(導入編)二日ぶりの二人きり
麦茶の氷が乾いた音を立てた。お姉さんは私から唇を離すと、再びきつく抱きしめてくる。いつもはクーラーが効いてるこの部屋は今日はなぜか扇風機だけで、陽があまり当たらないとはいえさすがに暑かった。
なのに、お姉さんの身体はいつまでも冷たい。じっとりと汗ばんできた私の身体をくるくる回して、前から後ろからじゃれてくる。
「お姉さん、なんか今日、甘えたがりすぎない?」
「君が可愛いから」
抱きしめる、ほっぺをいじる、手で髪を梳く。それをアトランダムに繰り返す。どれも点数のつかない行為ではあるけれど、そして私が好きな行為でもあるけれど、今日はさすがにしつこかった。ドリンクバーで粘る人みたいだ。
「……もうっ! 今日はこれで終わり」
「はーい」
私が身をよじると、お姉さんは素直に身体を離した。グレーのブラウスが私の形にうっすら湿っているのが分かる。お姉さんはそのまま机の上に手を伸ばして、エアコンのスイッチを入れた。なんで今までつけていなかったのだろうか。
「ごめんね。嫌だった?」
「そういうんじゃないけど……喉、乾いた」
ごめんね、と再び言われて差し出された麦茶は、ずっと外に出しっぱだったのによく冷えていた。すぐに飲み干してしまうと、お姉さんは冷蔵庫からボトルを取り出して、ちょうどいい量を注ぎ足してくれる。
それから再び、うっすらと微笑みながらこちらを見てきた。
窓子ちゃんの実家でのお泊り会から帰ってきて、次の日の午後。お姉さんは部屋まで遊びに来た私を見るなり、許可を取ってからキスをしてきた。その先は私の話を聞きながら、抱きしめて、ほっぺをいじって、手で髪を梳いての繰り返し。合間にキスを合計三回。お泊り会中の借金はそれで返済された。
なんか今日は随分大切に愛してきたな、と一瞬思い、それから笑いそうになる。本当に私を大切にするなら、部屋に連れ込んでキスだなんてするべきじゃないのだ。まあ私から遊びに来てるんだけど。
「あれ? 君いま何点持ってるんだっけ」
「夏休み中の借金が32点、今日はキス四回したから44点。計12点プラス……だけど、なんか利子つくとか言ってなかった?」
「ああ、あれか。……うーん、まあとりあえずお預けでいいか」
「ふぅん」
冷めた感じで受け答えつつ、あれ、と思う。
お姉さんのことだから、利息で何倍にも膨れ上がった点数を要求してきてもおかしくないと思っていた。なんか最近、点数のルールが形だけになってきているような。まあ謎の点数も行為の点数もお姉さんのさじ加減で決まっている以上、最初からの話だといえばそうなんだけど。
「君がお泊り会行ってるとき、いっぱいメッセ送ってごめん」
「別にいいけど……なんとなく予想はしてたし……」
「うざかった?」
「んーん、なんというかお姉さんだなーって」
いつもは余裕に満ちているお姉さんなのに、今日はなんだかしゅんとしていた。麦茶の入ったコップにストローを差して、ぷくぷくと息を吐いている。
ここで「やっぱうざかった」って言ったらどうなるかな……?
「君から見た私ってどんななのかな」
「ロリに手を出す犯罪者……?」
「…………。」
「――っていうのは冗談として……いや冗談じゃないけど……でもなんだろ、頭いいし綺麗だし、あと一緒に居て落ち着くというか」
私はお姉さんに身体を寄せて、その浮世絵みたいに妖しくて綺麗な黒髪の匂いをそっと吸い込む。煙草の匂いと、甘い匂い。スマホ越しには感じ取ることのできないそれが、なんというか魂になじむ。
「私は最近、君が居ないと落ち着かなくなってしまった」
お姉さんは麦茶を一口飲んでから、「嘘だけどね」と付け足す。
「てかさ。お姉さんもラインで言ってたけど、私ってここに来ない日も結構あるよね? それこそ一週間近くとか。そのときもこんなに寂しそうにしてるの?」
「心外だな。私は別に寂しくなんてなかったよ。それに、君が気まぐれで来たり来なかったりするのは全然平気なんだ。けどね」
お姉さんはコップを机に置くと、自然な流れで私を抱きしめようとした。けれどさっき「今日はこれで終わり」宣言が出されていたため踏みとどまる。それがなんだか面白くて、私はお姉さんの膝に頭を乗せてあげた。
「けど?」
「なんというのかな……絶対に来ないことが分かっていて、かつ、他の女と仲良くしているという状況が好きではないのかもしれない」
「なるほど……?」
推理を披露するときみたいな落ち着き払った口ぶりだけど、言ってる内容は子供みたいだ。私と仲のいい女の子たちを「他の女」呼ばわりしてくることといい、お姉さんは私が思っていたより大人じゃないのかもしれない。
またひとつ見つけた、と嬉しくなった。お姉さんの素顔についてだ。
お姉さんは霞を身に纏ったような人で、なかなかその素体を見せない。だからこそ、ふいに見せる人間性みたいなものを集めるのが楽しいのだ。もっともお姉さんは嘘つきだから、それすら偽物かもしれないけれど。
「けどまあ、花火のときに顔見せてくれたのは嬉しかったな。君が窓子ちゃんの様子を映さないようにしてくれていたのもあるけれど」
「あーあれ、ちゃんと花火見えてた? 私途中から自分が見るのに夢中になっちゃってて、角度とか全然気にしてなかったから、変な木とか見えてたらごめんね」
「はは、花火なんて最初から映してないでしょ? ずっと君の顔を……」
二人同時に会話が微妙に噛み合わないことに気付き、お姉さんだけがその謎の真相に辿り着いたようだった。私がいまいち状況を把握していないのを確認すると、お姉さんは急に普段の余裕たっぷりな表情を見せる。
「まさか君――ずっとインカメラで撮影していたことに、気付いていなかったのかい?」
えっ、と思った。けどそれなら辻褄が合うし、むしろそれ以外では辻褄が合わない。だとしたら――だとしたら私は、花火大会中ずっと自分の顔を、無意識に……
「いやその、お姉さ」
「可愛かったな。君は非常に聡い子だけれど、根本は年相応なんだなと思って見てたよ。その視線の動き、表情のゆらぎ……君の顔を見るだけで、私はその瞳に映っている花火の情景をありありと感じ取ることができた。君もあんなに豊かな顔で笑い驚くんだね。まあ時たま横に居る女の顔を盗み見ているのが映るたび、気がふれそうになったけど……とにかく、二日間会えなくても元が取れるような、粋なサービスだと思ったよ。そしてやっぱり、君は悪い女だなともね。なにせ私が一番喜ぶ映像を、隣の女に気付かれないよう送り続けてくれていたのだから。まあもっとも、それが無自覚だったと今分かってしまったのだけれど。けど、それはそれとして可愛いな。とんだサービスだ。年相応な可愛さ不相応な可愛さ両方を織り交ぜて見せてくれるからこそ、私は君をたまらないほど気に入っているのだろうな」
「うっ……ふぐぅ……」
長々と喋っている間、お姉さんは私の耳たぶをつまんでいた。その指がずっと冷たいからこそ、自分がどれだけ顔を火照らせているか分かってしまう。お姉さんはそれをじっくり楽しんでいるようだった。
「……もうっ! 今日は帰る」
「え」
「……と思ったけど、もうちょっと居てあげよっかな…………」
「それがいいよ。そのへんで買った面白いボードゲームもあるしね」
どこかほくほくした表情で押し入れから薄くて四角い箱を出すお姉さん。なんか見るからに海外製っぽいけれど、本当にそのへんに売ってるのだろうか?
「そういえばさ、次の土日は夏祭りだね。浴衣、着てみたくない?」
「んっとね、窓子ちゃんがおさがり着せてくれるって。会場まで一緒に行くんだー」
「ふぅん。お小遣いはいる? 何万?」
「町内の夏祭りで万使う人みたことないよ」
「おみくじ100連ガチャできるよ」
お姉さんはテーブルの隅に手をかけた。そこには長い針が突き立てられていて、大量の一万円札を貫いている。福沢諭吉が目刺しにされている状況だ。お姉さんは隙あらばそこから私にお金を渡そうとしてくるのである。
「別にいいって。お祭りのおみくじなんて、どうせ当たり入ってないもん!」
けれど夏祭り当日、私は自分の言葉が間違っていたと認めることになる。
それは異常によく当たるおみくじと――そして。
お姉さんの過去を知る彼女が、現れたからだった。
(問題編に続く)




