第十三章 -A hard day's night- 痕跡
「……無い……、……無い!」
「……んっ……」
初めてティアレの寝顔をゆっくりと眺めるチャンスだったけど、僕はそれどころじゃなかった。
「ん~っ……、どうしたんですか……? そんなに慌てて……。……あれ? 私寝坊しました?」
「……無いんだ……」
「……無いって、何がないんですか?」
珍しく、と言うより、初めて僕がティアレよりも先に目を覚ました次の日の朝、
――全てはここから始まった……。
「……僕の……、僕のギターが無いんだ……」
「えっ!? ギターが無いってどういう事ですかっ?」
ティアレも血相を変えて飛び起きる。
「いや……、僕にもどういう事なのかさっぱり……。ただ目が覚めたら、ギターが失くなってた……」
「どこか別の場所とかは?」
「ティアレは知ってると思うけど、いつも傍に置いてあるんだ。別の場所に置くような事はないよ」
「そう、ですね……。でもとにかく……、一度部屋の中を探してみましょう」
その後ティアレと2人で部屋中くまなく探したが、結論から言うと、部屋の中のどこにもそれらしき痕跡すら無かった。
「……」
「……」
「一度……、エリオさんの所へ行ってみませんか?」
「……うん、確かにそうだね」
放心状態の僕を気遣う様に、ティアレがそう促してくれた。
でも確かに今の状況を考えたら、一番賢明な判断かもしれない。
すぐに2人で部屋を出ると、そのままエレベーターで真っ直ぐに1階のフロントへと向かう。
「あれ……? エリオさん、いませんね……」
「カウンターの前に誰かいるみ――」
「すまぬ! すまぬ! 主はおられるか!?」
僕らが1階に着いた時、無人のカウンター前で叫んでいたのは、昨日見かけた2人組の兎耳の女性の方だった。
「……何か、あったんでしょうか?」
「随分と慌ててるみたいだけど」
「昨夜もイッチーさんの演奏見逃されてるんですよね。ノーベンレーンでも入れ違いだったみたいですし……、タイミング悪いですよね」
「そうなの?」
(なんでティアレがそんな事を知ってるんだろう?)
「あ、ほら、昨日エリオさんが、『三毛猫亭の宿泊客には優待席を用意してある』って言ってたじゃないですか。でもお二人の姿は見当たらなかったんですよ」
「そういう事か」
昨夜は結局最後のステージが12時近かったから、それだと随分遅くまで戻らなかった事になる。
「す、すみません! わ、私とした事が寝過ごすとは……。何が問題でもございましたでしょうか?」
いかにも起き抜け、といった様子でカウンターの奥からエリオが姿を現した。
「いない! いないのでござる!」
(……ござる?)
「お、落ち着いて下さい。いないと仰られても、もう少し詳しく事情を話して頂けますか?」
「はっ! すまぬ、取り乱した。しかし事情と言っても……、手前が目を覚ました時には、既にひ――」
「ひ?」
「……いや……、お、お嬢様の姿がどこにも見当たらないのでござる」
(何か妙に不自然な間に感じたけど、それよりも、本当にござると言ってる人を目の当たりにするインパクトが大きかった)
「失礼ですが、どこかにお出掛けになられている可能性というのは?」
「ひ――、……お嬢様が手前に何も告げずに、勝手にいなくなる事などありえないでござる」
「そう、ですか……」
どうやら話だけ聞いていると、目を覚ましたら連れがいなくなっていた、という事らしい。
多分お嬢様というのは、昨日見かけたもう一人の猫耳の女の子だろう。
「しかし……、お客様を守る為に、当宿には全体に結界を張ってありまして。賊や良からぬ類の輩は、そう簡単には忍び込めないようになっているのですが……」
「そ、そうでござったか……。いや、失礼した。そもそも責める相手を間違えていたでござる」
隣のティアレを見ると、静かに頷いた。
さすがティアレは結界の存在に気付いていたらしい。
「もちろんこちらでも、可能な限りお手伝いさせて頂きます」
「かたじけない! それではもしお嬢様を見かけたら、この宿から動かぬように、と伝えてもらえるでござるか?」
「かしこまりました。そのように」
言うが早いか、頭を上げた兎耳の女性はそれだけ言い残すと、自身はそのまま外へと飛び出して行ってしまった。
すれ違いざまに、また一瞬だけ目が合う。
「イッチー様にティアレーシャ様、おはようございます」
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
「昨夜は本当にありがとうございました。皆さんお喜びで、当宿も主催として非常に鼻が高いです」
「いえ、それは別にいいんですけど……」
「……どうかされましたか?」
たった今あまり良くない話を聞かされたばかりのエリオは、すぐに僕の表情から何かを察して声のトーンを落とす。
「それが……、目が覚めたら僕のギターが、楽器がどこにも見当たらなくて」
「なっ!? ……、コホン。失礼しました。それは確かですか?」
「はい。2人で部屋の中はくまなく探したんですけど」
「そう、ですか……」
そのまま黙り込むと、エリオは暫く考えを巡らせている様だった。
「お聞きになられたと思いますが、先程の方の事もありますし。お二人は先に部屋に戻ってて頂けませんか? 私もすぐに向かいます。ここをこのまま空ける訳にはいかないので」
「分かりました」
恐らくは部屋で落ち着いて話したいって事だろう。
僕とティアレは頷くと、そのままエレベーターで自分達の部屋へと戻った。
3人分のコーヒーと紅茶を持ったエリオが現れるのに、それからさほど時間は掛からなかった。
部屋にいても僕らが普段あまり使う事がない、応接セットに腰を落ち着けた3人。
先に僕らを座らせ、2人分の飲み物を淹れてくれるエリオのその姿は堂に入っていて、まさにプロの執事といった様子だった。
「……こんな事は当宿始まって以来初めての事でして、正直私としても少々戸惑っております。それも同時に二件……」
最後に自分の分のコーヒーを注ぎ、やっと腰を下ろしたエリオの口はどこか重かった。
「実際の所、エリオさんはどう思います?」
「……そうですね……。これは決して自讃ではなく申し上げるのですが」
「はい」
「この宿の結界は、それ程容易く誤魔化せる物ではありません。これはここに限らず全ての猫亭にも言える事ですが、要人の方にご利用頂く事も少なくありません。宿を閉めた後の賊の侵入に関しては、ほぼ不可能と思っていただいていいかと」
エリオがここまで言い切るという事は、まず間違い無く信用していいだろう。
猫亭の人間はこういった事に関して、どこまでも誠実だ。
それはトーガやフロッソを見ていても分かる。
「と、すると?」
「はい。もっと大きな力が働いた、と考えるのが自然かと」
「もっと大きな力?」
「はい。……そこで、という訳ではないのですが、折り入ってティアレーシャ様にご相談があるのですが」
エリオは手にしていたコーヒーカップをテーブルに戻すと、居住まいを正してティアレを真っ直ぐに見つめる。
「私に……、ですか?」
「ティアレーシャ様は、かの高名な術師様のお弟子様、とお聞きしております」
「えっ、おばあちゃんの事ですか?」
なんでその事を、といった様子で戸惑うティアレだけど、これは僕には何となく予想がついた。
「多分宿帳、ですね」
「はい、さすがはイッチー様。ご明察、でございます」
何がさすがなのかは分からないが、それ程難しい話じゃない。
「どういう事ですか?」
「ほら、だってティアレのおばあちゃんは有名な術師なんでしょ?」
「だと、思いますけど……」
「ならノーベンレーンよりも交流が盛んなラントルム。多分トーガさんじゃないかな。記帳した時に『ルスク』の名前で気付いた。エリオさんはそれをトーガさんから聞いた。そんな所じゃないかな」
「ほぇ~……、なるほどぉ。凄いですね、イッチーさん」
「まさにその通りでございます」
エリオは一人でパチパチと拍手をした後、にっこりと微笑む。
妙に感心した様子のティアレもだけど、そんな大層な推理でも何でもないので正直止めて欲しい……。
「えっと……、それで、私に相談、というのは?」
「はい。今から一時的に宿の結界を解除致します。そこで術の綻びや、外部からの痕跡などを探して頂ければ思いまして。……そういった事は可能でしょうか?」
「……はい……、……多分……、いいえ、出来ます」
暫く考え込んだ後、初めは自信なさげな口調だったティアレが、最後にはハッキリ出来ると言い切った。
「ありがとうございます。それではさっそく」
そう言ったエリオは、上着の内ポケットから小さな金属のプレートを取り出すと、その上で文字を描く様に指でなぞった。
「はい、以上でございます」
何が起こったのかさっぱり分からない様子の僕とティアレに、エリオはそのプレートを見せてくれた。
「これも魔導具です。私は魔術の才能はありませんでしたが、術具への適正は高かったので、こういった物に頼っているという訳です。もちろんお安くはありませんが」
そう言ってまたニッコリと笑う。
昨日の巨大スクリーンといい、恐らくとんでもない金額が掛かっているんだろう。
エリオの笑顔だけで、その数字を聞く気は完全に失せるけど……。
「それでは、お願いできますか?」
「はい、任せて下さい」
ソファから立ち上がったティアレが、部屋の中央付近で膝を着くと、右手でそっと床に触れた。
僕らもティアレの傍まで行き黙って見守る。
静かに目を閉じたティアレが、意識を集中させているのが分かる。
「コントロールマジック、アニムスフィールドサーチ、ディテクトマジック、トレースマジック、フルコントール」
その瞬間ティアレの右手を中心に光が弾け、それが波紋の様になって外へ外へと拡がり始める。
やがて光は部屋全体を覆い、恐らくは今この宿全体を覆い尽くそうとしているのだろう。
「……これは……、凄まじいですね……、ルスク継ぐ方というのは……」
エリオが驚愕の表情でティアレと部屋とを見回す。
ティアレの魔術を何度も見てきている僕でも、この光景にはいつも驚かされる。
「……」
そんな光景が数分続いた後、ティアレが黙って立ち上がった。
「いかが、でしたか?」
「……それが……、気になる事は一つだけ、なんですけど。……先に結論から言うと、宿の結界には何の問題もありません。破られた形跡もありませんでした」
「それは何より、ですが……、その一つだけ気になる事、というのは?」
眉根を寄せて尋ねるエリオ。
けどティアレは、なぜかそこでエリオではなく、僕の方を見た。
「イッチーさんは、多分気付いてないと思いますけど……。イッチーさんのギターには、不思議な力、……分かりにくいので、『魂』と言ってもいいかもしれません。魂が宿っているんです」
「? ……そ、そうなの?」
急に何の話をされてるんだろうと戸惑う僕。
「私に追えるのはその魂だけだったので、この部屋に残る痕跡を辿ってみたんです……。でも確かにその痕跡が残る場所は見つけたんですけど、この部屋からそこまで続く、その間がプッツリと途切れているんです……」
「どういう事ですか、それは?」
エリオの疑問ももっともだった。
説明を聞いても僕にもさっぱり分からない。
「私にも詳しい事は分かりません。ただこの部屋からその場所まで『飛んで』いるんです……」
「と、飛んでって……、まさか『転移』ですか!? ですが、それは……」
「はい、それはもう『魔法』の領域です」
『魔法』、それは理論や理屈を無視した、1+1を100にしてしまう様な、奇跡の御業。
いつかそう教えてくれたのはティアレだった。
真っ先に頭に浮かんだのは、神とまで呼ばれる風龍セフィラートだけど、いくらあのお茶目な龍もさすがにこんな無茶はしないだろう。
それにまた眠りにつくと言って、僕らを送った後、あの洞窟は完全に塞いでしまった。
「えっと、転移の事はひとまず置いておくとしても……、そのティアレの言う、飛ばされた場所っていうのは?」
「確かにそうですね。方法は何であれ、痕跡が残っている以上、追う事は可能な訳ですから」
僕とエリオがじっとティアレの顔を見つめる。
コクリ、と一つ頷いたティアレが口を開いた。
「……この宿の真下。地下道です」





