List.07 -深窓のロックガール- 音楽の神様
「?」
「一つ、私からお願いをしてもいいかな?」
「えっと……、僕にですか……? そりゃもちろん、僕に出来る事だったら」
少し気になってチエちゃん先生の方を見ると、先生は何かを察したらしく、ただほんのちょっとだけ不敵な笑みを浮かべただけだった。
「うん。一曲聴かせてもらえないかな? 何でもいい。イッチー君の好きな曲でもいいし、得意な曲でもいい」
「あ~、それはもちろん……。僕なんかで良ければ、全然構わないですけど……」
正直本物のミュージシャンの前で、っていう気負いが無いと言えば嘘になる。
けれど、なぜか僕は人前で演奏する事に対しての抵抗が、元々全くと言っていい程無い。
これも定期的に僕の演奏を楽しみにしてくれた、兄さんのお陰だろうか。
「それじゃ、ちょっと準備しますね」
(何を演ろうかなぁ)なんて事を考えながら、自分のギターを取りに行く。
ケースを開けた頃には腹も決まり、せっかくなので、バッグからハーモニカとホルダーも取り出す。
ストラップを掛け皆の前に戻ると、全員揃ってちょっと驚いた顔をしている。
「ほお……」
ただそう呟いたのはジョージさんだった。
「なんかイッチー、すっげーギター持ってんだな」
「なんだそれ、滅茶苦茶カッコイイじゃねーか!」
今度はアキとシュンが声を上げる。
「ちょ、ちょっとちょっと待って、市原君!? それスーパーアダマスじゃないの! しかも初期型!? 私茶色の純正ケースなんて初めて見たわよ! なんでそんなギター持ってるの!? そもそもそんな高価な物どうやって買ったの!?」
テンパったチエちゃん先生が、弾丸のように質問をぶつけてくる。
「そう言えば、まだ学校に持って行った事ってなかったですね。これは兄から譲ってもらったんです。って言っても、まだまだ少しずつお金を払ってる状態なんで、僕の物とも言い難いんですけど……」
実はこれは僕の素直な気持ちだった。
「あげるのは簡単だけど、苦労して手に入れる事に意味がある」という理由で、生まれて初めて兄さんから『必ず全額支払います』、という内容の誓約書を書かされた。
いくら相場無視で安くしてもらってるとは言っても、今の僕にはとんでもなく高額な買い物な事には違いない。
もし仮に全額払えなかったとしても、100%兄さんはそれに対して文句を言ったりする事はないと思う。
それでもやっぱり、兄さんに全額払い終わるまでは、本当の意味でこのギターは僕の物にはならないような気がする。
「うん……、とてもいいギターだね。状態も凄くいいみたいだし。私も初期型は何度か目にした事があるぐらいかな。特に日本には少ないんじゃないのかな。大切にしてあげるといい」
「はい、大切にします。僕の宝物ですから」
そう答えると、ジョージさんは満足したように、とても優しい表情で頷いていた。
いつも合わせてるとは言え、念の為チューニングを確認する。
真夏や真冬は湿度などでも変化しやすいので、一応ギターケースの中には防湿剤を入れている。
ササッとチューニングを済ませると、ヨーコさんが一瞬だけあらっ、という表情を見せた後
「凄く音感がいいのね……」
とだけ呟いた。
ホルダーを調整してハーモニカの位置を合わせる。
軽く吹いて詰まりが無いか確認する。
皆の視線を感じるけど、決して悪い気分じゃない。
きっと僕は根本的に、人前で演奏する事自体が好きなんだと思う。
演る曲は決めていた。
プレシャスの『オーバー・ザ・ムーン』。
言葉は必要ない。
軽いリフから入って、すぐにハーモニカを被せた。
――あの日あの時、僕をチエちゃん先生のいる旧音楽室へと、そしてそれは結果的に、今ここに集まっている全員とも引き合わせてくれた、全てのきっかけになった曲と言ってもいい。
もしこの世に、そんな不思議な縁や巡り合わせを司る神様がいるなら、僕は多分この曲を、その神様に祈りを捧げるような気持ちで歌ったに違いない。
あの日チエちゃん先生が聴かせてくれた、『オーバー・ザ・ムーン』のジャズアレンジバージョン。
あれをもう一度僕なりに、ロックバラードに逆輸入した再アレンジ。
少しカントリー調に、ほんのちょっとだけケルトを意識したスローバラード。
密かにずっと一人で練習していた曲で、誰かに聴かせるのはこの時が初めてだった。
ジョージさんとヨーコさんは、ただ黙って真剣な眼差しを向けてくる。
仲間達は知らない曲、知らない演奏に少し戸惑っているようだった。
ただ一人チエちゃん先生だけは、最初の一瞬だけ驚いた表情を見せた後、満足そうに、心底嬉しそうに、微笑みながら曲に合わせて体を揺らしていた。
(実はこのバラードバージョンの『オーバー・ザ・ムーン』は、僕らアーリーバードのカヴァーアルバムにも収録されていて、それをいたく気に入ってくれた本家プレシャスが『オーバー・ザ・ムーン』アーリーバード・バラードバージョンとして再リリースした裏話があるわけだけど、それはまた、ここよりも遥かずっとずっと未来の、別の話である……)
――最後のコードを鳴らしてその残響が消えても尚、その場の誰も口を開かなかった。
さすがにちょっと不安になってチエちゃん先生の方を見ると、なぜか先生はいつものドヤ顔で
「どう? パパ?」
とだけ聞いた。
「……驚いたな、これは……。千枝が入れ込むのも分かる気がするよ」
それを聞いたチエちゃん先生は、もう一度僕の方を向くと、グッ! っと親指を立ててきた。
「イッチー君、だったね」
ジョージさんは僕の方に体を向けると、優しく問いかけてきた。
「はい」
「ギターは一人で?」
「えっと、はい。先生に教えてもらうまでは、ずっと一人でやってました」
「なるほど。それで歌の方は?」
「歌もずっと一人でした。時々兄が聴いてくれるぐらいで、兄も教えてくれたりって事はなかったんで」
「そうか。本当はこういう安直な言い方は、その人の努力を無視してるみたいであまり好きじゃないんだけど、これが才能ってやつなのかもしれないな……。ね、ママ?」
ジョージさんは一人呟くように言った後、今度はヨーコさんの方に話を振った。
「そうですね。凄く音感もいいし……。イッチー君」
「はい」
「あなたは素晴らしい物を……、とてもとても、沢山貰って生まれてきたのね」
「?」
ヨーコさんの言っている意味は僕には良く分からなかったけど、当のヨーコさんは、なぜか満足そうにニコニコと微笑んでいた。
その笑顔は、やっぱりどこかいつも見慣れている、チエちゃん先生のそれととても良く似ていると思った。
相変わらず不思議そうな僕に、ヨーコさんは笑顔のまま諭すように、今度はなんとなく僕にも意味が分かる言葉で伝えてくれた。
「きっとあなたは、音楽の神様に愛されているのね」
と。





