6.また病院に行ったよ
昨日はいっぱい遊んでくれたシッポちゃんだが、水もあまり飲まないしご飯も食べてくれない。薬は飲ませようとすると吐き出すし、トイレも一回だけで殆ど出ていないようだ。
「病院に行くしか無いかなぁ」
朝食を食べ終わった時、私は母親に訊ねる。的確な答えを求めていたわけではないが母親は食器を片付けながら曖昧に「そりゃあね」と答えた。
「九時からなんだけど」
「お父さん、出番よ」
「儂か……、だが、今日は土曜日だぞ」
「大丈夫。土曜、日曜もやっているから」
「それは偉いなあ」
父親は多少疲労感のある表情を見せるが、別に行くこと自体は否定しない。
「母さん、儂の服はあるか?」
「はいはい」
あっちはあっちに任せることにする。別にそれほど気張った準備は必要ないけど、それなりに時間がかかる。当然、シッポちゃんの準備も必要だから。
「まだか?」
父親から催促の言葉を投げかけられて少しイラつく。でも、そのことに文句は言わない。
「シッポちゃんのケージの下に敷いている新聞紙交換しておいてもらっていい?」
「一人じゃできんぞ」
「キャリーケースに入ってもらってからならできるから」
私の言葉に返事はない。不満があるから。というより、了承したときの父親の態度はこんな感じ。もう少しコミュニケーション能力を高めてもらいたい。と思いつつも、六十を超えると無理かもしれないので、これ異常悪化しないのを願うのみだ。
「母さん、古新聞何処だ?」って声を聞きながら、出かける準備を終えた私は時計を見た。九時ジャスト。今からなら、それほど待たされることはないはず。
そう思って到着した動物病院は想定異常に混んでいた。それでも、五番目に診察できることになった私たちは、エアコンを付けた車の中で待機することにする。今の時期、待合室に入れるのは、次の診察の動物と飼い主だけだからだ。
フロントガラスに銀色のサンシェードを置いて直射日光を避ける。シッポちゃんが乗っているのは後部座席だから、直射日光で熱くなることはない。それでもこれ以上、症状が悪化しないかと不安になる。だから、受付の人が来るやいなや私はシッポちゃんを連れて車から出る。待合室で待つこと数分。呼ばれて私はシッポちゃんのキャリーケースを持った父親と一緒に診察室に入る。
「どうしました?」
先生はキャリーケースから出したシッポちゃんに訊ねる。
「食事を取らないので診ていただこうと思いまして……」
「えーと、体重は2.0kgか。一昨日よりかは増えているね。どれどれ」
先生はシッポちゃんの口元を念入りに調べる。助手の女性が抑えてくれているが、噛まれたりしないか心配になる。
「もしかして、腎臓病とかでしょうか? 腎臓とかが弱っているから食べれないとかないでしょうか?」
私は思わず思いついたことを口にする。だが、先生は眉を少しばかり眉間に寄せてから私に答える。
「可能性はあります。ですが、他の病気の可能性もあります。精密な検査をしてみないことにはなんとも言いようがありませんね」
「検査すれば治るんでしょうか?」
「検査すれば、病気を特定できる可能性が高いでしょう。まずは、病気を特定して、それに合わせた治療を行うことが大事です。しかし、治るかどうかは別問題です。例えば、もし、慢性病であれば、特効薬で治せるというものではありません。それにいくつかの症例を併発している可能性もあります。どちらにせよ、対処療法的な治療を続ける以外の方法がない場合もあります」
先生の言葉に私は何も言えなくなる。余計なことを言ってしまった。素人なのに失礼なことを言ってしまった。と後悔する。それに、先生は明言はしていないが、根本的な治療が難しいと言わんばかりだ。検査をすれば治せるならば、もっと強く推奨するはず。それなのに、対処療法を強調するかのような言い方は、治療が難しそうであることを感じさせる。
「口内炎もかなり進行していますね。あまり食べようとしないのは口が荒れているからなのかもしれませんね」
先生に言われて思い出す。以前に飼っていた猫も口内炎があったことを。けれども、以前に飼っていた猫は口内炎でも問題なく食事は取れていた。カリカリは無理でもチュールのようなものは食べれるのではないだろうか。
「とりあえず、脱水症状もあるようですし、点滴をしておきますか? もし、検査もご要望されるのでしたら準備をしますが」
「はい。点滴をお願いします。検査はもう少し、様子を見て考えさせてください」
「わかりました」
私は点滴をされているシッポちゃんを見下ろす。多分、この子は長生きはできない。自分の意志で食事を取れないのであれば死ぬしか無い。それでも、最後まで精一杯の治療をするのが私の義務なのだろうか。毎日のように動物病院に来て点滴をするべきであろうか。けど、それは単なる延命でしか無い。そもそも義務感のためだけに治療をする必要があるのだろうか。治療だって無料ではない。お金を唸るほど持っている大富豪でもない。
答えなんて出るはずない。正解なんか何処にもない。
私は治療と支払いを終えて帰る車の中でも考えていた。シッポちゃんにとって何が最良の選択肢なのだろうかと。
「全ては運命の手に委ねるしか無い」
玄関を開ける時、父親が呟くように言った。私は思わず顔を覗き込んだら無表情のまま。何かを話しかけたわけではない態度を取る。持っていたキャリーケースを玄関に降ろすと、後は任せたと言わんばかりにスリッパを履いてリビングに行ってしまう。
「元気、出してくれるよね」
私は話しかけながらキャリーケースからシッポちゃんを出そうとする。けれども、自分から飛び出てはこない。両手でシッポちゃんの両脇を持って出す。
そのまま自由にさせてあげたい。そう思わなくもなかった。けれども、疲れている様子のシッポちゃんをそのままにしておく気にもなれない。可愛そうだとも思うけど、ケージの中に入れる。横になって丸くなって寝ている状態のまま動こうとはしない。ニャアと鳴くこともない。