学校準備
同じ学年の方がなにかと楽だということで僕はアンジェとは母親が姉妹の従兄になることになった。名字は一緒で名前はトーマにすることになった。漢字は登真。厳密にいえば発音は違うけど、アンジェにも同じように杏樹という漢字名があるし、似たような感じだと思えばおかしくないらしい。親が体調を崩したために海外からジネさんが引き取ったことにして短い小学校生活のための転入手続きを済ませてくれた。
小学校生活は三学期しか残っていないから、中学から通うことにしてもいいとジネさんは言ったけれど、中学からは人数が少し増えると言われたので期間は短くても小学校に通ってみて、大丈夫そうならそのまま中学へ、難しそうなら親が元気になって帰国したことにしてしばらく家で様子を見ることにした。
学校への送り迎えをしてくれる和友さんのお弟子さん二人にも挨拶をした。二人乗りの軽トラックで家まで来て、ジネさんの四人乗りに乗り換えて学校の送り迎えをし、また軽トラックで帰ることになった。
年末が近づくにつれ、緊張してきた。
アンジェにも不安なことがあるようで、小さなため息を吐いたり、酷く難しそうな顔で僕の顔を見ていることが増えて、僕は心配になった。
学校に行くうえで、なにかまずいことがあるのだろうか。負担になるばかりというのはさすがに嫌なので、家事も手伝っているし、勉強も教えているから冬休みの宿題はばっちりのはずだ。でも、もしかしてそれが余計だったのか? それとも学校で僕にいろいろ教えなければならないことが嫌になったとか? ――でも、さり気なく触れてみても何か悩んでいることしかわからない。
新学期まであと三日に迫った夕食後、アンジェはこれまでにない大きなため息を吐いて僕を見た。僕も覚悟を決めて向き合った。
「あのさトーマ。髪の毛切る? 結ぶ?」
「は?」
どんな難問を聞かれるのかと思っていたせいで、何を聞かれたのかわからなかった。
「だからね、髪の毛。トーマはどうしたい?」
そう言ってじっと僕の顔を睨むように見ている。
「髪の毛? 頭の?」
頭に手をやってみれば、いつ切ったのか覚えていない髪の毛はたしかにずいぶん伸びているけれど、切った方がいい、ということだろうか。見た目に気を使うことがなかったせいで、一緒に学校に行くのが見苦しいレベルになっていたってことか。返答に困っているとアンジェはジネさんに声をかけた。
「ジネさん、どう思う? 顔は出さないほうがいいかもって思うんだけど」
思わず顔の左側を押さえた。ずいぶん薄くはなったものの、よく見れば火傷の痕はまだ少しわかる。けれど、アンジェもジネさんも全く気にしていないようだったし、そんなに見苦しくはないと思っていた。でも髪の毛にしろ火傷の痕にしろアンジェが一緒にいるのが嫌だと思うならそもそも学校なんて行かなくても――。
「ちょっとかっこよすぎだよねえ?」
「は? え? はい?」
アンジェがすっと手を伸ばして僕の前髪をあげた。むう、と眉を寄せて首を傾げる。
「今のままだと勉強するにも運動するにも結ばないと邪魔になるでしょ? でも顔を全部出しちゃったらいくら人が少ない学校でも騒がれそう。それに切るのもなんだかもったいないような気がするし……もうちょっと火傷の痕が残ってたらそれを理由に長めにして隠してもいいかって考えてたんだけど、だいたい消えちゃったし、どうしたらいいかな」
なんと、消えてしまった火傷痕にも利用できるところがあったらしい。
心が一気に軽くなって、なんだか嬉しくなった。
「アンジェに任せるよ。僕にはよくわからないし」
「そう言われると思って悩んでたの! 希望はないの?」
「もうちょっと不細工に見えるように、でいい?」
「それが難しいの!」
それから僕が「ちょっと不細工」に見えるように、と言いながら髪の毛をくしゃくしゃにされたり眼鏡をかけさせられたり、けっこう長かったけど、楽しそうだったからそのまま遊ばれることにした。一緒にいるのが嫌だとか、そういうわけではなかったことが嬉しい。
結局僕の髪の毛は後ろが肩あたりまで、顔を隠せるように横が顎あたりまでにして少し薄くすることになり、ジネさんが切って、アンジェの悩みはひとまず解決した。
「男子のロングはかっこよく決まりにくいのがセオリーなのに……」
黒縁の眼鏡を僕に渡すアンジェは不服そうだったけれど、僕の髪の毛みたいなどうでもいいことで悩めるなら、学校はそんなに大変な場所でもなさそうだ。
その最初の日、七人のクラスメイトのうち六人と担任に興味津々と言った様子で見つめられ、大きめの黒いパーカーに紺のジーンズといういたって普通の格好をした僕は少々居心地の悪い思いをしながら挨拶をした。
基本無口で通すことにしているし、率先して仲良くなりたいわけではないけれど、仲良くなれればその方がいいのはわかってる。相手が人間だと思うだけでどう接していいのかわからなくなるけれど、少しずつ距離を縮めて行ければ、そう思いながら自分の席――慣れるまで特別アンジェの隣にしてくれた――に座った直後、前の席の男子がくるりと振り向いて僕の机に腕を乗せた。短く刈った髪は前髪だけを他より少し長くしていて、身長こそ負けていないと思うけれど、僕よりずいぶんがっしりした身体をしている。力も強そうだ。突然の近距離に背が反った。
「登真、昼休み五年とサッカーやろうぜ! 六年はお前が入って四-四だし、五年が入れば十人ずつだ」
へ? って顔をしたと思う。返事に戸惑っていたらまた聞かれた。
「サッカー嫌いか? 寒いから突き指するとすっげ痛ぇけど体育館でバスケのほうがいいか? 俺、拓海な」
距離感のない男子はアンジェが学校の話をするときによく登場する男子だった。なるほど。人懐こいというか、警戒心がない。アンジェが横から言った。
「サッカーの方がいいんじゃない? 人数多い方が楽しいし。あ、でも……」
「なんだよ? 運動できないのか?」
「そうじゃなくて……」ちら、と僕を見て「どっちにしろ、トーマ、ルールわかるかなって思って……」
アンジェがそう言った途端、拓海の眉が下がってまじまじと僕を見た。
「なんだ、お前、アンジェの仲間か!」
あきれたような声だったけれど、僕は焦った。この人間は何を知っているのか、アンジェが何を話したのか、何も聞いていなかった。急に早鐘を撃ち始めた鼓動と掌に浮かんできた汗には気づかないふりをして僕はアンジェ曰く「気休め」の眼鏡と乱れた前髪の間から拓海を見つめた。
場合によっては早めに口止め(タイショ)しないと――。焦る僕の耳に否定するアンジェの声が飛び込んできた。
「仲間って、そんなんじゃないし!」
愕然として耳を疑い、アンジェに目を向ける。
顔を赤くして、唇を尖らせていることろを初めて見た。家ではお姉さんぶってることが多いから小学生らしくてかわいい――じゃなくて。自分の存在を否定されたのが信じられない。しかも、アンジェはまったく気にしていないように見える。
「サッカーとバスケのルールを知らない六年生がいるかよ。 そういうやつはお前の仲間だ。なわとび飛べねえんだろ?」
そう言って僕を見る。見られても困る。なわとびが何なのかはよくわからないけれど、僕が飛べないのもわかってるのか? 人間の生活に欠かせないものなのかも――。
拓海が反応に困っている僕を見る。
「……はあ、しかたないから教えてやる。まず第一に、冬だし大丈夫だと思うけど、プールには近づくなよ」
「ちょっと! プールは関係ないじゃん!」
「登真、プール大丈夫なのか? なら夏になったら泳げるな」
よくわからないうちに話題は水泳になったらしいけど、とりあえず拓海がぼくやアンジェの正体をこんなふうにべらべら話すような人間ならものすごくまずい。
「まず、サッカーのルールは……」
僕は慌てて遮った。サッカーどころじゃない。
「僕、ルールわかります。やったことはありません。でも、僕がアンジェと仲間とか、そういうのは……」
「なんだ、わかるのか。じゃあ、アンジェの仲間ってのは撤回する。中休みは係活動があるから、昼休み校庭な」
拓海はにっと笑うとくるりと前を向いた。
僕が呆然としていると、アンジェが隣から「トーマ、プール入れるの? わたし聞いてないよ、それ」となぜだか怒った顔で聞いてきたけど、聞きたいのはこっちのほうだ。
なんで今プールの話にもどるんだ? サッカーのルールとナワトビと僕とアンジェが仲間だってこと、どんな関係があるんだ? 拓海は僕の何を知っていて、アンジェは何を話した?
僕の緊張は、中休みにアンジェに学校の中を案内されながら、拓海が僕について『アンジェと従兄で海外から来た』ということ以外は何も知らない、と聞かされるまで続いた。
アンジェの仲間=非常識 です。 ほのぼの、いいですね~。
12月中はもう一つの執筆中の方を進めますので、少し更新まで間が開きます。




