表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空読み師  作者: こでまり
64/64

(11)

 妖怪騒ぎから、一週間後――。


「おはようございまーす。って、あれ? 今日は子草さん、いないのか」


 呪術祠祭課の扉を開けた葉月は、キョロキョロとあたりを見回した。

 だいたいが床で寝ている子草だったが、たまには家に帰る日がある。きっと昨日はその日だったのだろう。


 持ってきた荷物を机に置き、部屋の窓を開ける。

 スーッと息を吸いこむと、これまでより少し乾いた空気が肺の中に流れ込んできた。その空気に秋の気配を感じながら、大きく伸びをする。

 

「うーん、気持ちいい」


 その時、部屋に明るい声が響いた。


「葉月、久しぶり。元気だった?」


 ……あれ? もしかして、この声は――。

 クルリと振り返れば、そこには爽やか笑顔の陽明が立っていた。


「あっ、課長、お久しぶりです。通州から帰ってたんですか?」

「うん、昨日ね。それよりも、葉月が山で遭難したって聞いて心臓が止まるかと思ったよ。大丈夫だった?」

「ええ。色々ありましたけどね。とりあえず、大丈夫です」


 苦笑いしながら陽明の顔をじっくり見る。

 土木作業で日に焼けたのだろう。小麦色に焼けた顔は精悍さを増し、下顎に生えたひげがワイルドさを加えている。


「……って、課長、ひげ!!」

「ああ、これ? どうせ内城に出仕しないからって、ちょっと伸ばしてたんだけど、変かな」

「い……いえ、変じゃないと思います」


 ……というか、イケメンっぷり、上がってます。甘い雰囲気と顎ひげのバランス絶妙すぎます。でも、ワイルド系の免疫なんてゼロどころか、マイナスなので近づけません。

 ズルズルと後ずさった葉月に、陽明が「んっ?」と首を傾げる。


「ひげは嫌い?」

「いえ、いいと思います」

「その割には逃げるね」

「ひげ男子の免疫はないんで」

「子草も生やしてたけど?」

「それは、そうですけど……」


 あれははっきり言ってただの無精ひげだった。生やし方の問題なのだろうか。イケメンのひげは、なんというか近寄りがたいものがある。


 警戒心全開で後退していく葉月の様子にクスクスと笑うと、陽明は葉月とは反対のほうへ向かった。

 開け放たれた窓から外を眺める。


「それにしても、やっぱり呪術祠祭課はいいねー。ここに来ると帰って来たなーって思うよ」


 相手の顔が見えなくなったことに安堵して、同じように空を見る。


「お疲れ様です。そういえば、課長って何週間通州に行ってたんですっけ」

「二週間ちょっとかな。今回はけっこう長かったね。この前まで暑い暑いと言っていたのに、帰ってきたら夏が終わってたよ」

「たしかに。空も段々秋の空に変わってきましたもんね。今日の雲なんて夏と秋が混在しているみたいだし」


 陽明が驚いた顔で振り返った。


「夏と秋が混在? 雲でそんなことがわかるの?」

「ええ、あそこに見えるモクモクと上に沸き上がる雲。あれが夏の雲。その横にある刷毛で掃いたような薄い雲が、秋によく見られる雲です」

「雲のでき方で季節の移ろいがわかるってこと? なるほどねー」

 

 日焼けしてチャラさに拍車がかかったと思ったけど、やっぱりエリート官吏は伊達じゃない。少しの説明で、未知のことも正確に理解してくるのだから。


 それにしても、イケメンがワイルド系になって帰ってきた。これは大変なことになりそうだ。ラブレターの量が倍増するんじゃないだろうか。

 ……とりあえず、こっちに被害が来ないように、しばらくは静かーに目立たないよーにしていよう。

 

 そんなことを考えながらほうきを手に取り掃除を始める。さすがに一週間来ないとホコリがたまる。サッササッサと手際よくほうきを動かしていく。

 そして、部屋を半分くらい掃いたところで、空を眺めていた陽明が話しかけてきた。

 

「ねえ、葉月。空ってさ、不思議だよね」

「不思議……ですか?」

「うん。すぐに手が届きそうだったり、果てしなく遠かったり。いったい空の際ってどこにあるんだろうね」

「……空の際?」

「どれくらいの距離があるか想像したことある?」


 ……空の際? それって、宇宙も含まれるのかな。だったら――。

 葉月は手にしたほうきを、窓の外に向かってまっすぐに伸ばした。


「無限……かな」

「無限?」

「うーん。正確にはわかりません。でも、無限という言葉が一番近い気がします」

「じゃあさ、天が動くのはどうやって説明する?」

「天が動く? えっと、天は動きませんけど……」


 ……というよりも動いているのはこの地球だ。よく言うじゃないか、それでも地球は回っているって。

 そこまで考えて、ハッとする。

 ……もしかして、この国には地球が回っているという常識はない……のか⁉︎


「えぇぇーっと……」


 しどろもどろになった葉月に、陽明は喉を震わせて笑いだした。


「もういいよ、葉月。天は動いていないんだね。無限の物が動くはずがない。動くのは必ず有限の物。つまり――」

「いえ、違います! 動いているのは天です。回っているのは私の頭です。そんな常識もわからないなんて、クルクルパーですいません」


 ……そして、なんだか嫌な予感がするので、これ以上の会話は遠慮しておきます。グッバイ、アディオス、チャオチャオチャオ。


 内城で空読みをすることになった葉月だったが、この世界の常識を変えるつもりはない。

 新たな事実を発見するのは、常にこの世界の人間であるべきで、異世界人がそこまで介入してはいけないと思うからだ。

 だから、余計なことは言わないようにしようと思っていたのに――。


 ……課長に会うのが久しぶりだったから、完全に油断してたよーーー! 


 そういえば、この男、無駄に賢いし、腹黒いし、笑顔の裏で何を考えているかわからないし……、とにかく油断大敵要注意人物だった。

 葉月は慌てて掃除用具を片付け、代わりに気象観測用のデータを手に取った。クルリと振り返り、敬礼する警官のようにビシッと左手を上げる。


「じゃあ、定時観測に行ってきます!」


 それだけ言うと、葉月は勢いよく扉を開けて、部屋を出た。





 葉月が去った部屋の中で、陽明はクツクツと喉を震わせて笑っていた。


「天は動かない……か。やっぱり、葉月って面白いなぁ」


 この国の常識を軽やかに塗り替えてみせる彼女の発言は、彼にとってワクワクするものだった。

 彼の枯渇しそうな知識欲をこれでもかと刺激して来る面白い存在……いや、興味深い存在といったほうがいいかもしれない。

 とにかく、今までそんな女性にあったことはない。いや、男性を含めたって、そうそう出会えないだろう。

 ひとしきり笑うと、彼女が去っていった扉を見つめる。


「ますます気に入っちゃったな。ちょっと本気出してみようかな」


 陽明は誰に言うでもなく呟いた。




≪光輪 了≫

明日、書籍版が発売されます。

特典情報については、活動報告をご覧ください

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ