エピローグ
一週間後――
俺たちはツグーノから王都エイデントロワへと続く街道を旅していた。
なんと馬車移動である。
豪華な客車に揺られて楽々だ。
費用は女神教団持ち。手配したのはクロエである。
彼女は上級司祭の犯罪を曝いた功績を認められて昇進した。
一部とはいえ聖王印を宿した男の失墜を喜ぶお偉方もいたようである。
クロエ的には「一皮剥けば誰が魔族と契約しているかもわからぬ」とのことだ。昇進も口止め料のつもりなのだとか。
教団内には権謀術数渦巻いてる。ほじくり返せば汚い膿がドバッと出そうだな。
ナルシスはというと聖印を失い上級司祭の地位剥奪。名誉失墜。財産没収。ストレスで髪は抜け落ちて、大貴族の親からも見捨てられたんだとか。
転落人生ここに極まれり。空の上から奈落に紐無しバンジーである。
ひとまず、クロエがたどれた教団の内部情報はそこまでだった。
悪行の報いには足りないだろうが、ナルシスは今後の人生をずっと失意と後悔とともに過ごすんだろう。
自分が王様になるはずだったと妄想しながら。
で、クソ野郎のことはいいとして――
「なんか席……狭くないか?」
対面側の座席は空いている。そっと銀剣が横たわっていた。剣一本なら立てかけておけるのに、場所取り過ぎだろうが。
とはいえ、先日の戦いで聖域内で力を発揮したせいか、ずっと大人しい。
死んじまったのかと心配になったが、リンのオーブは時折かすかに光を称えていた。
イヴが言うには「力を回復させるために寝てる」んだとか。
俺の隣で淫魔が目を細める。
「いいじゃない密着できる方が。満員痴漢プレイし放題」
右腕にぎゅっと巻き付いて大ぶりな水蜜桃を寄せた。
相変わらずのぷにぷにさだ。心頭滅却である。
俺の左側はというと、黒髪の教団職員がぴたりと身を寄せていた。
「お客さんこういうお店初めてか? 力抜いていいぞ私にまかせろ。ハァン……カチコチではないか」
棒読み口調のクロエの手が俺の左太ももをさすり上げた。
「カチコチは言い過ぎだが、それなりに鍛えてある大腿筋だからな。って、お前まで変なことを言い出すんじゃねぇよ教団職員」
「つれないことを言うな。あとクロエちゃん可愛いと言え」
「なんの脈絡もないのに言えるか」
青い瞳がじわっと涙ぐむ。
「こんなに可愛いのにか? 獣化して肉球もぷにぷに、尻尾もっふもふじゃないと貴様は私を愛せぬと?」
イヴが玉虫色の瞳をまん丸くした。
「ダーリンってばケモナーだったの!? どうりでこのセクシーダイナマイトサキュバスなあたしになびかないわけね……しょぼーん」
落ち込んでる……のか?
「ケモナーってなんだよ」
クロエが半獣化して耳をぴょこんと立てた。
「語感からしてケモノで興奮してケモノになる人間のことだろう。私の腹毛を吸うか?」
「吸わないが。つーかなんなんだよ二人してくっついてきやがって。俺をからかってんのか?」
イヴはピンク髪を左右に振った。
「真面目よ! この距離感はリアルガチだから。えっとね、クロエと契約したの」
「契約……だと?」
半獣化を解いてクロエが頷く。
「うむ。貴様が童貞をイヴイヴに捧げたあとで、その子種をわけてもらうのだ。一族復興のためにも是非、協力してほしい」
「いいかクロエ。そういうのは好きな相手とすることであってだな……」
「では問題なかろう」
「人の話訊いてたか? なんでそうなる」
「私も……貴様を好いてしまった」
はっ?
いま、なんつった?
イヴが開いた手を掲げると、クロエがハイタッチする。
「「ナカーマ」」
「意気投合してんじゃねぇよ! ど、どこにその……あれだ。俺なんて好きになる要素があるんだよ?」
クロエの頬がぽっと赤らむ。
「言わせるのか恥ずかしい。ダーは……いや、主様は」
「ぬし……さま?」
「我が一族は武家社会でな。認めた者の臣下になるのだ。愛するというのは忠誠を誓うも同じ。故に今日から貴様は私の主様だ。ありがたく思えよ」
態度がデカいのは変わらんのか。
イヴがピースを自分の目元にあてて舌をペロッと出した。
「やったねダーリン! 家族が増えたね!」
「お前公認なのかよ」
「あたしが一番なら美少女は多ければ多いほどいいわ!」
寛大って言っていいんだろうか。さすがご先祖にハーレム作りを推奨した大淫魔である。
クロエが小さく伸びをした。犬っつーより猫みたいな仕草だ。
「んっ……ふぅ。少し緊張したがちゃんと伝えられてよかったぞ。ただ、私を受け入れるかどうか最終的な判断は貴様に委ねる」
「そんなもん……」
クロエには帰る故郷がない。
理由はそれだけで十分だ。
「受け入れるに決まってんだろ。お互い行くとこもねぇんだし。一緒なら寂しくもねぇからな」
黒髪の少女の表情がフッと緩む。
「ありがとう。そう言ってくれる貴様だから惚れたのだ。見かけによらず優しい男だからな。その優しさに私は救われた。命と心。両方の恩人だ」
クロエが俺の左手を両手で包むように握った。
緊張してたんだな。手が冷たい。
黒髪を揺らし少女は頷く。
「子種のことは急がぬから、まずはイヴイヴとの愛をじっくりと育んでほしい」
「育めってお前……つーかイヴ。テメェが言わせてんだろ?」
淫魔は車窓に顔を向けると「ぷひゅーぷひゅー」と吹けない口笛を鳴らした。
図星をついた模様。
クロエが自身の顎に人差し指を当てて首をかしげる。
「ところでこれからどうするのだ主様」
「その呼び方はやめてもらいてぇんだが」
「できぬ相談だ。諦めよ主様」
どっちが上だかわかんねぇって。まあ、好きにさせとくしかないか。
「それで主様よ。どうするのだ?」
二度目の問いかけに俺はため息で返した。
「ふぅ……どうもこうもねぇよ。これまで通りだ。イサリビ島の育ての親に迷惑がかからん程度に、どっか離れたところで慎ましやかにだな……」
「普通の暮らしに憧れるのは結構だが、貴様の額に宿った聖王印がそうさせてくれるだろうか。主様は時々想像力が欠如しがちだ」
フォーボスとの戦いの時、イヴが俺に問うた覚悟の話を思い出す。
国章にも刻まれた聖印を持ってると知られたら、大事になるのは火を見るよりもなんとやら。
「隠しておけばいいだろ」
「主様よ。聖印の力が高まると生半可な布地では隠しきれぬ。何度も私の胸の谷間を見たであろう。何かの拍子にバイーンと聖王印が出た場合、あまりの聖力に周囲の人間たちがバタバタと倒れていくような事故が起こるやもしれん。いいのか主様?」
黒衣の少女がふんっと胸を張る。と、反対側でイヴも同じように胸を張った。
張り合うという言葉の語源に触れたかもしれん。
実際、クロエの聖印の力は蒼い炎で、全力を出すと胸の布地がしょっちゅうこんがりしてたっけか。
イヴに向き直る。
「なんとか封印できんのか? この聖王印ってやつをよ」
「ダーリンが印を自覚しちゃったから、表面を削ったくらいじゃ無理だと思うわ」
「じゃあ記憶喪失にでもならんと元に戻らんのか」
「今のダーリンこそ元の状態なの」
俺は赤子の頃にじじいに拾われた……って話だ。
けど、じじいは詳しいことは教えてくれなかった。
額の傷も拾った時からあったっていうし。
俺に自我が芽生える前に、どっかの誰かが聖王印を削って捨てた……ってことだよな。
クロエが頷く。
「パワハラクソ上司の話になるが、王家の外戚の貴族にも聖王印の一部が浮かんだのだから、王家の人間でなくとも聖王印を宿すことはあるだろう」
にしても一部じゃなくて全部ってのはやっぱ、できすぎてる。
「ダーリンってば案外正当な王族とかだったりして」
「んなわけあるかよ」
銀髪に灼眼。
ご先祖と一緒だ。つーかもう、俺自身、自分が子孫なんだって認めてる。
イヴとの出会いは再会で、必然で運命だった。
「わかんないわよ? っていうか、血統とかなくても聖王国のルールじゃダーリンが王様よりも偉いんじゃない?」
「聖王印があるってだけでか?」
「もちもちろんろんよ」
「一個ずつ多いぞ」
「細かいことは気にせずにダーリンは国を奪う……ううん、違うわね。取り返せばいいのよ! 腐敗まみれのこの国を、弱き虐げられし民のために取り戻すッ!!」
「俺に王様になれっていうのか?」
「ダーリンなら優しい王様になると思うんだけどな~」
「優しいだけじゃ務まらんだろ」
清濁併せのむってんじゃないけどよ。
クロエが言う女神教団のドロドロした水面下の権力闘争とか、治めるだの掌握するだのできる気がせん。
貴族だの宮廷だの王家だのしがらみしかない。
黒衣のケモ少女が目を丸くする。
「考えすぎだぞ主様。もっとシンプルに今まで通りに、悪いやつを見つけてぶん殴ればいい。飴と餅だ」
「飴と鞭な。つーかぶん殴るってそれ、王様じゃなくてただの危ない奴だろうが」
イヴが腰を上げると俺の額をそっと指でなぞった。眼前に胸が近づく。淫魔の冒険者服はぱつぱつだ。視覚効果だけで圧死しそうである。
「いきなりなにしやがる?」
「もういっそ聖王印出っぱなしになったらダーリンも観念するかなって。ちんちん出しっぱよりは恥ずかしくないでしょ?」
慌てて振りほどいて額をかばうと、俺は対面側の席に逃げた。リンを脇に立てかけ席に着く。
「やめろってマジで」
クロエが右手だけ獣化させるとグッと親指を立てた。
「お困りの主様に朗報だ」
「藪から棒になんだ?」
「ケモケモ肉球占いによると、今日の主様のラッキーワードは『王の子を孕め』だぞ。日常会話に織り交ぜて運気アップだ」
「使いどころがまったくないな」
「むう……そうか。真剣に占った結果なのだが」
「むう……じゃねぇよ。真面目な提案だったことにこっちが驚いたぞ」
イヴが眉尻を下げた。
「やだやだやだやだーダーリン世界征服して! お願い!」
「駄々のコネ方のスケールでかすぎんだろ」
「ダーリンはやればできる子だから! この大淫魔が保証します!」
むふーと鼻息荒いピンク頭。こいつの自信の源泉は海よりも深く広そうだ。
「二人は俺にどうして欲しいんだ」
クロエの蒼い瞳がじっと俺を見据える。
「私を復讐の檻から解き放ってくれた主様には、自由に好きに生きてほしい。後悔の無い人生を送ってほしい。大いなる力を持つが故の自制心の高さには敬服するが、やりたいことの一つでも二つでも、三つでも四つでもしてよいのではないか?」
イヴもうんうん頷いた。
「そーよそーよ! ダーリンってば遠慮がちすぎるわ! 欲望にもっと素直になって……え!? 馬車の中で初めてなんて大胆すぎ!? しかも三人で!?」
「そろそろリンが起きるんじゃねぇかなぁ?」
淫魔の背中がビクンとなる。
「あ、あはははは。冗談よ冗談。イッツアサキュバスジョークってやつね。この馬車だって外から丸見えだし。窓ガラスもマジックなミラーじゃないし」
玉虫色の瞳は本気だった。
立てかけた銀剣――いや、聖剣の柄を握る。
「ちょ! ダーリン待って落ち着いてくださいね! 磔だけは勘弁してくださいお願いします!」
瞬時に土下座る大淫魔様。狭い客車の床なのに見事な収まり具合だった。
「誤解すんなって! なんもしねぇから」
「わ、わかってたし! ちゃんとダーリンのこと信じてたし!」
顔を上げるとイヴは涙目だ。
怖がって泣いてるように見えるんだが……。
「俺のやりたいことを考えてたら、リンが気になったんだよ」
「リンちゃんが? なんで?」
銀剣のオーブは弱々しい光をたたえたままだ。
こいつは――
聖力絶倫は世界を救った聖剣だ。世間じゃ魔王を倒したってことになってるけど、本当は違う。
人間を救うため自らを檻に閉じ込めた、心優しい魔族と、すべてを失ってなお偽りでも希望になろうとした人間の約束の証。
俺のやりたいこと……。
ご先祖みたいに人間を救うだのは無理だが、せめて目が届くところ、手の伸ばせる範囲内ででも、困ってる奴を助けるくらいはできるんじゃねぇか。
大きすぎる力だ。
俺の手を広げた範囲なんて、とっくにオーバーしてやがる。
自分のために使おうにも、使い切れねぇよ。
これからも考えていく。自分が与えられた力との付き合い方ってやつを。
長い旅になりそうだ。
ただ、直近でやりたいことが一つある。
「リンを元の鞘に戻してやりたいんだ。さらしに巻きっぱなしじゃ落ち着かないだろ?」
今の聖王国に歪みはあるかもしれんけど、それでも人間を守るために、リンもずっとイヴとともに封印され続けてきたんだ。
剣の幸せがどこにあるのかわからんが、鞘に収まる方がリンも落ち着く気がする。
俺の発案にクロエの目が点になった。
「主様はバカなのか?」
「ば、バカとはなんだ失礼な」
「聖剣の鞘は聖王国の国宝に指定されているのだぞ? 自由に生きて欲しいとは言ったが……いや、なるほどそういうことか」
「急に納得すんなびっくりするだろうが」
「聖王印の力で国を手中に収めるついでに、国宝も手に入れようというのだな? 主様の野望は理解したぞ」
「ちょっと違うが……まあ、結果そうなるかもな」
ピンク髪が揺れた。
「ちょっとって何?」
「結果的に聖王印の力に頼ることにはなるだろうけど、できるだけ使わずに人助けをし続けて、誰にも文句を言われない働きをしてリンの鞘を返してもらうんだ」
誰が確約してくれるわけでもない。何年かかるかもわからんけどな。
イヴがパチンと指を鳴らす。
「そんな面倒なことするよりも、華麗に盗みだしましょ?」
最初に出す案が犯罪な件について。
その時――
銀剣が俺の手を離れた。さらしを解いて床に文字を刻む。
『もう一度お前を鞘にしてやろうか!?』
「ひいい! ごめんなさいごめんなさい! ちゃんとした手続きで性交ほ……正攻法で鞘を返してもらいにいきますからぁ!」
よく言えました。一部問題があったけど、ともかく偉いぞイヴ。
「しかし主様よ。いかに冒険者として活躍し続けても、国宝を与えられることなど……」
「国の宝である前に、こいつの鞘だろ?」
「ダーリン無茶苦茶言ってるけど大丈夫? 落ち着くためにおっぱい揉む?」
淫魔がシャツのボタンをはずそうとした。
瞬間――
狭い車内で銀剣が閃く。
ピンクの髪がはらりと舞った。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
断末魔をあげて大淫魔の前髪が敏腕美容師の手によって、ばっつんと綺麗に切りそろえられたのだった。
馬車は進む。
新しい冒険に向けて。
読了ありがとうございました~!
ひとまずキリの良いところでお開きとさせていただきたく存じます~!
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