魔女のジネさん
祖母が大っぴらに自分は魔女だ、って言ったことはない。でもだから魔女じゃないってことにはならないし、実際ジネさんは魔女だ。
わたしがジネさんは世にいう普通のおばあちゃんとは違うって思うようになったのは最近だけど、きっかけは二年前、わたしが四年生の時の台風の後で、思い返してみればあれ? って思うことはそれまでにもたくさんあった。
二年前、超大型の台風が島を襲い、わたしたちは台風が去るまでずっと地下に避難していた。島の本土側――平地にある役場や小学校には避難場所が設置されたけれど、わたしの家には水没の危険がない地下室があったし、緊急用の電源も水も食糧もあるし、避難所は歩いて行くには遠い。ジネさんお気に入りの真っ赤な軽トラック――四人乗りで荷台がせまいやつ――があるけれど、台風で道が分断されれば家に帰れなくなるし、そうなれば置き場にも困って邪魔なだけ。それになによりジネさんが家を出たがらなかったので、自宅非難を決めたのだ。
嵐は一晩中猛威を振るい、一夜明けて外に出ると、あたりはまるで一体ここはどこの国かと思うほど様子が変わっていた。背後の傾斜に守られて、家や庭には大きな被害がなかったし、海まで斜面が続いているから水害も起こらなかったけれど、いつも海に行く小道の横には小川ができていたし、根元から倒れたり、葉が飛ばされてすっかりなくなっている木々が斜面に転がるありさまに自然の力を見せつけられた。
本土側では、ガラスが割れ、屋根や看板が吹き飛び、塀が倒れ、怪我人も出た。和友さんは朝一番でうちの様子を見に来てたいした被害がないことを確認すると、一日お弟子さんたちと本土側で働くことになると言って帰って行った。
やがて家に「魔女のジネさん」ファンのお年寄りがいる、病院に行くまでもない軽い怪我をした人たちが歩いてうちにやって来て、「ここにくる途中の道がでかい倒木でほぼ塞がっちまってるから車が通れない」と教えてくれた。和友さんとお弟子さんたちはそこから道具を持って歩いて下ったらしい。
うちに来た人たちの中で一番重症だったのは、庭の片づけをしようとして転んで足首を骨折したミヨばあちゃんだった。ミヨばあちゃんの家は本土側でも山の上だ。息子さんは病院に連れて行こうとしたけれど、倒木が家より下側だったために車で病院に行けず、歩かせることもできず、どうしようかと思い悩んでいたら「ジネさんとこに連れて行け」と、ミヨばあちゃんが言ったのだそうだ。
ときどき腰痛のシップ薬をもらいに来ていたおばあちゃんは「魔女のジネさん」ファンだ。息子さんが車から抱え下ろし、サンルームの長椅子に座らせてもらう。変色してぷっくり晴れた足首はとても痛そうで、小学四年生だったわたしは涙目になった。
軽い怪我だった人が順番を譲る。
息子さんは、譲ってくれた人たちにお礼を言ってから、倒木を片付けに戻るからその間に応急処置だけでもお願いします。と、ジネさんに言って戻って行った。
ミヨばあちゃんはジネさんの顔を見てほっとしたように笑った。
「ああ、これで安心だ。最初っから病院じゃなくてジネさんとこに連れて行けって言ったのに、息子の聞きわけがなくて困ったのなんの。木が倒れててよかったわ~」
病院に行けなかったことが嬉しいかのようにそんなことを言いながら腫れた足首を長椅子に乗せ、痛みに顔をしかめる。
「安心だ、じゃないよもう……気をつけてよ」
ジネさんは諫めたが、ミヨばあちゃんは笑ってわたしに片目をつぶってみせた。痛いだろうに、お茶目なおばあちゃんだ。ジネさんは何やらブツブツつぶやきながらミヨばあちゃんの足首を見て、お手製の分厚いシップ薬を張って添え木をし、包帯で固定した。
「このまま息子さんが戻って来るまで動かさないで」
そう言ってガラスのビンから棒付きの飴を出してミヨばあちゃんに渡す。
ジネさんは薬をもらいに来た人には必ず飴を渡す。たとえ相手が五十のおじさんでも。
ミヨばあちゃんはその場で透明な包み紙を外すとニコニコしてすぐに飴を舐め始めた。
「さて、これで静かになった」
そう言ってからジネさんは個人的な薬を入れてあるキャビネットから追加の薬を取り出して、怪我をした人たちの手当てをしていった。そもそもひどい怪我の人は病院に行くのだから、やることは単純で、台風の被害状況を聞きながら怪我をした箇所を洗うとか、ぶつけた個所を調べる程度。
ジネさんはやっぱり文句ともお祈りともつかない言葉をぶつぶつ呟きながら薬を塗っていき、包帯は怪我をした本人が巻いて、巻き終われば言われたとおりのお代を置いて、飴をもらって帰っていく。そんな治療の繰り返しで、わたしもガーゼや包帯、飴をわたすお手伝いをした。
それで済むはずだった。
ミヨばあちゃんの息子さんが迎えに来たのはみんなが帰ったあとだった。その車に同乗して、台風の片づけをしていて木の枝がふくらはぎに刺さったという旦那さん――わたしも見覚えのある、小学校の近くにある漁業協同組合のおじさんで、おじさんのお母さんが「魔女のジネさん」ファン――が奥さんと一緒にやって来た。
庭先に止めた車を降りると、奥さんが旦那さんに肩を貸して仲良く歩いてくる。病院は混んでいるだろうからここに行くようにと姑さんに強く勧められて車で出たものの、ミヨばあちゃんの家の下で例の倒木に阻まれ、どうしようかと思っていたら、乗せていくから帰りはミヨばあちゃんを病院に乗せて行くのを助けて欲しい、とばあちゃんの息子さんに言われて、願ってもないことだと乗せてきてもらったのだそうだ。倒木はまだ完全にはどけられていないらしい。
足を踏み出すたびに少し顔をしかめる旦那さんを、優しそうな奥さんが心配している。
「大丈夫だよ」
おじさんが笑ってみせた。
膝で止血してあるせいか血は止まっていたけれど、かなり痛そうで、わたしはまた泣きそうになった。
「二人とも、台風の後に怪我をするのはダメだわ」
苦笑いするジネさんに言われるまま、おじさんは息子さんに立たせてもらっているミヨばあちゃんの向かいの長椅子に座り、怪我の具合を見せる。
わたしは旦那さんに手を貸したせいで息が上がっていた奥さんに渡せるようにペットボトル入りの水を取りに行った。水のボトルを片手に戻ったわたしがちょうど奥さんの後ろに立ったとき、苦笑いで傷口を洗っていたジネさんが、こっちを見て顔つきを一変させた。
「アンジェ、こっちの旦那さんをお願い。終わったら手を握っててやって。あんたはすぐに座って」
有無を言わせない調子でわたしと奥さんにそう言うと、ジネさんはその場に奥さんを座らせて緊急無線に手を伸ばした。怪我をしたおじさんのことはほったらかしで、本土に救急ヘリを要請する。
わたしはわけがわからないまま、言われたとおりにジネさんが半分洗ったおじさんの傷口に洗浄液をかけてきれいにし、ふたを開けた軟膏とガーゼを渡して手を握る。おじさんはほっと息をついてから片手で傷口に薬を塗り、ガーゼを当てた。塗り終わるとわたしの手を離して包帯を巻き始める。怪我をしているとはいえおじさんは元気そうだ。何で救急搬送? おじさんを観察してみても理由がわからない。
その時、首を傾げたわたしの目の端で奥さんが胸を押さえて床にうずくまった。
ジネさんが走り寄る。
奥さんの顔は真っ青だった。呼吸も荒い。
ジネさんはヘリが来るまでずっと、うずくまった奥さんの背中に手を当ててさすりながら何かつぶやいていた。
奥さんは到着したヘリの救急隊員につり上げられて本土の病院に搬送され、後でお礼に来たおじさんが、急性心筋梗塞だったと言っていた。処置が早くて助かったという。
そのときは初めてのヘリに驚いていたし、よくわからなかったけれど、後で思い返してみたら、ジネさんが発作前にあの奥さんの異常に気づいた理由がわからない。
ほかにも不思議なことはある。ジネさんが手当てをした人たちの怪我が、病院で治療を受けた人たちよりずっと早くきれいに治ったことだ。木の枝が刺さった漁協のおじさんの足にはうっすらと跡が残っただけだったし、骨折していたはずのミヨばあちゃんにいたっては、病院に連れて行ってレントゲンを撮ったところ、骨に異常はなく、ただの捻挫だったらしい。あんなに痛そうだったのに。
みんなの回復力がすごいのか、ジネさんが魔女なのか。わたしは後者だと思う。
自分の祖母が魔女なんて、すごく面白い。
なにより、祖母が魔女ならすべて納得だ。祖母がちょっと変わっているなら、わたしがちょっと変わっていたって当たり前、だと思う。
投稿の仕方になれていないのでもたついています。がんばります(*^^*)