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アンジェ プロローグ & わたしの朝

プロローグ


海が好き。

無数の命が生まれる海。

無数の命が帰る海。


色にあふれた温かい海。

雪の崖が屹立する極寒の海。


月や陽の光を受けてきらめく水と、そのすべてを隠す真っ暗闇。

わたしは探す。あなたは、誰?


途切れ途切れに聞こえる歌の向こうに、風の音。

すべてを巻き上げて、風の音。

風の音はいつしか波の音に変わり、激しく、強く、押し寄せては去って行く。



わたしの朝


鳥の声、眼裏がぼんやりと白い。光が当たっているのがわかる。

ああ、朝だ。

わたしはぐぐぐっと布団の中で伸びをしてから目を開ける。


いい天気。そして今日から小学校六年生の夏休み。

完璧な海日和だ!


 体にかけていたタオルケットを押しやって起き上がる。

 わたしの部屋は二階。その広い窓を開けて顔を出すと、真っ青な空と水平線が広がっている。最高のオーシャンビューだ。家の前にある二十メートル四方の庭の奥には背の低い林。その木々の枝の向こうには海が見える。海面に突き出して立っている鳥居の上部分も枝の間にわずかに見えている。


林には歩いて抜けられる小道があって、その先には海まで続くちょっと急な岩場があり、そこにもコンクリートで固めた小道があって、海に立てられた鳥居まで続いているのだ。特に急なところにはロープ付きの階段もあって、わたしの家からはいつでも簡単に海に行ける。


 崖と岩浜が多い外海に面しているけれど、狭いながらも砂浜になっているところだってある。わたしが住んでいるこの島は、波が荒くなる外海側にはほとんど人がいないから、ごくごくまれに観光客が迷い込むくらいで、その浜はたいていわたしのプライベートビーチだ。

 庭先に白い鳥の姿が見えた。


 「おはよー!」


 声をかけた先にいるのは白いゆりかもめのギイちゃん。本来は集団で生活する鳥なのだが、海岸で怪我をして動けなくなっているところを一時保護して以来、ときどきわたしの家の周辺に姿を見せるようになった鳥だ。本当なら夏の時期のゆりかもめは頭が黒くて翼は灰色で先が黒く、足と嘴が紅い。けれどギイちゃんは全体的に白くて赤いはずのところも色が薄いきれいな桃色だ。


アルビノ、というらしく、動物としては弱い個体が多いそうだから、もともと弱かったところを他の動物に狙われたのかもしれない。この島は小さいけれど、キツネやタヌキなどの野生動物もいる。怪我は治ったけれど、もうきちんと生えそろうことのない右の羽がいつもちょっとだけ乱れているように見えるのも特徴だ。


 かもめは結構攻撃的な鳥というイメージがあるけれど、ギイちゃんは保護した当初こそ怯えて威嚇してきたけれど、三日でわたしに慣れ、基本的に食べるものの大きさが違うことに気づいてからは庭の雀や鳩にも実に寛容な態度で接するようになったお利口さんである。


 「あとで海に行こうね!」


 そう声をかければ「ギィー!」と、返事が返ってきた。


 わたしの言うことがちゃんとわかっているのだ。

 ふふふっと笑って手を振るとわたしは顔を引っ込める。肩下までの髪を手指で整えただけで一つに結ぶと、ツーピースの水着と上に羽織るためのゆるゆるのTシャツと短パンを持って、部屋のある二階から祖母の「ジネさん」との生活スペースである一階へ、足取りも軽く降りていく。


 二階にはわたしの部屋と物置にしてある部屋の二つだけしかないけれど、一階にはジネさんの部屋、洋風なのになぜかダイニングキッチンというよりは台所と居間といった方がしっくりくる食事&くつろぎスペースもある。……うちが洋風に見えないのは、ジネさんの古くからの友人で、宮大工として働いていたことがあるという和友さんの施工だからかもしれない。


テレビはないし、電話機もない。ちなみに携帯も持っていない。ジネさんによれば、なくてもいいものはむしろ邪魔物で、テレビはその最たるものなのだそうだ。電話も、長電話のもとになるくらいならないほうがいいらしい。わたしはめったに使わないけれど、パソコンはあるし、インターネットもできるから電話だってつけようと思えば付けられるんだけど、無線でじゅうぶんだとジネさんは言う。そして実際その通りで、なくてもわたしは特に不自由していない。


 それからお風呂、脱衣所兼洗面所、トイレ。それから薬剤師をしているジネさんの仕事場と、隣にある趣味のサンルームというか温室。そこは冬でも緑がいっぱいで、床は一段低くなっていて汚れてもすぐに流せるようにタイル張り。長椅子が二つとカウンターがあって、滅多にないことだけど、誰かお客さんが来た時はここが薬局がわりにも、おしゃべりスペースにもなる。


あとは地下がある。それで全部だ。ここだけは和風になりえない地下は、打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲まれた十畳ほどのスペースで、片側には狭いながらもユニットバスがあり、緊急用の発電機があり、水や食糧、簡易ベッドなどがきちんと整理されている。海が荒れればすぐに孤立する離島の暮らしだから、備えは大切なのだ。


反対側の壁には棚が据え付けられていて、外国語の本がびっしりと並んでいるけれど、この本が誰の持ち物なのかはわからない。ジネさんが読んでいるところを見たことはないし、そんなに古い本にも見えないから、おそらくわたしの両親の物だったのではないかと思う。


 わたしと祖母のジネさんはこの小さな家に二人暮らしだ。わたしには両親の記憶がないし、写真も動画もない。いったい何がどうなって写真の一枚もないなんてことになっているのか少しもわからないけれど、わたしが両親のことを聞けば、わかる範囲でといった様子で答えてくれるジネさんの様子からは、両親との仲が悪かったようには見えない。


何度か聞くうちに感じたことは、どうやらジネさんにも両親がどこにいるのか、生きているのかどうかさえわかっていないらしいということだ。仮にも自分の子どものことだし、心配じゃないの? って聞いたこともあったけれど、「まあ、元気でやってるんでしょ」としか言わないのは、いくら薄っぺらい現代社会の親子関係のせいだとしてもちょっとドライ過ぎじゃないかと思うけど、結局いくら聞いても両親についてはほとんどわからなかった。


 ちなみにわたしは(両親も、祖母も)ルーツが日本人かどうかはだいぶあやしい。というか外国人だと思う。地下にある外国語の本のことからもそう思うけれど、祖母は近所の人にも「ジネさん」と呼ばれていて、みんな通称のようなものだと思っているけど、それは本名、ジネヴラの略だ。


わたしも祖母のことは「ジネさん」と呼んでいる。その理由は「おばあちゃん」という呼びかけが、ものすごく似合わないからだ。見た目からは年齢がよくわからない。普通に五十代くらいに見える時もあれば、三十代といえそうな時もある。容姿も奇抜で、ふわふわした赤毛に碧眼だ。普段は色の入った眼鏡をかけているせいで、目の色が目立たないし、赤毛もおしゃれといえばたぶんそうなのだろう。でも、日本人じゃないと思う。


 わたしもよくある日本人タイプとはちょっと違う。髪の毛は一見真っ黒だけど、それが本当に真っ黒なのかというと、実は太陽に透かして見るとすごく濃い紺色みたいに見えるし、目は薄い茶色だ。ちなみに名前は杏樹と書いてアンジェ。


 いわゆるキラキラネームってやつだけど、似たような名前は結構はやってるみたいだし、そんなに変だと思われたことはない。でも、やっぱりなにか違うと思う。ちなみに名字は門野。……名字は普通なんだよね。


 

 トイレに行って洗面所で顔を洗ってから、すぐに海に行けるように水着を着て、上からゆるゆるのTシャツと短パンを身に着ける。さっきまで着ていたパジャマ代わりの部屋着や顔を洗うのに使ったタオルも洗濯機に入れてスイッチを押した。二人暮らしだから、家事は効率と協力体制が大切。洗濯はわたしの仕事だ。


 「ジネさーん、もう起きてるー?」


 声をかけて台所に向かう。壁の時計は六時半。コーヒーの香りがしているところから、ジネさんはもう起きているらしい。この時間ならサンルームで新聞を読みながらコーヒーを飲んでいるはず。わたしもコーヒーポットに残っていたコーヒーを少しだけマグカップに入れて、冷蔵庫から出した牛乳をたっぷり注いでからサンルームに向かう。


 「おはよー」

 そう声をかければ、長椅子に座って雑誌を読んでいたジネさんが顔をあげてにっこり笑った。


 「おはよう、アンジェ」

 赤髪碧眼。見た目年齢不詳で家にこもっている変わり者とされているジネさんは、この島ではたいてい「魔女のジネさん」か「巫女のジネさん」で通じる。確かにとんがり帽子もよく似合いそうだし独身だ。職業が薬剤師で、趣味はサンルームで育てている植物を使った調合だから、本当に魔女みたい。


 島に一件ある病院には薬局もあるけれど、中にはわざわざ山を越えてここまで薬を買いにくる人もいるし、ジネさんと仲のいい大工の和友さんに頼んで処方箋を持ってきてもらったり、薬を届けてもらったりする人もけっこういる。


和友さんというのはわたしのうちから見ると山側、つまり海とは逆の方向に山を登りきったところに慎二さんと崇さんっていうお弟子さん二人と住んでいるおじさんで、あまり家を離れたがらないジネさんの代わりにいろいろ手伝ってくれる親切な人だ。山を越えて学校に通うわたしの送り迎えもしてくれるし、長い休みの時も三日に一度くらいはうちに来て、わたしたちが元気でやっているか確認してくれる。


 和友さんが頼まれてきてくれる処方薬はきちんとした収入になるそうだからそんなふうに薬を頼んでくれる人がいるのは本当にありがたい。


 それにジネさんが調合した何が入っているのかわからない塗り薬や飲み薬の人気も根強い。調合した薬をもらいに来るのはお年寄りや、家にお年寄りがいる人たちが多いけれど、本土と離れた小島のせいか、需要は結構ある。ちょっとした健康相談を受けることもあって、そのたびにジネさんは「ここは病院じゃないよ!」なんて言って追い返そうとするけれど、離島生活者は本当に大変なのだ。たとえお祖父ちゃん先生一人でがんばっている病院が一件でも、島に病院があってよかったと思う。


 そして、ジネさんがこの島にいて本当に良かったと思う。だって「魔女のジネさん」は本当に魔法を使うのだから。


どなたかに楽しんでいただけたら嬉しいです。

目指せハッピーエンド。よろしくお願いいたします。

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