第十三章 -A hard day's night- 無力な僕
「……地下? この宿に地下があるんですか?」
三毛猫亭程の建物なら、確かに地下室ぐらいあっても不思議じゃないけど、そんな所からギターを盗んでいく意味が分からない。
「はい、ございます。……ですが地下は倉庫と、後は従業員の――」
「いえ……、多分違います。この建物の地下じゃなくて、そのもっと下。……下水道とか、そういう物じゃないかと思うんですけど」
「なるほど……、下水道ですか……。確かにありますね。ですがそこまで一体どうやって?」
「正直私にも方法は分かりません……。でも……」
「手掛かりはそれしかありませんか……」
「……はい……」
僕としては、今すぐにでも追いかけたい気持ちはあったけど、それと同時に、僕一人でそんな無謀な真似をする馬鹿馬鹿しさも分かっていた。
僕が行くと言えば、それは当然ティアレを巻き込む事になる……。
「どう、されますか……? 下水道への入口は、この建物の裏にもございますが……」
「……」
下水道なんて聞くと、どう考えても魔物やモンスターの巣窟をイメージしてしまう。
「でも、下水道って危険じゃないんですか?」
「? それは、どういった意味ででしょうか?」
「いや、ほら……。巨大化したワニとか、世界一かっこいい下水道とか」
「……すみません、仰ってる意味が全く分からないのですが……」
(僕も自分で何を言ってるのか良く分からない)
「この一件に関する事は別として、下水道自体は安全ですよ」
「そうなんですか?」
「はい。下水道に魔物なんて棲み着いていたら、街の中に入り放題ですからね。管理そのものは、かなりしっかりしているはずです」
(言われてみればその通りだ……。魔物だらけの下水道の上で、人が安心して暮らせる訳がない)
でもそれは、あくまで下水道そのものに限った話で、エリオも言った様に、今回の事件とは別だ。
このまま下水道に乗り込む、というのはつまり、ティアレにも分からない様な手段を持っている相手を追いかける、という事になる……。
詰所に行けば衛兵がいるだろうし、この世界には冒険者なんて存在もいる。
間違い無く、そういったプロの人間に任せるべき案件だろう。
それでもあのギターは、今の僕に残された、向こうとの唯一の接点なのも確かだった。
「イッチーさん、行きましょう」
そう言ったティアレの顔には、微塵の躊躇いも見られなかった。
「あのギターは、イッチーさんにとって、何よりも大切な物じゃないですか」
大切な物なのは確かだけど、『何よりも』と言われると、心に引っ掛かる物があった。
ティアレを危険に晒してまで、という条件を付けるなら、僕の答えは確実にノーだ。
「……でも――」
「イッチーさんが考えてる事は分かってます。けれど……、私も何か力になりたいんです……。トーガさんや、フロッソさんや、エリオさん……、親方さんやミンク……。……私だって、イッチーさんの旅の、仲間なんです……」
「……ティアレ……」
まさかティアレがそんな事で思い悩んでるなんて、考えもしなかった。
ティアレがいてくれなければ、僕は今この場にすら立ってない。
命を救ってくれただけじゃなく、野垂れ死んでてもおかしくなかった僕を旅に誘ってくれたのは、ティアレの方だというのに……。
酷い自己嫌悪に陥りそうだった。
いくら感謝してもし足りないと思ってたのに、全然その気持ちを伝えられてなかった事を後悔する。
(駄目だ……。僕は全然駄目だな……)
しっかりと顔を上げる。
「ティアレ」
「……はい」
「力を、貸してもらえる?」
「……えっ?」
「何も出来ない僕に、ティアレの力を貸して欲しい」
「はい……、はいっ! もちろんです!」
力強く答えたティアレの顔には、パァっと花が咲き綻ぶ様な笑顔が浮かんでいた。
「その代わり、危険を感じたらすぐに引き返す。それでいい?」
「はい、分かってます。私だって、わざわざ危ない目に遭いたい訳じゃないですから」
「エリオさん」
「はい、そういう事でしたら、私は私の方で色々と手を回しておきます。少し時間は掛かるかもしれませんが、必ずお力になるとお約束します」
エリオが迷い無くそう断言する以上は、それは絶対なんだろう。
たとえ短い付き合いでも、この人はそういう人だという確信がある。
「それでは先に、下水道の入口にご案内いたします」
「お願いします。ティアレ」
「はい」
ティアレは自分の荷物を取りに行くと、手早く身支度を整える。
腰のポーチに術具やいくつかの小瓶を放り込む。
背中には弓と矢筒を背負う。
そして最後に腰にナイフを差すと、一つだけ頷いた。
三毛猫亭の裏口から外に出ると、隣接する地下への階段を塞いでいる鉄柵が見えた。
「私の鍵で開けられるのは、うちの管理下のこの扉だけになりますが」
エリオは懐から鍵を取り出すと、素早くその扉を開ける。
「大丈夫です。なんにしても、私がここから痕跡を辿らないといけないですから」
「そうでしたね。ルスクを継ぐ方がご一緒なら滅多な事は無いとは思いますが、ぐれぐれもご無理はなさいませんよう。必ず私の方から援軍を向かわせますので」
「よろしくお願いします」
最後に3人で力強く頷くと、エリオを残し、僕とティアレは暗く湿った下水道へと足を踏み出した。
「コントロールマジック、ホーリーライト」
「ありがとう」
ティアレがいつもの照明で足元を照らしてくれる。
ぼんやりと照らし出された周囲を見回すと、想像していたよりはずっとまともだった。
もっとずっと薄汚れたイメージだったけど、全然そんな事はなく、しっかりとした生活水準の高さを感じられる。
さすがにこの規模の街だと、こういう所もしっかりしていて当然なのかもしれない。
「ちょっと待って下さいね」
立ち止まって目を閉じたティアレが、右手を前方にかざす。
「コントロールマジック、ディテクトマジック、トレースマジック、フルコントロール」
再びティアレの右手を中心にして、光の波紋が地下道全体に拡がっていく。
「……ありました……」
静かに目を開けてそう言ったティアレの表情は、なぜかどこか腑に落ちない様子だった。
「どうかした?」
「……いえ、イッチーさんのギターの痕跡は見つけたんですけど……、微かに残ってる術式の残滓が、全然私の知らない物なんです……」
「やっぱり――」
「いえ」
『やっぱり引き返そうか?』そう聞こうとした僕の言葉は、すぐにティアレに遮られた。
「引き返すにしても、追える所までは追いましょう。そうすれば後で別の方に頼むとしても、場所が特定しやすくなります」
「それは……、確かにそうなんだけど」
「それに、時間が経つと痕跡はどんどん薄くなっていっちゃいます」
「う……」
そう言われると返す言葉も無い。
どっちにしても、ついていく事しか出来ない僕はティアレに頼るしかない。
せめて自分の身ぐらいは自分で守れればいいんだけど、それは今言っても仕方がない事だ。
「念の為……。コントロールマジック、アンチアニムスターゲット、ディテクトトラップ、フルコントロール」
今度はティアレの右手から拡がった光とは別に、僕とティアレの体がうっすらと、霧の様な光に包まれる。
「これは?」
「例のおばあちゃんの結界術の改良版です。効果は弱いですけど、対象の気配を薄くしてくれます」
「凄い……、いつの間にこんな新しい術を?」
「……多分、セフィラート様の加護のお陰だと思います。私自身も良く分からないんですけど、なんでか今急に使える、って思ったんです……」
そう言えばあの時、ティアレはセフィラートに凄い勢いで頭を下げていた。
(何か新しい力に目覚めたとか、そういう事なんだろうか? その割には、同じ加護を貰ったはずの僕は、一向に何も目覚める気配がないけど……)
「走査系、追跡系の術も掛けたまま進みましょう。移動は遅くなりますけど、安全策って事で」
「そうだね、その方がいいね」
ティアレ自身も言っていた様に、無茶をするつもりは無いみたいだ。
「それじゃあ行きましょう」
「うん」
僕らはどちらからともなく手を繋ぐと、慎重な足取りで下水道の先へ先へと足を進めていった。
――そしてそれは僕らが地下に降りてから、15分程下水道を歩き続けた頃だった。
ティアレが急に言葉も無く立ち止まる。
「? ど――」
言葉にする前に、人差し指を唇に当てたティアレの顔がこちらを向く。
「(凄い速さで、こっちに向かって来る人がいます)」
隣の僕がギリギリ聞こえる声で囁く。
「(でも結界術は?)」
「(分かりません。たまたまこっちに向かってるだけかも)」
「(どうする?)」
「(とにかく一度横道に隠れましょう)」
「(分かった)」
2人で足音を殺し、そっと死角に入る細い横道の奥へと姿を隠す。
数秒にも数時間にも感じられる、息苦しい時間を待つ。
自分の鼓動の音がやけにうるさく感じられる。
ようやく遠くの方から聞こえてきた足音は、確かに凄いスピードでこちらに向かっている。
それだけの距離があったはずなのに、事前に察知したティアレの魔術は、今更ながら驚異的な能力だった。
けれどそれは、今徐々に大きくなりつつある足音の速度に加え、その速度に反して、素足で砂を踏むかの様な静かな足運びの持ち主にも、同じ事が言えそうだった……。
(頼む……。そのまま通り過ぎてくれ……)
僕の願いも虚しく、足音は僕らのいる横道を通り過ぎて数秒と経たずに、そこで止まった。
僕とティアレの間に緊張が走る。
ティアレが繋いでいた左手を離した。
僕を庇う様にして前に立つと、右手を腰の後ろに回し、逆手でナイフのグリップを握る。
――僕はただ、そんなティアレの後ろ姿を見ている事しか出来なかった……。





