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癒ししかできない無能聖女として追放されましたが、私がいなくなった国はもう保ちません  作者: 蒼井 玲


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第1話 聖女は、何もできないと言われた

※本作は「追放ざまぁ」から始まりますが、

主人公はすぐに復讐したり、派手に見返したりはしません。


戦えない聖女が、

それでも世界を壊さないために、

「留まらない」という選択をしていく物語です。


静かな話が好きな方、

追放ものに少し違う味を求めている方に、

読んでいただけたら嬉しいです。

 朝の聖堂は、まだ冷えていた。

 石造りの床の冷たさが靴底から伝わってくる。息を吐けば白く曇り、細い光が高窓から斜めに差し込んで、祈り台の縁にだけ淡い金色を落としていた。


 リリアは膝をつき、両手を組む。

 目を閉じる。呼吸を整え、胸の奥に沈む静けさを探す。


(今日も、いつも通りに)


 祈りの言葉は、長いあいだ同じだった。

 変える必要も、変える理由もなかった。聖女が捧げる祈りは、個人の気分で揺れてはならない。そう教わってきたし、何より、そうしていると心が落ち着いた。


 唇が形をつくるたび、聖堂の空気がわずかに澄む気がした。

 水面に落ちる一滴のように、広がっていくものがある。目には見えないけれど、確かに「整う」感覚がある。


 祈りが終わる。

 遠くで、鐘がひとつ鳴った。


 ……いつもより、音が澄んでいる。


 そう思った瞬間、リリアは自分の考えを打ち消す。

 鐘の音が澄むかどうかなんて、気のせいだ。今日の風向きかもしれないし、鳴らした神官の力加減かもしれない。自分の祈りと結びつけるのは、傲慢だ。


 ゆっくり立ち上がると、膝の埃を払った。

 白い法衣の裾を整え、祈り台に一礼する。


 聖堂には誰もいない。

 朝の祈りは、本来なら参列者がいる。けれど最近は、席の埋まり具合が目に見えて減っていた。忙しいのだろう。王都はいつだって忙しい。そう思うことにしていた。


 扉を押し開けると、廊下に暖かな空気が流れてきた。人の気配、紙の擦れる音、遠くの足音。教会は朝から動いている。


「……おはようございます」


 すれ違った若い神官に挨拶をしてみる。

 彼は一瞬だけこちらを見て、ぎこちなく頭を下げた。


「お、おはようございます、聖女さま」


 目が合わなかった。

 以前なら、もっと……違った。少なくとも、もう少し自然だった。リリアは胸の奥に小さな棘のような違和感を感じ、それを指先でそっと押し込める。


(気にしすぎ。皆、忙しいだけ)


 廊下の曲がり角で、別の声が聞こえた。

 複数の神官が立ち話をしている。書類束を抱え、興奮したように声を弾ませていた。


「……聞いたか? 新しい聖女候補のこと」

「セレナ様だろう。光の加護が強いらしい」

「戦えるって噂だ。魔物を祓う“光刃”を――」


 リリアの足が、一瞬だけ止まる。

 セレナ。最近、どこでもその名前を聞く。教会の空気が、妙に明るい。期待が、はしゃぎのように広がっている。


「――これで安心だな。今の聖女さまは、癒しはできるけど……ほら」


 言葉の続きを、誰も口にしなかった。

 けれど沈黙が、続きを勝手に補う。


(戦えない)


 リリアは、何も言わずに歩き出す。

 頬が熱くなるのは恥ずかしさではなく、たぶん、体温のせいだ。そう思いたかった。


 自分は戦えない。

 それは事実だ。聖女の力は癒しと浄化。刃を作ることも、火を放つこともできない。できたとしても、やりたいとは思わない。


 むしろ、戦える聖女がいるなら心強い。

 ――本当に、そう思っている。嫉妬はない。羨ましさも、ほんの少ししかない。ただ、眩しいだけだ。


(すごいな。……私には無理)


 そのまま執務室に戻ろうとしたとき、廊下の端から足音が近づいてきた。

 騎士の甲冑が立てる、規則正しい金属音。通路の空気が張り詰め、神官たちが自然と壁際に寄って道を空ける。


 護衛に囲まれて現れたのは、第一王子アルベルトだった。


 淡い金髪を整え、王族の外套をまとった姿は、どこにいても目立つ。けれど彼の表情はいつもと同じく穏やかで、感情の起伏をあまり見せない。


「リリア」


 名を呼ばれ、リリアは慌てて膝をついた。


「アルベルト殿下。おはようございます」


「朝から祈りか。……勤勉だな」


 褒め言葉なのに、胸の奥がふっと軽くなる。

 アルベルトは、いつも丁寧だ。自分が聖女であることを忘れない。婚約者としての距離感も、最低限は保ってくれる。


「王都の空気は、最近少し騒がしい。教会も忙しいだろう」


「はい。皆さま……とても、活気がございます」


 そう答えると、アルベルトはわずかに視線を伏せた。

 何かを計算しているような沈黙。彼が沈黙するとき、言葉より多くのことが決まっていく気がして、リリアは苦手だった。


「……君がいるから、この国は平和なんだ」


 不意に、その言葉が落ちた。


 リリアは息を止める。

 胸の奥が熱くなる。誰かに必要だと言われるだけで、人はこんなにも簡単に救われるのだろうか。


「……ありがとうございます。殿下」


 アルベルトは微笑んだ――ように見えた。けれど目は、どこか遠い。


「今日、教会から君に招集があるはずだ。大司教が、君と話したいと言っていた」


「……私と、ですか?」


「そうだ。――心配はいらない。形式の話だろう」


 形式。

 その言葉に、妙な重みがあった。


 リリアは頷いた。頷くしかなかった。

 王子が「心配はいらない」と言うときほど、心配になることはない。けれど口にはしない。聖女は、波を立ててはいけない。


 アルベルトは護衛を連れて去っていく。

 残された廊下には、さっきよりも濃い沈黙が落ちていた。


 胸の熱が、ゆっくり冷えていく。


(招集……何の話だろう)


 自分に思い当たる失敗はない。

 けれど、何も思い当たらないときほど怖いものはない。


 執務室に戻り、机の上の帳簿に目を通しながらも、文字が頭に入ってこない。

 聖水の配分、治療の記録、浄化の回数。いつもなら淡々と確認するはずの仕事が、今日は紙の上で滑っていく。


 やがて、扉が叩かれた。


「聖女さま。大司教さまより。至急、広間へお越しください」


「……広間?」


 広間は、儀式に使う場所だ。

 個別の話なら、小会議室で十分なはずなのに。


 リリアは手を止めた。背筋が冷える。

 指先が少し震えたので、机の縁を掴んで落ち着かせる。


「わかりました。すぐに参ります」


 廊下を歩く。

 石壁の冷たさが、さっきよりも強く感じられる。すれ違う神官や修道女が、視線を逸らす。あるいは、そっと囁き合う。


 広間の扉の前で、深呼吸をした。

 胸の奥で、鐘が鳴っているようにうるさい。自分の心音だ。


 扉が開いた瞬間、光が差した。


 大きな円形の広間。

 正面には高座。そこに王族、教会の高位聖職者、騎士団の上層部が並んでいた。さらに周囲には、儀式の見学を名目にした人々――貴族や教会関係者――が立っている。


(……どうして、こんなに)


 相談ではない。

 直感がそう告げる。


 リリアは足を進め、決められた位置で膝をついた。

 顔を上げると、そこにアルベルトがいた。さっきと同じ穏やかな顔。けれど今度は、目が合わなかった。


 大司教マルクスが、重々しく口を開く。


「聖女リリア・エルフィード。お前に通達がある」


 通達。

 その言葉だけで、喉が乾く。


「近頃、王国周辺の魔物被害が増している。聖女としての役割は、本来、国と民を守ることにある。だが――」


 大司教は言葉を切り、視線を一段下げた。

 まるで判決文を読み上げるように。


「お前は、その役割を十分に果たしていない」


 広間の空気が、ぴんと張る。

 誰かが息を呑む音がした。


「……え……?」


 声が、出てしまった。

 こんな場所で声を出してはいけないのに。


 大司教は続ける。


「癒しと浄化だけでは足りぬ。今、必要なのは戦える聖女だ。民の前に立ち、魔を打ち払う光だ」


 視線が、右側へ移る。

 そこに立っていたのは、噂の少女――セレナだった。白と金の装束。緊張した顔。けれどその背には、若い自信が宿っている。


「セレナ・アルノ。彼女は新たな聖女候補として、すでに実績を示した。光の加護は強く、魔を祓う力もある」


 広間の人々がざわめいた。

 期待の混じるざわめき。喜びのざわめき。


 リリアの胸の熱が、すっと引いていく。

 代わりがいる。そう言われているのだ。


(でも……私も、やってきた。祈ってきた。癒してきた。浄化してきた……)


 言いたい言葉が喉で絡まる。

 けれど、言葉にした瞬間、それは言い訳になってしまう気がした。自分がここに立っている時点で、すでに負けているのだと理解してしまう。


 大司教の声が落ちる。


「よって、聖女リリア。お前をその任から解く。――追放を命じる」


 追放。

 その音だけが、やけにくっきり聞こえた。


 世界が一瞬、遠のく。

 音が消える。色が薄くなる。呼吸の仕方がわからない。


 リリアは反射的に、アルベルトを見た。

 助けを求めるつもりはなかった。ただ、現実を確かめたかった。


 アルベルトは、立ち上がった。

 視線がこちらへ向く。ようやく目が合う。


 その目に、揺らぎはなかった。


「リリア」


 名前を呼ばれた瞬間、胸の奥が期待で震えた。

 否定してくれるかもしれない。これは誤解だと言ってくれるかもしれない。


 けれど王子は、淡々と言った。


「感謝はしている。だが、それだけだ」


 その一文が、祈り台を叩き割るように心へ落ちた。


 ――君がいるから、この国は平和なんだ。


 さっきの言葉が、裏返る。

 まるで、その場しのぎの慰めだったみたいに。


 リリアは口を開こうとした。

 反論じゃない。泣き言でもない。ただ、「どうして」と聞きたかった。


 でも、声にならない。


 広間の誰もが、こちらを見ている。

 同情も、冷淡も、興味も。けれど一番痛かったのは、無関心だった。


(私が……いなくても、いい?)


 頭の中で、同じ問いがぐるぐる回る。

 祈りは何だったのか。癒しは。浄化は。毎朝の冷たい床は。


 大司教が、最後に言った。


「聖女は一人でいい」


 扉が閉まる音がした。

 誰かが、追放の手続きを始めたのだろう。足音が遠ざかっていく。


 リリアはまだ、膝をついたままだった。

 涙は出なかった。喉の奥が痛いだけで、泣き方を忘れてしまったみたいだった。


 ――その日、リリアは初めて、自分が世界から不要だと告げられた。


ここまでご覧いただきありがとうございます。


当面の間は、1日に3話を投稿予定です。


ブックマークをして、続きを楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。

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