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第十章 -She see sea- サイン

「ちょ、ちょっと待ってくれ兄ちゃん。2時間ってまさか、兄ちゃん一人で2時間ぶっ通しで演奏出来るって事じゃないよな?」

「はい。さすがにそれ以上となると、ちょっと色々と厳しいと思うんですけど、もっとやらないとマズイですか?」

「いやいやいや、待て待て。どこの世界に2時間ぶっ通しで演奏する吟遊詩人がいるんだよ。冗談で言ってんのか?」


 そう言ってなぜかティアレの方を見る。


「えっと、多分ですけど……。イッチーさんなら、それぐらい本当にやると思います」

「……まいったな、こりゃあ……。とんでもねー奴連れてきちまった……」


 呆れ果てた様な顔でボリボリと頭を掻くトーガ。

 その隣で珍しい生き物でも発見したように、僕の顔を見つめる奥さん。


「あのなぁ兄ちゃん。この際ハッキリ言っちまうが、俺としては今日兄ちゃんが昼間にやってた例の曲。あれを3回もやってくれりゃ万々歳、ぐらいに考えてたんだ」

「そんなもんでいいんですか?」

「そんなもんって言うけどなぁ……。まぁ、いい。それにあんなもの2時間もやられちゃ、うちの店に入れない客から暴動が起こるぜ……」


 良くは分からないが、どうやらこの世界では()()()()()()らしい。

 昼間の様子からしても、皆元々ノリが良さそうな人達ばかりだったし、それだけ皆音楽に飢えてるって事でもあるのかもしれない。


「うちは夜は6時に開けて12時には閉める。だから兄ちゃんには7時、9時、11時、この3回3曲もやってくれりゃ、うちとしては充分だ。ただ俺からの条件としては、昼間やったあの曲は絶対1回はやって欲しい。それだけだ」

「それぐらいでいいなら、僕としては全然問題ないですけど。むしろ物足りないと言うか」

「はぁ……。そうは言うけどな兄ちゃん。『昼間の楽士が今夜うちで演奏するらしい』って噂をそれとなく流したんだがな、それだけでもう既に今夜の予約は閉店までイッパイだ」


 そう言ってトーガは、大袈裟なジェスチャーで両手を上げる。


「でもそれだけで、昼間トーガさんが言った条件で本当に釣り合うんですか?」


 さすがに話がうますぎて、逆に怪しいと思った一番の原因だった。


「うちとしてはな、今夜の酒場の売り上げだけでも、間違い無く今までの記録を抜くと思ってる。けどな、正直それはオマケみてーなもんなんだよ」

「じゃあ本命はなんなんですか?」

「宣伝だよ、宣伝」

「……宣伝」

「ああ。『ここの宿屋はあの楽士様がご利用になった宿屋だ』、『この酒場はあの楽士様が演奏された酒場だ』。そういう噂が人を呼んで、結果としてうちの()()に繋がる。それは簡単に金で買えるようなもんじゃねーし、将来的な先行投資として考えりゃ、今回の事なんて微々たるもんだ」


 このトーガという男、思ってた以上に頭が切れるし、先を見据える能力も驚く程高い。

 僕の力が実際どの程度働くかは別としても、トーガがやろうとしてるのは、要するにスポンサー契約みたいなものだ。

 僕という人間のスポンサーに付き、バックアップをする。

 その上で僕という広告塔を使って、『黒猫亭』という商品を前面に押し出す作戦だ。


「驚いたな、そこまで考えてる人がいるなんて……」


 決して下に見てたつもりはないが、そういう面では、こっちの世界はまだまだ遅れているのかと勝手に思っていたのも事実だ。

 それはこれだけ賑やかな街並みを見渡してみても、大体想像は出来る。

 『広告』が全く無かったからだ。

 

(もしかしたらトーガは、この世界で初めて広告という情報の価値に気付き、それを利用しようと考えた人間なのかもしれないな……)


「だから言っただろ? 俺は商売人だ、ってな」


 そしてまた『ニカッ』っと満点の笑みと共に、親指を立ててくるのだった。



 ――そして翌朝


「んっ……。おはよぉ~ティアレ」

「あっ、おはようございます、イッチーさん。昨夜も凄かったですねっ」


(だからティアレさん、朝一番の挨拶としてそれはどうかと思いますよ? 誰も聞いてないからギリセーフですけどね? ギリ、ね)


 朝から既にテンション高めなティアレに対して、まだ頭の回らない僕は、相変わらずそんな間の抜けた事をぼんやりと考えていた。


 ――コンコンッ


 部屋のドアがノックされたのは、丁度そんなタイミングだった。


「はい」

「俺だ、トーガだ」

「どうぞ」


 そう言ってティアレがドアを開ける。


「すまねぇ、まだ寝てたか?」

「いや、丁度起きたとこですから大丈夫です」


 まだベッドの上にいた僕を気遣った様子だったけど、どっちにしてももう起きる所だった。

 しかしトーガはそんな僕のすぐ傍まで、スーっと素早く近寄って来ると、そのまま耳元で


「(昨夜も凄かったらしいな? ドアの向こうまで聞こえてきたぞ。なんだ、なら結局キングサイズ1個のままでも良かったんじゃねーか)」


 と僕にだけ聞こえるトーンで囁いてきた。


(はぁ……、しっかり聞いてる人間がいたよ……)


「冗談だとは思いますけど、一応演奏の事ですからね」

「なんだ兄ちゃん、思ったより淡白な反応だな。つまらん」

「つまらんって……」


 そんな僕ら2人のやり取りを、ティアレは不思議そうに眺めている。


「ま、こっちは宿屋だからな。そんなもんに一々突っ込まんさ」

「からかいに来たわけじゃないとすると、何か用事でも?」

「ああ、兄ちゃん達今日の昼の船でもう出ちまうんだろ?」

「はい、その予定です」


 僕の代わりにティアレが答える。


「本当ならもう2,3泊してもらいてーとこなんだがな。引き止める訳にもいかねー。それでな、最後にもう一つだけ頼みてー事があるんだけどな」

「何ですか? 僕に出来る事なら」

「これだっ」


 そう言ってトーガが取り出したのは、大きめの筆とインクだった。


「いや、これって言われても……」

「これでな、この部屋に入ってすぐの壁辺りにでも、兄ちゃんのサインを書いてもらいてーんだ」

「サインを?」

「ああ、昨夜だけでも大騒ぎだったが、昨夜の演奏のな、反響が俺の予想以上でな……」


 実際昨夜はとんでもない騒ぎだった。

 開店前から、100席程度の、それでも決して小さくはない黒猫亭の酒場には、200人以上の人が詰め掛けていた。

 席に着けない半分以上の客は、それでも立って飲んだり、大テーブルの長椅子に無理矢理座ったりで凌ぎつつどうにかなった。


 しかし本当の問題はそこからで、基本的に昨夜来ていた人達は皆僕の演奏目当てで来ていた。

 本来なら、食事をして、程良くお酒を飲んで帰るだけだろう。そのまま閉店まで飲む人間がいたとしても一部の話だ。

 そう、客が全く回転しなかったのだ。


 結果として誰も帰らないので、後から後から押し寄せてくる人達は、そのまま店の外に黒山の人だかりとなった。

 それでも尚止まるどころか増え続ける人々。


 もうどうする事も出来なくなり、最終的には店の扉も窓も全て開放し、近隣の店や人にも協力してもらって、表にも折りたたみ式のテーブルを並べた。

 急遽呼び出された黒猫亭スタッフ総出で料理や酒を運び、それに便乗した周辺の飲食店に加え、露店まで出始める始末。


 結局1時間遅らせた僕の1回目の演奏の時には、昼間の衛兵さんも含めた警備隊まで出動するという、ちょっとしたお祭り騒ぎにまで発展したのである。


「実はもう既に、『あの楽士様が泊まった部屋』指定の予約が殺到しててな。それだけじゃねぇ。他の部屋も酒場の方も、冗談抜きで今から従業員倍にしても追いつくかどうかって状態だ」

「そ、それは……」


(別に僕が悪い訳じゃないと思いたい……)


「いや、これは嬉しい悲鳴ってやつだから気にしないでくれ。それでまぁ、せっかくだから兄ちゃんがここに泊まったって証拠と言うか、足跡を残してもらいてーと思ってな」

「……足跡、ですか。別にいいですけど、本当にいいんですか? 壁に書いちゃって?」

「ああ! 気にするこたねー。思い切ってババっとやっちゃってくれ」

「そういう事なら……」


 なんだかサインを書くのも随分と久しぶりだ。

 解散後もたまにファンに頼まれて書く事はあったが、それでもここ1,2年は書いてなかった気がする。


「おお! なんかすげーな! 兄ちゃんやけに書き慣れてねーか? サインも妙にカッコイイし」

「確かに凄くカッコイイですね。名前を書いたっていうより、何だかこれ自体が絵みたいですね」


 ティアレまで乗っかってくる。


「あ~、そうですか? ありがとうございます」

「いや、ありがとうはこっちのセリフだ。これは良い記念になる」


 そう言って満足そうに頷いている。


「それとな、約束してた兄ちゃんへのチップなんだが、量が量なんでうちの使いに持たせて既に商会に送ってある。もちろん、銅貨1枚ちょろまかしたりしてねーから安心してくれ」

「そんな心配してませんよ。ありがとうございます」

「それと最後にもう一つ」


 ここで急に今までとは違い、急に真剣な顔でトーガは話し始めた。


「これは俺の個人的な礼代わりみてーなもんだが、うちの兄貴達にも兄ちゃんの事を話しておいた。うちの兄弟同士の、しょーもない小せー争いに利用するのは止めだ。兄ちゃん程の演奏を、黒猫亭だけで独占するなんてバカバカしい。だからこの先、ノーベンレーンでも、ルベルスでも、もし立ち寄る事があったら是非うちの店を利用してくれ。演奏無しでも最大限のサービスを約束させてもらう」


 真っ直ぐに右手を差し出してくる。


「ありがとうございます」


 その右手をしっかりと握って頭を下げた。

 そのままグッと右手を引かれると、ガッシリと肩を抱かれた。

 僕もそれに倣って空いた左手でトーガを抱きしめる。


「ありがとうございます」

「……よせよ」


 もう一度、全く同じセリフを口にした僕に返ってきたその言葉は、どこか少しだけ鼻声に聞こえた。

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