9 早引きするらしい
郁也が時間は十一時を過ぎた頃で、他の生徒はまだ授業中だった。
けれど担任の波木が「橘くんは退院したばかりだとし、今日はもう早引きした方がいいだろう」と言っているそうで。
さらに郁也に目の前で気を失われた清水が責任を感じたのか、教室から郁也の荷物を持ってきてくれたらしい。
――親切なんだろうけどな……。
清水のその親切が今、郁也を追い詰めているのである。
最初にゾワッとしたのには徐々に慣れてきたのか、鳥肌は治まったのだけれど、脳内では≪コワイ!≫というタヌキ警報が発動中だ。
そんなわけで、すぐにも帰って清水とサヨナラしたいのだけれど。
今郁也に降りかかっている問題は、祖母が昼食にと作ってくれた弁当をどうするのか、ということだった。
家に持ち帰って食べてもいいのだろうけど、いつも空の弁当箱を嬉しそうに受け取る祖母なので、郁也はそれがなんとなく申し訳なく思ってしまう。
――帰りの途中でどっかに寄って、食べていくか?
山の適当な見晴らしのいい場所で原付バイクを止めて、ピクニック気分もいいのではないだろうか?
……いや、一人ピクニックはちょっと寂しいものがあるかもしれない。
郁也が弁当の包みを手に、どうするかと迷っていると。
「あ、それお昼のお弁当?
お腹すくでしょ、ここで食べていきなよ」
なんと、保険医がそう言ってきてくれた。
「いいんですか?」
「もちろんさ。こっちの机でいいよ」
保険医が机を動かして弁当を食べる席を作ってくれたので、郁也は有難くそちらの席に座らせてもらう。
そしてこの間に清水は職員室に戻るかと思いきや、なんとここでコーヒーをごちそうになり始めてしまっていた。
けれどそんな清水に「さっさと出ていけ」などと小心者な郁也に言えるはずがなく。
少しでも清水から距離をとろうと思い、机のがたつきを治す体でもう少しそちらから離れさせる。
それで少し安心したのか、脳内タヌキ警報が少し小さくなった。
そして改めて机に弁当を置き、ふたを開けると。
「……」
郁也は思わず無言になる。
「へぇ、かわいいお弁当だね!」
代わりに、弁当の中身を目撃した保険医が感想を述べてくれた。
そう、弁当の蓋の下にはかわいらしい、カラフルな色合いのキャラ弁があったのだ。
これは小学生に人気があるらしいアニメのずんぐりむっくりな犬のキャラクターで、それが器用に食材で描かれている。
――ばあちゃん……。
朝から妙にウキウキと弁当箱を突いていると思ったら、こんなものを作っていたとは。
高校生男子にこのキャラ弁はどうなのかという点は、あの人は考えなかったのか?
考えなかったから、今これがあるのだとは分かっているけれども。
祖母が作った弁当というと、煮物で茶色い弁当だというイメージを持たれがちだろう。
だが郁也の祖母は新しいことへのチャレンジ精神が旺盛な人で、今回はどうやら流行のキャラ弁を作ってみたかったらしい。
祖母からの愛情なので嬉しいのだけれど、これを郁也で試さないで、祖父の畑へ持っていく弁当でやってみるのは駄目だったのだろうか?
郁也はそんな疑問が浮かぶが、せっかく作ってくれた弁当に対してそんな考えは良くないと思い直す。
「よくできているなぁ」
「お弁当を作った人は、料理上手なんですね」
保険医と清水が郁也のキャラ弁を遠目に覗き込む中で一人で弁当を食べるのは、結構な苦行な気がする。
やっぱり山のどこかで一人ピクニックが良かったかもしれない、と郁也は思いつつも、いつまでもキャラ弁を眺めていても仕方がないので、郁也はモソモソと食べ始めた。