第十章 -She see sea- どれぐらい?
「さてさて、じゃあ何かリクエストはあるかな?」
カウンターに2人並んで腰掛け、奥さんはいかにも手馴れた様子で鍋やフライパンの準備をしている。
「う~ん……、と言っても、僕はそもそも詳しくないので。ティアレは?」
「私もこの辺りの料理にはあまり明るくないんです。どういう物が有名なんですか?」
「そうねぇ~。じゃあいっその事私に任せてみる?」
「あっ! それがいいです」
「私も是非それでお願いします」
「ふふふっ。了解了解。それじゃあうちの名物料理でもご馳走しましょうかね」
こっちが本業というだけあって、決まってからの行動も早い。
一つ一つの動きに迷いがない上に、全てが淀みなく進んでいく。
そんな様子を、ティアレも随分と興味深そうに眺めていた。
「量はどうする? やっぱり男の子だからいっぱい食べるよね?」
「はい、イッチーさん凄い食べるんですよ」
なぜか答えたのはティアレだった。
「あ、いや。少なめにしておいてもらえますか? ティアレと同じでいいです」
「えっ、どうしたんですか? イッチーさん体調でも悪いんですか?」
別に今までそんなキャラ設定だった覚えはないんだけど、どうやらティアレの中では既に大食いキャラが定着しているようだった。
「いや、そうじゃなくて…………。演奏前にあんまり食べ過ぎると、うまく声が出せないんだよ」
「そ、そうだったんですね……。知りませんでした……」
「へ~、それは私も初めて知ったよ。うちには楽士さんなんて滅多に来ないから、良い事を聞いた。それじゃ2人で1個にして、と……」
カウンターの向こうで独り言の様に呟きながらも、ドンドン作業は進んでいく。
「後はオーブンが温まるのをもう少し待って……。もうちょっと掛かるから、とりあえず先にこれでも食べて待ってて。熱いから気を付けてね」
そう言って大きめのスープカップを二つ、カウンター越しに渡してくれる。
「今日のお昼の日替わりの残りなんだけどね。それもうちの人気メニューよ」
『ありがとうございます』
溢れんばかりのたっぷりの野菜と、ゴロっと大きめに切られたソーセージ、独特の酸味とハーブの香りが、否が応でも空腹を思い出させる。
「ミネストローネだ」
「……ミネストローネ?」
「あ、いえ、気にしないで下さい」
思わず口走ってしまったが、よく考えてみれば名前が同じはずがない。
「凄く良い香り。トマトのスープなんですね。レディウス村の辺りでは見ないやり方ですね」
「そうね。この辺りって言うより、うちのオリジナルみたいな物だからね。決まった名前は無いんだけど、お客達は『黒猫亭スープ』なんて呼んでるよ」
「ふふっ、可愛らしい名前ですね」
確かに『黒猫亭スープ』の方が、どこか愛嬌があるし、いかにもオリジナルって感じで親しみがある名前に思える。
「うん……、でも、そうね……。ねぇ、イッチーさん。さっきのミネストローネって名前、もし良かったら使わせてもらっても構わない?」
「えっ?」
(別に『ミネストローネ』は僕が付けた名前でも何でもないから、正直許可を求められても困るんだけど……)
「い、いいんじゃないですか? でもいいんですか? 『黒猫亭スープ』も僕は好きですけど」
「そりゃお客達が何て呼んでも、それは別にいいんだけど。売る側としては、一応名前が決まってないっていうのも問題なのよ。中々良い名前がなくてね」
「なるほど。そういう事なら別にいいと思いますよ。そもそも僕に許可なんていらないですし」
「よし、じゃあそれは今日から『ミネストローネ』に決まりね! ごめんね、手を止めちゃって。さあ、どうぞ。冷めない内に食べて」
この『黒猫亭スープ』改め『ミネストローネ』は、僕が名付けたという謎の理由により、後に黒猫亭の大人気メニューになったらしいのだが、それは僕の知らないまた別のお話だ。
『いただきます』
2人揃って手を合わせる。
まずはスープから一口。
確かにトマトの酸味とにんにく、オレガノっぽいハーブの香りが真っ先に鼻から抜けるが、それにしてはやけに角の無い後味の良さと、どこか慣れ親しんだ風味。
どうやら魚貝系のベースを使ってるようだ。
それに隠し味に使われている、針生姜とハラペーニョの程よい辛味と香味が、良いアクセントになっていて、驚く程味が深い。
それでも全体的にマイルドな味になってるのは、バターか生クリームでも入ってるのかもしれない。
続いて大ぶりなソーセージを口に運ぶ。
食べ慣れている出来合いの物とは比較にならない、粗挽き肉の旨味。
これ自体にもたっぷりと使われている香辛料と合わさって、更に食欲をそそる。
玉ねぎ、人参、ジャガイモ、セロリ、キャベツ、と野菜も豊富で、それら全ての野菜の旨味もしっかりと出汁に加わって、このスープとパンだけでも十二分に満足出来そうだった。
「これは、うまい……」
「ホントに……おいしいです」
「ふふっ、ありがとう。でもメインはこれからだからね」
(そうだった……。あまりにも美味しくて夢中で食べていたけど、奥さんは「とりあえず先にこれでも食べて待ってて」と言ったんだった)
「さぁ、焼けたよ」
奥さんがそう言って、今まさにオーブンから取り出した焼きたての一品。
ササッと特徴的なカッターで切り分けられ、カウンターの上に出てきた物。
それは紛れもなく『ピザ』だった。
(しかもこれは……、シチリア風ピザじゃないか!)
実は僕はこのシチリア風ピザが大好きだった。
レコーディングで海外に行った時、スタッフの一人に勧められて入ったお店で、初めて食べたのがこのシチリア風ピザだった。
滞在中何度も通った程お気に入りだったが、帰国後あちこち探しても、これが意外と都内でも出しているお店は少ない。
やっと見つけても、日本風にアレンジされてる場合も多く、中々同じ味を見つけられない一品だった。
「どうする? エールでも飲む?」
「あっ、是非いただきます」
「えっ!? イッチーさん飲めるんですか?」
「ハハッ! なんだ兄ちゃんイケる口か?」
そこでさっきの扉の方から、突然笑いながらトーガが会話に入って来た。
「あれ? 向こうはいいんですか?」
「いや、さすがにうちだってこの規模の宿屋、カミさんと2人だけでやってるわけじゃねーよ。夕方からの従業員が来たから代わってきただけだ」
確かに言われてみればその通りだった。
「それに夜は俺もカミさんも大体こっちがメインだからな。で、どうする? なんならお嬢ちゃんも飲むかい?」
「いえっ、私は、苦手なので……」
「あっ……」
「ん? どうした兄ちゃん」
「いえ、その、僕もやっぱりいいです……」
「なんだよ、遠慮なんかすんなよ」
「いや、そうじゃなくて……」
すっかり忘れていた。
今の僕、つまり中高生ぐらいの体の僕が、果たしてどの程度アルコールに耐性があるのかを完全に失念していた。
それに、こっちの世界のエールが結構強かったりする可能性もある。
「演奏前なんで止めておきます」
「……ああ、そういう事か。ならしょうがねーな」
トーガは飲ませたそうだったが、演奏と聞いて残念そうに引き下がった。
「まぁとりあえず、冷めちまっちゃせっかくのカミさんの料理が台無しだから、先に食ってくれ。ちょっと打ち合わせでも、と思ったんだが、食いながら聞いてくれればいい」
「それじゃあ」
『いただきます』
再び2人揃って手を合わせる。
一口頬張った途端涙が出そうだった。
(そう! これだ、これ!)
分厚い生地の底の部分だけがカリッと、なのに中はもちもちフワフワとした独特の食感。
まさにこれこそがシチリア風ピザの一番の特徴だった。
普通のピザと違って四角い物が多いのも、この特徴的な生地の為に型で焼く事が多いからだ。
肉類よりもナスやズッキーニ、ブロッコリーなんかが乗ってる物も多い。
実際僕が気に入って食べていたのも、玉ねぎとナスのシンプルな物だった。
さすが大陸最大の麦の産地と言うだけあって、僕の知る物とは甘さも香ばしさも桁外れで、生地自体が驚く程旨い。
このカリカリもちもちの生地の上には、これでもかと言うぐらいたっぷりととろけたチーズ。
街まで来る途中牧場も多く見かけたが、酪農も盛んなのかチーズの質も高く、濃厚で香り高い。
トッピングには玉ねぎとナスとズッキーニ、そして今まで食べたシチリア風ピザにはなかったイカとホタテ、更にアクセントの黒オリーブ。
やはり場所柄海産物が豊富なのか、イカもホタテも新鮮で、柔らかく臭みも一切感じられない。
くどくなりがちなピザの重さに、所々混ざる黒オリーブが一種の清涼剤になっていて、飽きることなくいくらでも食べられる。
(うますぎる……。ん~、正直これなら一人一枚でも全然余裕で食べられたな……)
「ハハハッ! すげー食いっぷりだな。気に入ってくれたようで何よりだ」
「いや、これホントにうまいですよ……」
「私も初めて食べますけど、何だか癖になりそうです……」
ティアレも相当気に入ったみたいで、僕とそう変わらないペースで最初の一切れを平らげていた。
「そいつは良かった。カミさんも喜ぶぜ。なぁ?」
「ふふっ。イッパイ食べてって言えないのが残念だけど、それだけ美味しそうに食べてくれたらね。それでエールは無理としても何か飲む?」
「それなら……もしあれば、でいいんですけど、コーヒーってもらえますか?」
「もちろんあるよ。濃いめと薄め、どっちがいい?」
(やった! ようやく念願のコーヒーが飲める!)
正直僕は向こうでは、飲まない日はないってぐらいのコーヒージャンキーだった。
ミネストローネにピザというイタリアンのタイミングで、狙いすましたかのように、丁度コーヒーが飲めるというのも本当に有難い。
「じゃあとびきり濃いのをお願いします」
「はいよ。ティアレちゃんはどうする?」
「じゃ、じゃあ、私も……、コーヒーを……」
「あれ、ティアレコーヒーは苦手なんじゃなかった?」
「だ、大丈夫ですっ。……砂糖とミルクをいただければ……」
無理して僕に合わせなくてもいいのに、背伸びしたい年頃ってやつなんだろうか。
「はい、じゃあコーヒー2つね。ちょっと待っててね」
「さて、それじゃそろそろ俺の方は話を始めさせてもらうかな」
なんだかんだ言いながらも、トーガは結局僕らの食事が落ち着くまで待っていてくれた。
「参考までに、なんだが、兄ちゃん演奏はどれぐらい出来るんだ?」
「どれぐらいって言うのは『時間的に』って意味ですか?」
「時間的? いや……、ちょっとそっちの方が意味が良く分からんが」
(ん? どうもうまく話が噛み合ってない)
トーガは不思議そうに首を傾げている。
「えーと、僕一人だし、楽器もギターとハーモニカぐらいしかないので……。そうですね……、せいぜい2時間ぐらいが限界じゃないですかね。バリエーション的にも僕の喉的にも」
『……はい?』
ティアレを除く2人だけは、ポカンとした顔で綺麗にハモるのだった。





