求書が増えるよ。――虎徹博光」
「おいおいおいおい大将……!」
龍は書類を震える手で持ったまま、ソファーからズリ落ちんばかりに絶望し、その鋭い双眸を見開いて天を仰ぎました。
「こいつは、ちとお行儀が良すぎるブラックジョークだぜ……! 俺が命がけで一晩中、あの鉄クズどもと戯れて、自分の服までボロボロにしてハントした報酬が、たった一枚の赤い紙きれと相殺されてゼロだと……!?」
「いや、おかしいでしょ! 三百万稼いで三百万の修理費って、また器物破損で大赤字の金欠に逆戻りじゃないですか!」
莉紗が頭を抱え、応接間の天井を仰ぎました。
「あの野郎……! あとで、あの高級セダンを真っ二つに割ってやるからな、覚悟しておきやがれ……!」
「もう、事務所の台所事情は火の車ですよ!」
怒る銀髪の少女と悔しさに顔を歪めてソファーにのけ反る大男。
事務所に流れるのは、いつもの、のどかで賑やかなお金をめぐる悲喜交々。
次なる舞台は、一体どんな日本の怪異の奈落が待ち受けているのやら。
それは次回のお楽しみ!




