11話
「ヒィ!」
わあ!
大きく体をのけ反らせて上半身を起こすと目の前にはリューイの顔。
「お、おかえりなさい……」
またぐっすり眠っちゃってたらしく、窓の外は闇が広がっている。
「ヒィ、それ……」
リューイが私をじっとみつめている。正確には、私の髪、を。
それって? どれ?
私は自分の手が握りしめているものを見て思い出した。
あ! 小箱!
小箱を開けて、鱗の髪留めを見ていたらちょっと髪につけて見たくなったんだ。
リューイが見てたのは私の髪を留めている艶やかな緑の鱗の髪留め。
やっばい。イルクにはこの小箱は見なかった事に、って言われてたのに。
リューイ、怒ってるかな、勝手に髪留め使ってしまって。
そっとリューイの顔を盗み見る……つもりが、じっと私を見つめているリューイと目があってしまった。
いつもと同じ表情。怒ってはいない?
手を伸ばし、頭を優しくなでてくれるリューイ。あれ? なんだか凄く優しい顔してる気がする。
何度も何度も私を撫でる様は嬉しくてしょうがないといった感じ。
「……リューイ?」
「似合ってるよ、うん。凄く似合ってる……かわいいなあ、ヒィ。でもさ、それ……嫌じゃねーの?」
私の頭をポンポンと軽く叩きながら、優しく問いかけるリューイの言葉の裏に何か違う、重要な意味が隠されているような気がした。
嫌? どうして? リューイはどうしてそんな事を聞いたのだろうか?
こんなに綺麗な髪留め、嫌な訳ないのに。
ぼんやりと考え込む私の無言を彼は違う意味でとらえた。
「……俺、無理させてる?……よな。そりゃそうだよな。……人間は蜥蜴人、苦手だもんなあ。わかってるから、ちゃんと。……ごめんな、それでも俺は……」
人間は蜥蜴人が苦手……そうなの?
そりゃあ、初めてリューイと会った時は凄く凄く怖かった。
あの艶やかな鱗も、大きな口から覘く赤く長い舌もなんだか不気味で苦手だったけど。
今は苦手じゃない。
リューイ、大好き。
だから謝らないで。
リューイが私を抱きしめる。
ああ……
私、幸せだなあ……
「俺、幸せだなあ……」
驚いてリューイを見つめる。
「ん?どした?」
一瞬、私の考えている事がわかるのかと思った。
そっか。
そうなのか。
リューイも私と同じ気持ちなのか。
リューイの胸に顔を埋め、よりかかる。
優しく優しく頭を撫でてくれるリューイ。
「私も、幸せだなあ、って……思ってるよ」
リューイが私の言葉を聞いてどんな表情をしたのか、リューイの胸に顔を埋めたままの私にはわからないし、そもそもリューイって感情が表情に出やすいわけでもないし。
でも、私の言葉でリューイの表情が変わってればいいのになあ、って思う。
照れたような顔?
喜んでる顔?
そんな風に私の言葉で彼を変える事ができたなら……ああ、どうしよう。想像するだけで凄く嬉しい。
「あ。ヒィ、そーいえば俺、明日から出張だから。一週間留守にするけどヘルパー頼んどいた。肉食じゃねーやつ」
「えっ!?」
はぁああああああ?
顔をあげてリューイを見る。
いつもどおりのリューイ。
なんで、今、冷静にそんな話するの!
「やだっ!」
「え!? やだってもなあ。まぁ俺も行きたくないんだけど仕事だしなー……」
「じゃあ私もいくー!」
「いやあ、それは無理」
「無理じゃないもー!」
その後2時間ぐらいそんな言い争いをして。
わかってるよ、わかってるけど! 私が無理いってるのはわかってるけども、嫌なんだもん!
一週間だよ? 長すぎるよ!
でも、そんな私を心配してヘルパーを雇ったらしい。
肉食系じゃない、安心できる会社のヘルパーさん。
『そんな人と一緒なんて嫌、それなら一人の方がマシ!』 って伝えたらリューイは物凄く必死に『ヒィが思ってる以上に人間が一人でいるっていうのは危険なんだ!』と力説されまして。
過保護だよねえ。
家の外に出なければいいだけじゃないの。
それでもリューイは意見を変える気はなく。
翌日、リューイの出張準備が整った頃、ヘルパーさんがやってきた。
紹介されたヘルパーさん……黒く大きな目で私をしっかりと見て「ハルヴァーです、一週間よろしくお願いします」と優し気な口調で挨拶してくれました。
……よろしく、できるのかな、私……。
ピコピコと忙しなく動いている触覚についつい視線がいってしまう。
なるべく黒く丸い顔を見ないようにしているからなのかもしれない。
それでも「よろしく」と言われたからにはちゃんと挨拶をしようと思い、私も彼? 彼女? の目をちゃんと見つめて「よろしく……」と挨拶できたのは我ながら偉いと思う。
それもこれも、なんとなく最初のハルヴァーの挨拶で好感がもてたから。
なんかそーいう事ってない? 一目会っただけで、一声交わしただけで、その人の事を無条件に好きになってしまう事って。
まさに私にとってハルヴァーってそんな感じだった。
ただ、残念なのは……ハルヴァーの容姿に対してだけその条件は当てはまらなかったのだけど。
ごめんなさい、やっぱり蟲人は苦手です。
ハルヴァーは蟻の蟲人だったのだ。
「ハルヴァーさん、すみませんが一週間よろしくお願いします。じゃあ、ヒィ、行ってくるからな。気を付けるんだぞ」
そう言って私の頭をガシガシと撫でまわす。
何か言って欲しそうに私をみているけど、言わないっ!
困ったように微笑んで「お土産買ってくるから」と言い残してリューイは家をでた。
なんで「いってらっしゃい」も「気を付けてね」も言えなかったのだろう。
リューイの姿が見えなくなった途端、意地を張らないでちゃんと言っておけばよかったと後悔する。
「リューイさんはちゃんとわかってくれてますよ」
ハルヴァーが私の方を向いて優しく微笑んだ。……ごめん、怖い。でも、有難う。
「さて……何か……紅茶でも如何ですか? 美味しい茶葉を買ってきてあるんです」
私を元気付けようと気を使ってくれるハルヴァーの気持ちが嬉しい。
一瞬『蟻人のいれた紅茶……』と微妙な気持ちになってしまった事は忘れよう。失礼すぎますしね!
ハルヴァーのいれてくれた紅茶はとっても良い香りがした。
「良い香りでしょう? 味もね、とても美味しいんですよ」
ニコニコと愛想よく話しかけてくれるハルヴァー。
わくわくしながら一口、飲んでみる。
味は……ぐうぅぅぅ、不味い。凄く。
薬膳的な苦さを甘ったるい何かで覆い隠してしまおう、そんな意図が一口飲んだだけでもわかる不味さ。
美味しい茶葉って言ってたよね? これ、蟻人の味覚ではアリなの? (洒落じゃないよ!?)
チラリとハルヴァーの方を見ると、ニコニコしながら私がお茶をすする様を眺めている。
ああ、こんなにジッと見られているのでなければ本当に凄く申し訳ないのだけど速攻で捨てに行くのに。
しょうがなくもう一口。
うぐっ……さっきより不味く感じるのは何故だろう。
息を止めてもう一口。
あ、これならどうにか……うぐぁ! 息を吸い込んだ途端に口内いっぱいに広がる紅茶。
さすがにもう無理。飲めない。これ以上飲むと吐く、たぶん。
視線を感じる、けど見ない。っていうか見れない。
ハルヴァーがニコニコと期待に満ちた眼差しを向けているのかと思うと申し訳なくて。
「お口に合いませんでしたか? ……三口……、ふむ、この量では少し効きが弱いかな?」
ゆっくりと近づいてくるハルヴァーが何かわけのわからない事を言っている。
私の隣に座り、私の顔に触れる。
「我慢してでも全部飲んでおけばよかったのにね?」
あの優し気な心地よい声。
細いハルヴァーの腕が軽々と私を担ぎあげる。
「大丈夫ですよ。まあ、とりあえず少しドライブを楽しんでください」
私はハルヴァーにかつがれたまま玄関を出た。
体が動かない。
指を動かそうとするも感覚がない。
意識はあった、はっきりと。
今の状況がものすごく悪い事だけは理解できる。
私、どうなってしまうのだろう。
体中から嫌な汗がふきだしてきた。